新居宮池は今
楠尾神社への車道から見る宮池。
楠尾神社への車道から見る水上展望台、宮池の遊歩道から見る水上展望台
宮池の遊歩道から見る鷲ノ山に懸かる雲と宮池の水面。
Akijii-blog巻頭言Repeat-101 Orignal掲載日:Vol.195 (2013.06.30)
「個人サバイバルの力」を身につけ…。
いまや「安定」という言葉は消え去り、過去の成功体験も常識も通用せず、個としてのスキルを磨いていくしか生き残る道がない時代を迎えている。
「一流大学から有名企業に就職し、出世ルートに乗る」「高収入を得たいなら、外資系企業で働く」「サラリーマンでなく個人でやるなら起業する」お決まりのコースから外れた人こそ成功への道が開かれる「個人サバイバルの時代」である。100年に一度と言われる未曾有の大不況に、100年に一度のチャンスを迎えたのだが、このピンチをチャンスに出来るのか。
このような大きなうねりから逃げられない以上、エスカレーターではなく、自分の足で階段を上らなければならない。
いや、階段ではなく、山を見つけて道なき道を、しかも一人で登らなければならない時代だ。
道のりは石ころだらけかもしれないし、楽なコースだと思っていたのに、目の前に崖が立ちふさがるかもしれない。
足腰を鍛えなければならないし、急な天候異変に耐える準備と覚悟が必要となる。
また、沢山ある山のうち、どの山に登るのかも自己責任で決めなければならない。
エスカレーター時代は、自分の希望するものに乗るには学歴などの「切符」が必要であった。
また、一端、一つのエスカレーターに乗ったら「やっぱり向いていない」と思っても、乗り換えは大変であった。
しかし、一人登山であれば、自分が登ると決めれば切符など必要とせず、またいつでも登れる。
違ったと思えば迂回し、別の山に登ってもかまわない。
全員が一つのゴールを目指すエスカレーターと違い、「山の中腹のほうが自分に適した場所だ」と判断すれば、なだらかな草むらを自分のポジションに決めてもいいのだ。
企業に依存してしまえば、個人サバイバルのスキルを磨く機会が奪われる危険がある。
一人で泳ぎ抜く力がなければ、「リストラしない代わりに、給料を二十%カットとする」などと一方的に言われても、黙って従わざるを得なくなる。どの船に乗るか乗らないか。今の船に乗り続けるか、別の船に移るか。一人で船を待つか、一人で泳ぎ抜くか。無数の岐路に立つ大きなうねりのなか、個人でサバイバルする力がなければ、選択して行動する自由が奪われ、せいぜいできるのは波を避けようとすることだけとなる。
個人でサバイバルする力さえあれば、大きな波に自分から乗っていくことが出来、予期せぬ事態が訪れたとき、それをチャンスに変えて新たなキャリアをつくることができる。
米国のある教授の「計画的な偶発のセオリー」という論があるが、その教授が「今のキャリアはどうやってできたか?」の質問に、八十%の人が「予期しない偶然でてきた」と答えているそうだ。安定がない時代、「予期せぬ偶然」は、誰の身にも、何度となくふりかかってくる。
それをチャンスに変える「個人サバイバルの力」を身につけたいものだ。
<高く広がる空間>
ウォーキングコースから見るだんご山3兄弟の上空。
久米池の西側の歩行者用道路(新田町)から見る屋島と五剣山の上空。
本覚寺(新田町)の上空。
県道272号線の右(東-高松市東消防署-新田町)の上空。
A seasonal flower
◇ウォーキングコースに咲くツルボ(蔓穂)
ツルボはユリ科の多年草で秋の初め頃に山野などに生え、突然茎を伸ばし始め、うす紫色の花を咲かせる。
ツルボは昔から皮膚病・神経痛・火傷・切傷などを負った際に、その球根をすりつぶして湿布薬として使用され、驚異の薬効を発揮して重宝されてきた。
今では、医薬品の主成分に使用され、大学で研究が進み、実に様々な症状に効能があることが研究により解ってきているとのことだ。
◇ウォーキングコースの畑のオクラ
◇ウォーキングコースの山間のクズ
◇我家の庭に自生するミヤマキンバイ
Akijii気ままniフォトsketch<那須与一と扇の的・イサム・ノグチ庭園美術館・洲崎寺>
那須与一と扇の的(むかし話あれこれ)
もう日は西に傾いて、海がキラキラと夕日に輝き始めていました。すると、平氏方から、女官を乗せた一艘の船が近づいて来ました。見ると、竿の先に、扇が立ててあって、女官がしきりに手招きをしています。この扇の的を、弓で射てみよというのです。それは、平氏の戦占いでした。上手く射落とせば源氏の勝ち。射損なったら平氏の勝ちと云う訳です。
「誰か、あれを射落とせる者は居らぬか」義経は、家来達を振り返って言いました。「殿、それには下野(栃木県)の住人那須与一宗高がよろしゅうございましょう」「なにか、証拠があるか」「はい、与一は、空飛ぶ鳥も、三羽ねらえば、二羽は必ず射落とすほどの名人で御座います」「よし、与一を呼べ」。呼ばれた与一は、まだ二十に成るかならない、若い小柄な侍でした。「与一、あの扇の的を射てみよ」「とても、私などには出来そうも御座いませぬ。
もし、射損なっては、源氏の恥と成りましょう」「なにっ、断るのか。わしの命令が聞けないなら、さっさと鎌倉へ帰るがよいぞ」義経は、厳しく言い渡しました。 与一は、それ以上断る事が出来ませんでした。「もし、射損なったら、二度と誰にも会わず、弓を折って死ぬまでだ」与一は心に決めました。そして、黙って馬に跨り、海に乗り入れました。扇の的は波に揺られて、たえず右に左に揺れ動いています。目を瞑り、しばらく神に祈ってから、狙いを定めて、はっしと矢を放ちました。
扇は、見事に空に舞い上がり、ひらひらと夕日に照らされて、紅葉の葉のように海に散りました。
源氏から、どっと喜びの声が上がりました。平氏たちも、船ばたを叩いて、その見事さを誉めました。
イサム・ノグチ庭園美術館
この地が未来の芸術家や研究者、そして広く芸術愛好家のためのインスピレーションの源泉になることを強く望んでいたノグチの遺志を実現したものです。150点あまりの彫刻作品はもとより、自ら選んで移築した展示蔵や住居イサム家、晩年制作した彫刻庭園など、全体がひとつの大きな「地球彫刻」、あるいは環境彫刻となっています。出来うる限り、生前の雰囲気そのままで環境そのものを公開し、専門的な調査・研究のためのアーカイブ(資料研究空間)となっております。ジャンルを超えた宇宙的でコスモポリタンな、開かれたノグチの世界像を心ゆくまで味わっていただきたいと思います。(美術館HP)
高野山真言宗の寺院で山号は眺海山。詳しくは眺海山 円通院 洲崎寺と号する。本尊は聖観世音菩薩で、四国八十八箇所番外札所、さぬき三十三観音霊場第二番札所である。
寺伝によれば、大同年間(806-810年)に空海(弘法大師)により創建されたといわれる。
源平合戦の際に負傷した源氏方の兵士がこの寺に運ばれた。戦いが激しくなると戦災により当寺院は焼亡した。
源義経の身代わりとなり戦死した佐藤継信は本堂の扉に乗せられ、源氏の本陣があった瓜生ヶ丘まで運ばれた。
これが縁で継信の菩提寺となり毎年3月19日には慰霊法要が行われている。義経は焼亡した寺院を再建したと伝えられている。義経の愛馬太夫黒の墓がある。戦国時代に至ると土佐の戦国大名・長宗我部元親軍の侵攻により再び焼亡し荒廃した。その後、江戸時代中期の元禄12年(1699年)に再興され現在に至っている。
境内には江戸時代初期の僧で四国八十八箇所を一般に広め巡拝路を整備し、「遍路の父」と呼ばれた真念の墓がある。
▼所在地、那須与一扇の的の絵看板
高松市牟礼町牟礼:〒760-0121
▼イサムノグチ庭園美術館、洲崎寺
▼バス停「祈り岩・与一公園前」で降車、那須与一扇の的の絵看板が見える地点へ向かう(約0.2km)-右(東側)が与一公園
▼左側は牟礼町浄化苑、牟礼町牟礼を北方向に進む(次のT交点を右折)
▼T交点を右折(右に案内板-正面奥に五剣山)、案内板「むれ源平史跡案内」・「源平の里ガイドマップ」
▼左奥に「那須与一扇の的➡」「イサム ノグチ庭園美術館➡」、牟礼町牟礼を東方向へ進む-1
▼右側は与一公園、牟礼町牟礼を東方向へ進む-2
▼牟礼町牟礼を東方向へ進む-3(与一橋が見えて来た)、与一橋を渡る
▼右に「むれ源平史跡案内碑」、与一橋-1
▼与一橋-2、那須与一扇の的へ進む-1
▼いのり岩、那須与一扇の的へ進む-2
▼那須与一扇の的へ進む-3、那須与一扇の的の絵看板が見える地点に着いた(奥に駒立岩)
▼那須与一扇の的の絵看板、那須与一扇の的の絵看板のズーム
▼駒立岩、駒立岩の説明板
▼右奥の久通浜塩釜神社に寄る、久通浜塩釜神社-1
▼久通浜塩釜神社-2
▼那須与一扇の的の絵看板と駒立岩を後にして金刀比羅宮へ向かう(約0.5km)、与一橋まで戻る
▼与一橋へ戻った、祈り岩へ寄る
▼北から見る与一橋、祈り岩へ進む
▼交差点の右角に祈り岩、交差点の右角の祈り岩に着いた
▼祈り岩
▼県道36号線を北方向に進む、県道36号線から右に入り金刀比羅宮へ進む
▼牟礼町牟礼を左右の石材店を観察しながら北方向に進む-1
▼牟礼町牟礼を左右の石材店を観察しながら北方向に進む-2、右側の石材店の「不動明王」
▼牟礼町牟礼を左右の石材店を観察しながら北方向に進む-3
▼牟礼町牟礼を左右の石材店を観察しながら北方向に進む-4
▼左(西)奥に屋島スカイウェイが見える、左奥に金刀比羅宮の鳥居が見えて来た
▼金刀比羅宮に着いた、金刀比羅宮-1
▼金刀比羅宮-2
▼金刀比羅宮-3
▼金刀比羅宮-4
▼金刀比羅宮を後にしてイサムノグチ庭園美術館入口へ向かう(約0.4km)、牟礼町牟礼を東方向に標高差10mの小径を上がる-1
▼牟礼町牟礼を東方向に標高差10mの小径を上がる-2
▼牟礼町牟礼を東方向に標高差10mの小径を上がる-3
▼牟礼町牟礼を東方向に標高差10mの小径を上がる-4、牟礼町牟礼を東方向に標高12mの地点
▼牟礼町牟礼を東方向に小径を進む-1、後方左にイサムノグチ庭園美術館の施設
▼牟礼町牟礼を東方向に小径を進む-2、左に溜池と奥に五剣山
▼牟礼町牟礼を東方向に小径を進む-3(次のT交点を右折)、T交点の左方向に五剣山
▼牟礼町牟礼を南方向に下る、T交点の右にイサムノグチ庭園美術館の施設
▼T交点までの小径から見るイサムノグチ庭園美術館-1
▼T交点までの小径から見るイサムノグチ庭園美術館-2
▼T交点-標高9m地点、T交点から見るイサムノグチ庭園美術館-1
(Vol.989-2/3に続く)
<akijii展-(546)>
美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-03
今報は「スズメ」で、所要時間は250Mでした。
◇完成作品
引き続き、Vol.989-2/3をご覧ください。