参の段 序 『陽(ひ)に差す陰(かげ)』
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星輝かぬ夜空に水墨を垂 らしたような、更に深い闇。
闇
闇
──闇
その闇の中で
ぽつり
ぽつり
──ぽつりと灯 が灯 っていく。
その中に鎮座するは、日本刀を思わせる佇まいの男。
禅を組み、切れ長の瞼 を閉じて、闇と一体化しているかのようであった。
その切れ長の瞼が、すぅ……っと静かに開かれる。
「……憎鬼 か」
「──はい」
暗がりの中から灯火に照らされて、口ひげを蓄えた一人の壮年の男が現れた。
その風体古めかしく、燕尾服を纏 い、うやうやしく男に頭 を垂れる。
「──『穢 』の準備整いましたので、ご報告申し上げたく」
「──そうか。それで、その後の手はずは?」
「万事滞り なく」
淡々と静かに二人の会話が交わされる。
「それで、『あの二人』のことですが……『傀儡 』の呪法の準備整いましてございます……いかがなさいますか」
「今は捨て置け」
男は立ち上がって壮年の男を見た。
「己が何者であるかを知った時にこそ、その術の真価が試される。人は善なるか悪なるか──その試金石となろう」
「畏まり ました。──『邪鬼』様」
男は再び深く頭を垂れて、闇の中に消えていった。
ぽつり
ぽつり
──ぽつり
再び灯が消えていく。
そして邪鬼の面影が闇に溶け込んでいく。
「人は善なるか悪なるか──守るに値するものであるのか。その答えを見せてやろう。猛士の『鬼』達よ」
その言葉を最後に、最後の灯火が消え、邪鬼の姿は闇に完全に飲まれた。
東京都葛飾区柴又にある甘味処「たちばな」
普段は甘味を求めて老若男女の絶えない店だが、今日は「臨時休業」の看板が吊るされていた。
だがその中では、複数の男女が二振りの鉈とも短刀とも言えぬ『モノ』をじっと難しい顔で見つめていた。
「さて……これが問題の『物』と、言う事だね」
眼鏡をかけた壮年の男性──この「たちばな」の店長であり、関東猛士の『鬼』達を統括する役目を負った人間。勢地郎がその短刀に難しい視線を送っている。
「ところで、明日夢とひとみの方は大丈夫っすか」
愛嬌のある顔立ちに癖っ毛の若者──トドロキはむしろ後輩と従妹の様子が気になるようだった。
「それは大丈夫。猛士ゆかりの病院に今入院、検査中よ。……明日夢君とひとみちゃんが『変身』した調査も兼てね。ヒビキさんも明日にはその病院に転院することになるし、ご両親にも貧血で倒れたと言ってあるから。今のところ心配しなくてもいいと思う。
……多分」
美しい切れ長の目と墨を流したような黒髪を持つ女性──香須実が自信無げにそう請け負った。
「それよりもこれですね。京介君、明日夢君がこれを持った時に変身したのは間違いないんだね?」
涼やで端麗な顔立ちの青年──イブキは京介に視線を送ってそう言った。
「間違い無いかと言われると、少し自信が無いんですが……あいつが『変身』した時、これを持ってましたから、なんらかの係わりがあるんじゃないかと」
「ふむ……」
勢地郎は顎をさすりその短刀に手を伸ばした。
それを見て京介が慌てる。
「事務局長! それ迂闊に触っちゃ危ないですよ!」
だが勢地郎は躊躇 することなくその短刀を手に取った。
──何も起きない。
「あ、あれ?」
「どうして……?」
短刀に触れた経験のある京介とあきらが驚きを隠さずに息を呑む。
「どうやら『普通の人間』には、何の影響も出ないみたいだねぇ」
「本当っすか? どれ、俺にも」
トドロキがその短刀に手を伸ばすと、途端にバチッ!という破裂音がしたかと思うと、トドロキの体が店の壁まで軽々と吹き飛んだ。
「ああ!? お、お父ちゃん。大丈夫ですか!」
丸顔の愛らしい顔立ちの女性であり、トドロキの妻となった日菜佳が夫の元に駆け寄る。
「あっつう……だ、大丈夫大丈夫」
トドロキは妻の手前意地を張ってみせたが。
「あーっ!? 全然大丈夫じゃないです! 折角買った信楽焼きの狸さんがぁ~」
「心配するのそっちかよ!」
粉々になった信楽焼きの狸の前で、夫婦漫才を繰り広げる二人を尻目に、勢地郎は短刀を様々な角度で見定めていた。
そして柄の部分から一本の棒─刀剣では目釘と呼ばれるもの─を取り出して、柄をゆっくり引き抜いた。
そして刀身の柄あたる部分を見て、軽く目を開く。
更にもう一本も同じように柄を引き抜いた。
勢地郎は刀身の柄に差し込む部分──茎 を見比べ、驚きに更に目を開く。
「これは……いやまさか、こんなものが」
「事務局長?」
イブキの問いに答えず、勢地郎は静かに短刀を置き、ため息をついた。
「日菜佳、みてごらん」
「え?」
日菜佳は勢地郎手招きに、及び腰になってそろそろと近づいて柄の外された短刀を覗き込む。
そしてその愛らしい目が大きく見開かれた。
「ちっ父上!? これって、いやそんな!」
「何驚いているんすか。日菜佳」
「これが驚かずにいられますか! この柄の所に刻んである文字見てください!」
一同が覗き込むと、一方の茎には『髭切』もう一方には『膝切』と掘り込んである。
「なんすか。この妙な名前」
「妙じゃないですよぅ!」
呆れ顔の夫の顔に唾を飛ばしながら、日菜佳は熱弁した。
「二つとも有名な剣じゃないですかっ!
『髭切』は『鬼切』とも言われていて、渡辺綱 が一条戻橋で鬼の腕を斬った太刀。
『膝切』はその双子の剣で、源頼光が己を熱病に苦しめた『土蜘蛛』を切った、って言われてる太刀で『蜘蛛切』とも呼ばれている太刀ですっ。どっちも有名な剣ですよっ!
製作者は不明で、筑前国三笠郡の出山というところに住む唐国の鉄細工、ってだけ伝わってますけれど」
「なるほど……それで茎の銘 に作者の名前が刻まれてないんですね」
イブキが納得したように頷く。
「あ、あれ? でもこの剣。今は北野天満宮に奉納されているはずじゃぁ……?」
古事に詳しい日菜佳が首を捻るが、問題はそこではなかった。
「じゃあ、この剣って『鬼』と『魔化魍』を切った剣、ってことになりますよね?」
京介の問いに勢地郎が頷く 。
「そういうことに、なるかねぇ」
『陰』と『陽』──二つの異なる謂れ を持つ剣。
古来中国には『陰陽五行』という概念がある。全てはそれから成り立つと。
唐国の国の刀工が作ったとなれなれば、この二振りの剣にその属性が与えられていたとしても不思議では無い。
「でも、なんで安達君がこんなものを持っていたんでしょう?」
だが、あきらの問いに答えられる者は、この場には誰もいなかった。
──ただ、謎だけが深まるばかりであった。
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星輝かぬ夜空に水墨を
闇
闇
──闇
その闇の中で
ぽつり
ぽつり
──ぽつりと
その中に鎮座するは、日本刀を思わせる佇まいの男。
禅を組み、切れ長の
その切れ長の瞼が、すぅ……っと静かに開かれる。
「……
「──はい」
暗がりの中から灯火に照らされて、口ひげを蓄えた一人の壮年の男が現れた。
その風体古めかしく、燕尾服を
「──『
「──そうか。それで、その後の手はずは?」
「万事
淡々と静かに二人の会話が交わされる。
「それで、『あの二人』のことですが……『
「今は捨て置け」
男は立ち上がって壮年の男を見た。
「己が何者であるかを知った時にこそ、その術の真価が試される。人は善なるか悪なるか──その試金石となろう」
「
男は再び深く頭を垂れて、闇の中に消えていった。
ぽつり
ぽつり
──ぽつり
再び灯が消えていく。
そして邪鬼の面影が闇に溶け込んでいく。
「人は善なるか悪なるか──守るに値するものであるのか。その答えを見せてやろう。猛士の『鬼』達よ」
その言葉を最後に、最後の灯火が消え、邪鬼の姿は闇に完全に飲まれた。
東京都葛飾区柴又にある甘味処「たちばな」
普段は甘味を求めて老若男女の絶えない店だが、今日は「臨時休業」の看板が吊るされていた。
だがその中では、複数の男女が二振りの鉈とも短刀とも言えぬ『モノ』をじっと難しい顔で見つめていた。
「さて……これが問題の『物』と、言う事だね」
眼鏡をかけた壮年の男性──この「たちばな」の店長であり、関東猛士の『鬼』達を統括する役目を負った人間。勢地郎がその短刀に難しい視線を送っている。
「ところで、明日夢とひとみの方は大丈夫っすか」
愛嬌のある顔立ちに癖っ毛の若者──トドロキはむしろ後輩と従妹の様子が気になるようだった。
「それは大丈夫。猛士ゆかりの病院に今入院、検査中よ。……明日夢君とひとみちゃんが『変身』した調査も兼てね。ヒビキさんも明日にはその病院に転院することになるし、ご両親にも貧血で倒れたと言ってあるから。今のところ心配しなくてもいいと思う。
……多分」
美しい切れ長の目と墨を流したような黒髪を持つ女性──香須実が自信無げにそう請け負った。
「それよりもこれですね。京介君、明日夢君がこれを持った時に変身したのは間違いないんだね?」
涼やで端麗な顔立ちの青年──イブキは京介に視線を送ってそう言った。
「間違い無いかと言われると、少し自信が無いんですが……あいつが『変身』した時、これを持ってましたから、なんらかの係わりがあるんじゃないかと」
「ふむ……」
勢地郎は顎をさすりその短刀に手を伸ばした。
それを見て京介が慌てる。
「事務局長! それ迂闊に触っちゃ危ないですよ!」
だが勢地郎は
──何も起きない。
「あ、あれ?」
「どうして……?」
短刀に触れた経験のある京介とあきらが驚きを隠さずに息を呑む。
「どうやら『普通の人間』には、何の影響も出ないみたいだねぇ」
「本当っすか? どれ、俺にも」
トドロキがその短刀に手を伸ばすと、途端にバチッ!という破裂音がしたかと思うと、トドロキの体が店の壁まで軽々と吹き飛んだ。
「ああ!? お、お父ちゃん。大丈夫ですか!」
丸顔の愛らしい顔立ちの女性であり、トドロキの妻となった日菜佳が夫の元に駆け寄る。
「あっつう……だ、大丈夫大丈夫」
トドロキは妻の手前意地を張ってみせたが。
「あーっ!? 全然大丈夫じゃないです! 折角買った信楽焼きの狸さんがぁ~」
「心配するのそっちかよ!」
粉々になった信楽焼きの狸の前で、夫婦漫才を繰り広げる二人を尻目に、勢地郎は短刀を様々な角度で見定めていた。
そして柄の部分から一本の棒─刀剣では目釘と呼ばれるもの─を取り出して、柄をゆっくり引き抜いた。
そして刀身の柄あたる部分を見て、軽く目を開く。
更にもう一本も同じように柄を引き抜いた。
勢地郎は刀身の柄に差し込む部分──
「これは……いやまさか、こんなものが」
「事務局長?」
イブキの問いに答えず、勢地郎は静かに短刀を置き、ため息をついた。
「日菜佳、みてごらん」
「え?」
日菜佳は勢地郎手招きに、及び腰になってそろそろと近づいて柄の外された短刀を覗き込む。
そしてその愛らしい目が大きく見開かれた。
「ちっ父上!? これって、いやそんな!」
「何驚いているんすか。日菜佳」
「これが驚かずにいられますか! この柄の所に刻んである文字見てください!」
一同が覗き込むと、一方の茎には『髭切』もう一方には『膝切』と掘り込んである。
「なんすか。この妙な名前」
「妙じゃないですよぅ!」
呆れ顔の夫の顔に唾を飛ばしながら、日菜佳は熱弁した。
「二つとも有名な剣じゃないですかっ!
『髭切』は『鬼切』とも言われていて、
『膝切』はその双子の剣で、源頼光が己を熱病に苦しめた『土蜘蛛』を切った、って言われてる太刀で『蜘蛛切』とも呼ばれている太刀ですっ。どっちも有名な剣ですよっ!
製作者は不明で、筑前国三笠郡の出山というところに住む唐国の鉄細工、ってだけ伝わってますけれど」
「なるほど……それで茎の
イブキが納得したように頷く。
「あ、あれ? でもこの剣。今は北野天満宮に奉納されているはずじゃぁ……?」
古事に詳しい日菜佳が首を捻るが、問題はそこではなかった。
「じゃあ、この剣って『鬼』と『魔化魍』を切った剣、ってことになりますよね?」
京介の問いに勢地郎が
「そういうことに、なるかねぇ」
『陰』と『陽』──二つの異なる
古来中国には『陰陽五行』という概念がある。全てはそれから成り立つと。
唐国の国の刀工が作ったとなれなれば、この二振りの剣にその属性が与えられていたとしても不思議では無い。
「でも、なんで安達君がこんなものを持っていたんでしょう?」
だが、あきらの問いに答えられる者は、この場には誰もいなかった。
──ただ、謎だけが深まるばかりであった。
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