『八重の桜』の余話 | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

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私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

私はNHKの大河ドラマはあまり鑑賞しないほうだったのですが、今年の『八重の桜』は例外的に熱心に視聴しています。先週の土曜日(19日)にこのブログで触れた靖国神社が、戊辰戦争のときの「官軍」の戦死者を神と祀ったことに起源を有する神社であることに関連して、そのとき「祀られなかった」側の会津藩の戦死者とか、その遺族がたどった人生とかに関心があるからです。

六月~七月にこのドラマの前半の山場である八重の籠城戦が描かれた後、明治になってからの話は、だらだらして退屈だと言っていた人もいますが、私は新島襄の同志社英学校創立や、盲目になった八重の兄の山本覚馬が京都府政のために尽力する場面なども、興味津々で見ています。

次回の放送では、籠城戦のときに八重と一緒に鶴ヶ城内にいて、その後、津田梅子らとともに第一回遣米女子留学生となった山川捨松が中心的役割を果たすはずで、彼女の話も興味津々です。籠城戦のときに薩摩軍の指揮者の一人だった大山巌は、緒戦で負傷して療養を余儀なくされ、目立った活躍をできずに終わるのですが、その彼を傷つけた銃弾は、八重の撃ったものではないかとの説があり、ドラマでもそのように描かれていました。その大山巌の再婚相手となるのが山川捨松なのですから、この二人の結婚はかつての仇敵どうしの珍しい結婚ということになります。二人の結婚のとき、八重がどんな顔をするのか、興味津々です。

ところで、19日のブログでは、今井昭彦著『近代日本と戦死者祭祀』という本の記述を信頼して、「会津戦争のときの西軍は、戦いの勝負がついてからも長きにわたって東軍の戦死者の遺体埋葬を許さず、まるでギリシャ悲劇『アンティゴネー』の中のクレオンのような態度をとった」という話を書きましたが、そして、この「埋葬禁止令」という話は戊辰戦争史の通説のようになっているのですが、インターネットでよく調べてみたところ、近年、今井説に対しては異論が出てきており、特に『八重の桜』が籠城戦を描いた去る七月ごろからは、「賊軍にかぎっての埋葬禁止令」というのは史料の読み誤りであり、正しくないとの説が、かなり力を得てきていることがわかりました。

この「今井説への反論」を展開している中心人物は大山格という人で、何をかくそうあの大山巌・捨松夫妻の子孫だそうです。「大山格ホームページ」、「なぜ遺体は埋葬されなかったのか」で検索すると、彼の見解が出てきます。終わりのほうに「かく申す私は、薩摩藩士と会津藩士の血を同じ割合で引いています。しかも、曽祖父が鶴ヶ城を攻めていたとき、その将来の妻となる曽祖母は籠城していたのです」と書いてあります。

それを読んだうえで考えますと、19日の私のブログの記事は、少し勇み足を犯していたかもしれないなと、思えてきました。

靖国神社が「官軍戦死者の顕彰施設」として出発したこと、そこに日本のそれまでの慰霊の伝統に反する要素があったことは本当なのですが、そのことと、会津戦争のときの西軍の態度とを直接結びつけて、『アンティゴネー』を知らないやからのやった非情な仕打ちが、現在の靖国問題にも結びついている、と評するのは、ちょっと控えたほうがよかったかと思います。