VR普及

 

結論「VRが燃え上がらないのは、キラーソフトのリリースをためらうメーカの罪。おそらくためらうのは廃人増えることを危惧する倫理的な問題。VRで物理ディスプレイは消滅する。エコロジー、SDGsのために」

 

 

 

2021年くらい、俺はOculus Quest2を買った。衝動的に「これだな」と思った。これは時代が来ると思った。

そう、PSVR1もやっていたのでVRの凄さは十二分に満足していた。

 

「・・・すべてのゲームはVRで新しく蘇る!」そう感じてた。スーパーマリオにしても、あの世界に入ることができる。前からクリボーが迫ってくる。・・・という体験をすることができるということだ。

 

Facebook社が消滅してMetaになった。これは来るぞと・・・思った。

それから2年経って、現在「VR。セカンドライフの二の舞」と言われている。

 

なぜquest2、PSVR2が盛り上がらないのか言うまでもない。

ソフト不足。以上。

 

何度も言っていることだけど、「VRは凄いが、体験しないとその凄さはわからない」そして「体験する機会が少ない。だから誰も凄さを知らないままでいる」。

 

一撃でこのVRの現状を変える手段はある。MMORPGのVR。

はっきり言えばファイナルファンタジー14がquest2、PSVR2に対応すればいいだけだ。

 

「VRの没入感」と言っても、ボクシングゲームやフィットネスゲームの話。

RPGに没入できたら真の意味でロールプレイを体験できることは明らかではないか。

 

確かにバイオハザード7、4は実験的でカプコンも手応えを感じたはずだった。

特に4はPSVR2より先にQuest2で先にリリースしたし、それを受けて…と言っていいかわからないが

PSVR2版バイオハザード4を販売予定だ。

Quest2で手応えを感じたからこそ…PSVR2でもいくぞ!と考えた、と思いたい。

 

ファイナルファンタジー14、もっと言えばGTAonlineのような「VRでリリースされるべきソフト」が野放しになっているのは、これは罪だ。

彼らは何を待っているのか?ハードか?MMO RPGの世界に依存することを恐れているのか?倫理なのか?

 

実際ファイナルファンタジーやGTAの世界をVRで体験できるとしたら、

これまでのようにディスプレイを見つめるプレイでさえ廃人勢は多いのだから

VRとなると世界への没入度は比ではない。

 

だから必要以上に盛り上げないとしか思えない。

 

もう一つ言いたいのは、VRをPCと接続して作業に使用して思うのだけど、

ヘッドマウントディスプレイ自体に、いくらでも仮装ディスプレイ、モニタを増やすことができる。

 

「ゲーミングディスプレイ!XXHzh、リフレッシュレートXX、30インチ、40インチ」

「4Kテレビ100インチ」

なんて家電量販店が店頭に並べる必要、なくならないか?と。

 

ヘッドマウントディスプレイでは映画館のスクリーンサイズのデスクトップをいくつも増やせるのだし、ましてや360度対応だ。「100インチテレビ」は無駄だし、作る必要もない。

 

画質がどうのこうの言うやつもいるかもしれないが、それはアンチSDGsということではないのか。

 

東芝とか、ソニーのテレビ部門の既得利権の問題になってくるのかもしれない。

 

しかしいずれ消えるだろう。

ヘッドマウントディスプレイがApple Glassになり、コンタクトレンズサイズとか、首のあたりにケーブルを直結させるみたいな時代が来れば。

 

ヘッドマウントディスプレイはさすがにでかいし気軽に使えないけど必要な時は使う。既に俺のMacBookにディスプレイは必要ないのだ。

 

と思ったことを一気に書いたのでChatGPT、この文章綺麗になおしといて!

 

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以下、Chatgptが直したもの

2021年ごろ、私はOculus Quest 2を衝動的に購入しました。この製品に対して「これだ!」という感じがしました。それは、この時代が到来したと思ったからです。以前にもPSVR1を体験していたので、VRの素晴らしさは十分に満足していました。

 

「...すべてのゲームがVRで新たに生まれ変わる!」という感覚がありました。例えば、スーパーマリオの世界に入り込んで、クリボーが迫ってくるといった体験ができるということです。

 

その後、Facebook社が消滅しMetaになったことにも気づきました。これは予想通りの展開だと思いました。そして2年が経過し、現在では「VRはセカンドライフの再来」と言われています。

 

なぜOculus Quest 2やPSVR2が盛り上がらないのか、その理由は明白です。ソフトウェアの不足です。これは何度も言われてきたことですが、「VRは素晴らしいが、体験しなければその素晴らしさがわからない」という事実があります。そして、体験する機会が少ないため、多くの人々がその素晴らしさを知ることなく過ごしています。

 

VRの現状を一気に変える手段が存在します。それはMMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game)のVRです。はっきり言ってしまえば、ファイナルファンタジー14がOculus Quest 2やPSVR2に対応すればいいだけのことです。

 

「VRの没入感」とは、ボクシングゲームやフィットネスゲームの話ではありません。RPGに没入することで、本当の意味でロールプレイを体験できることは明らかです。

 

確かに、バイオハザード7や4は実験的な試みであり、カプコンもその手応えを感じていたはずです。特にバイオハザード4は、PSVR2よりも先にOculus Quest 2でリリースされ、それがきっかけとなり、PSVR2版のバイオハザード4も販売予定です。

Oculus Quest 2で手応えを感じたからこそ、PSVR2でも挑戦しようと考えたのかもしれません。

 

ファイナルファンタジー14や、さらに言えばGTA Onlineのような「VRでリリースされるべきソフトウェア」が放置されていることは、本当に遺憾です。

 

彼らは一体何を待っているのでしょうか?ハードウェアの進化を待っているのでしょうか?それともMMO RPGの世界に対する懸念があるのでしょうか?それは倫理的な問題なのでしょうか?

 

実際にファイナルファンタジーやGTAの世界をVRで体験できるとしたら、これまでのようにディスプレイを見つめるだけのプレイでは既に廃人勢が多いのです。VRになれば、世界への没入度は比較になりません。

 

だからこそ、もっと盛り上げるべきだと思います。

 

もう一つ言いたいことは、PCと接続して作業に使用する際に感じることですが、ヘッドマウントディスプレイ自体には、仮装ディスプレイやモニタを何台でも増やすことができます。

 

「ゲーミングディスプレイ!XXHz、リフレッシュレートXX、30インチ、40インチ」といった店頭に並べられる必要性はなくなるのではないでしょうか?

 

ヘッドマウントディスプレイでは、映画館のスクリーンサイズのデスクトップを複数表示することができますし、さらに360度対応です。「100インチのテレビ」は無駄であり、作る必要もありません。

 

画質に関して懸念する人もいるかもしれませんが、それは持続可能な開発目標(SDGs)に反するものではないでしょうか。

東芝やソニーのテレビ部門の既得権益の問題に関連する可能性もあります。

 

しかし、それらはいずれ消えてしまうでしょう。ヘッドマウントディスプレイがApple G

lassのようになり、コンタクトレンズのようなサイズになったり、首の周りに直接ケーブルを接続する時代が訪れるかもしれません。

 

ヘッドマウントディスプレイは大きくて手軽に使えるものではありませんが、必要な時に使える存在です。

 

私のMacBookには既にディスプレイは必要ありません。 

親がエホバの証人だった。

正直、相当、親とは揉めてた。かなりの口論をいつもしてた覚えがある。

それについて書きたい。

 

結論から言えば俺の知る限りエホバの証人は今さらら大騒ぎする問題ではないと考える。

問題はある。

あるし、今同じように親からの押し付けに苦しんでる人もいるはず。

それは良くないし何らかの形で改善すべき。

 

ただ、安倍元総理の件の統一教会ですか、そのあたりから宗教、問題っていう話が持ち上がってきてる中で

「なんで今エホバなん?」っていう。

 

わかりやすいんでしょうね。子供に輸血させない、とか。槍玉に上げやすい。吊しあげやすい。それで「誰かさんに」ターゲットにされてるんだろうなと。

 

家にエホバが、子供連れて来た、なんて話もよく聞く。

あるあるです。もう今はやってないらしいですが。巡回訪問と言いましたね。

最近は駅前で本持って立ってるのを見かけるくらいだ。

 

俺はいきなり監禁してお経読み上げさせられてそのままなんかの会館に連行されて入信届にサインさせられたことがあった。

その類の宗教がいくらでもある。それに比べたらエホバの証人は全然かわいいもの。

 

「エホバの証人の勧誘がしつこくて悩んでる」ということは、ない。

誰でも家にいきなり来られたことはあると思う。帰れと言えば、エホバは帰る。来るなと言えば来ない。

彼らは「ガチ」なので、「本気で一緒に楽園に行ける人」を「真面目に」探してる。

 

(今は家は回ってないと思うけど)

エホバの証人は脈がなさそうな人を相手にしている暇がないわけ。

明日にも世界がハルマゲドンでアレしてしまうかもしれない、エホバに貢献することで楽園に行けるか行けないかマジで危機感持ってるわけ。

 

だから強引な勧誘は、ない。している暇がない。

 

本当に敵に回したらまずい宗教団体がある。それはやっぱり叩くこと自体も日本ではタブーなんだ。

そこでエホバでいいんじゃねえのという話だろう。

 

 

以上だけど、家庭内の問題となるとこれはまずいこともある。

 

それについて書くとする。

 

幼い頃から、そう、小学校低学年頃からだと思う。

聖書研究というものがいつもあった。

 

自分の家や「兄弟」「姉妹」(と呼び合う)の家に行って、聖書と、ものみの塔やら目覚めよという冊子

あるいはさまざまな「本」。教えについて書かれた本を使って、エホバの教えを勉強するのだ。

 

これは心底つまらなかったし、いつもうんざりしていた。

またその本っていうのが、たいてい、章とかごとに「ちゃんと理解しましたか確認クイズ」があって、

 

それでちゃんと全部理解したかと確認される。退屈で仕方がなかった。

 

そうこうしているうちに中学に入る頃には「集会」にも通わされたし、日曜には朝から「王国会館」に連れて行かれていた。

今はだいぶ少なくなったと思う。王国会館。いわゆる集会所。

これは基本、全部エホバの証人の信者というか。エホバの証人が手作りで作っていたはず。

 

それはいいとして。

 

とにかく、毎週何曜、何曜、何曜の何時、って、集会に行かせられるのが辛かったし

やっぱり国旗は禁止とか、クリスマス、正月禁止っていうのはたくさんあった。

 

いちばん困ったのは校歌。歌っちゃいけない。

これはどうやっても、いつか「あいつなんで歌ってないんだ」「宗教じゃないのか」とばれる日が来る。

 

ある時体育館で授業があって、一人一人ピアノに合わせて校歌を歌えということがあった。

俺のクラスにはもう一人同じ境遇のような男子がいて、

彼は信仰心があった。俺はかなりなかった。

 

列に並んで、一人一人歌わされるのだ。

俺の番が来て、俺は歌った。よし。と教師。

 

この時後ろにいた彼の心境を思うと本当に心が痛む。

俺が校歌を歌ったのを見て、さぞ悲しい想いをしたと思う。

 

彼の番が来た。「歌えません」と言った。

「何!?」と教師。「何だと!?なんだお前!」と。

「・・・信仰心で、歌えません」彼は言った。

「何がエホバだぁ!この野郎!」その男性教師は竹刀で、クラス皆が見ている前で彼をボッコボコにした。

 

昭和だ。

 

とはいえ公立中学での出来事。昭和でも大問題になってもおかしくない。

俺ら法律職はまず憲法を勉強する。判例でまず叩き込まれるのがエホバの証人事件で、

輸血拒否事件が有名だが、高校で剣道の授業に参加を拒否したら退学になったという事件があって。

一応、両方ともエホバが勝訴してる判例があるので。

 

そのめったうちにされた彼に対して、教師酷すぎると思ったが、彼に対しての申し訳なさというものは

正直なかった。俺には信仰心がなかったので。

 

例えば考えてほしい。

この場合、悪いのは誰か?

 

エホバの証人という宗教か。それを教えたであろう彼の親か。殴った教師か。

それは一度何も見ずにあなた自身が考えたらいいと思う。

 

集会。

これは決まった日にあって、確かエリアでは火曜日だったと思う。7時くらいか。

中学生だ。まだ外にいても不思議じゃない。

 

それが決まった時間になると、帰らなければいけない、ということが続くと周りも怪しい目で見てくる。

「宗教じゃねえのか」と。それはいじめに繋がった。多くを語りはしまいが、自殺未遂は2回した。

 

ということがあった。

 

親は宗教を押し付けることに全く悪い気持ちはなかった。当たり前の話。どこにでもある話。死んだ後、楽園で永遠に過ごせるためにあなたのためを思って〜という、ふつうの話。何も珍しくない。

 

永遠に生きるのってだるすぎない?と普通に思っていた。

 

その頃プロレスにはまり出して、もちろん暴力は禁止(それはそれでエホバいいのでは。あ、ムチはやるか)なので、

プロレスを見てはいけないということになり、さすがにもう無理ってなった。

 

タバコも駄目だろう。もし永遠に生きられる楽園にタバコを持ち込んでいいというなら、ちょっとはエホバ、考えるかもしれない。でも煙草も吸えないような場所は、残念ながらおれには地獄なのだ・・・。

 

プロレスがだめ、で思い出したが、暴力的な漫画、アニメもだめで、そこでドラゴンボール。

その頃、セルのストーリーだった。

 

そこで、ミスターサタンが出てくる。

「サ、タ、ン!サ・タ・ン!!」というシーンとか、よくあった。サタン、悪魔サタンっていうのは

エホバに対するもの、悪の象徴っていうことだけど、これはエホバは鬼の首を取ったように、「見なさい、サタンがこんなふうに描かれてる漫画が大人気ということこそ、世(社会のこと)が大いなるバビロン(だいたい悪魔みたいな意味)っていう証拠なんだ!!」と言われたものだった。

 

 

あとエピソードとして。

「鞭」これは、あった。

 

聖書のどこか、忘れたけど、むちでしつける、みたいな記述があったんだろう。

 

ある時集会で、小さい、小学校中学年くらいの子供とその母親が来ていて、

多分、前述の「理解してますかクイズ」について、誰か答えられますか?というシーンで、当てられたか何かあったと思う。

あるいは寝ちゃってたとか。

 

俺の親とその二人家族は家が近かったので同じ車で帰ることがあって、その時もそうだった。

その時彼の母親は怒っていた。

 

それで言った。「帰ったら鞭だよ・・・!」車の中、その母親以外血の気が引いた。

 

実際、その家からはしょっちゅう、子供が泣き叫ぶ声が聞こえていた。

俺の家からは「もう集会とか嫌だ!!」という叫びが響き渡っていたと思う。

 

それから10年くらいしても、実家に帰った時など、その子供が荒れ狂った叫びをあげていたのを聞いたことがある。

それはそう育つでしょう。

 

こうして宗教に強い抵抗を抱くようになった。

 

 

最後に、一つエピソードを紹介したい。

 

20代になり東京で暮らし始め、しばらくした頃、部屋にエホバの証人の夫婦が訪れた。

エホバをご存知ですかという。

 

さすがに興味もなかったが、ああ子供の頃からよくやらされてましたよという話をした。

暑い中来てもらって悪いけど、もううんざりですが笑と。

 

 

その老夫婦・・・と言っていいくらいの歳の夫婦。

そうでしたか、大変だったんですねと夫の方が言った。

 

「実は私も同じで、結婚したらこの妻がエホバだ、楽園だって押し付けてくるわけですよ」と。

「もう嫌で嫌で仕方なかったし、いつも口論ばっかりでしたよ。どうしようか、離婚しようかといつも思って過ごしてました」と。

 

「ある日考えたんですよ」、と夫。

「こっちが受け入れてみたら何か変わるんじゃないかな?って」と。

 

「本当に嫌だったけど、それで妻が喜んでくれて、幸せならそれでいいんじゃないかと。今はまあ、こうして回ってますよ。幸せですよ」と笑顔で彼は言った。

 

俺は今でもそれを忘れない。彼の優しさと広い心は、神そのものだった。

 

夜、2時でも3時でも同じ酒を飲みながらLINEするほど仲が良かった

いつも飲んだり話しながら一緒に寝落ち。目が覚めたら通話時間13時間になってて「おお、繋がってたか・・」

 

 

最近はTwitterの話をすることがとても多くなった。

ずっとTwitterの「スペース」というチャットにいるようだった。

 

ただいま、帰った。酒飲みながら話そうぜ

そんなLINEを送っても、既読も付かないようになった。

そんな時間、Twitterで誰かとずっと話をしていた。

 

LINEならメッセージが届くと、携帯に上から通知が来るだろう。

Twitterで「スペース」で誰かと話をしている間、その上から降りてくる俺の通知を上にスワイプして消して、話しているのがわかった。

 

それは悲しかったけれど、我慢した。

 

そういう夜、寝て、朝起きて、昼になっても、その、昨日の「帰った、酒飲もうぜ」も既読も付かなくなった。

 

何か質問をしたり、その昼の時点で話しかけると返事が来ることもあった。その時点で、前日の「帰った、酒飲もうぜ」まで、一気に既読が付く。

 

ただ、返事が来るのは最後に話しかけたことだけで、何か聞いたことがあっても、読みさえもしていないようだった。

 

LINEで7時間、8時間、話を聞いて、話していたのが、徐々にそうなってしまったこと

LINEで話しかけたことが読まれてもいないこと

 

それは怒りでもないし嫉妬もあるかもしれないけれど100%の中の1%、2%くらいのことであって、

98パーセント、悲しかった

 

もうよくわからなくなって、LINEで話しかけたことにツイートで返事をしているような感じのようだった。

 

だんだん、手紙を送るとか、こういう話を後でしようとか、約束したことも、

その時薬を飲んでいたからわからないとか、知らないとか、覚えていないようになって

 

そんなことについても、「いや、約束をしただろう」とか言うこともしなかった。

ただ我慢した。忘れていたことを責めたり追求しても、仕方がないことだと思ったから。

 

同じことを、「約束を守れ」と言っても、争いにしかならないと思った。

だから我慢した

文字と声のやりとりじゃ

喧嘩になっても誤解にしかならない

 

それくらいなら、我慢してたほうがましだと思った

 

こちらの言葉も届いてないみたい

 

ずっと悲しかった

伝えようとすること 伝わらないこと 誤解になること も

 

それでも約束忘れられてたりしても

言い争いになるより、我慢してたのは1年後、2年後、5年後、10年後も失いたくなかったから

 

 

今 何も言うことも、ない

別に、俺が何か変わったこともこれまでも今もない

何も俺は変わってないから

 

怒りがあるとか、恨みがあるとか、むかつくとか、ぜんぜんなくて

ただずっと味方でいると思ってるし

悲しさがあるだけ

 

 

 

シュレディンガーの猫だとか、量子力学だとか、プレートに光やら、波やらを当てたところ観測することによって世界が変わるという説は、水曜日でなくても一般的で通説だ。

 

どういうことかと言えば、世界は無限に存在するということだ。格好をつけて言えば、「きみの可能性は、無限なんだ」ということである。

それが科学的には正しいということだ。箱の中の猫が生きているか死んでいるか。生きている可能性も死んでいる可能性も、きみ次第だということだ。

 

冗談ではなくそれが量子力学的な常識なのだ。

 

それはつまり、いわゆるパラレルワールドという存在が正しいということになる。

単に、ジャンケンをするとして、きみがグーを出すかチョキを出すかパーを出すかという単純な話じゃない。

未来はそんなに単純なものではない。

きみがジャン、ケン、といった後に人差し指を突き出すかもしれない。中指を突き立てるかもしれない。親指を突き出してサミングを仕掛けてくるかもしれない。そういった意味で「無限」なのである。

 

そこで思い起こすのがジョン・タイターという人物だ。

ジョン・タイターとは、2000年前後に、おれは未来から来たと掲示板に書き込みをした自称タイムトラベラーである。

この人がどういう予言をしたとか、当たったとか外れたとか、信じるとか信じないとかは、別の問題だ。どうせ予言が外れても、自分が過去に来たことで歴史が変わったというのだ。

 

それより注意を惹かれてしまう言葉を彼は残している。

ググったりしないので細かい違いはあるかもしれないが、こんなことを言っている。

 

「私が来た時代では善悪の概念がこの時代とは大きく異なっている。ある人が取る行動のすべては、どんな行動だとしてもそれは可能性の一つとして、ありえるからである」

 

ウィキペディアあたりにもっとわかりやすい言葉が残っていると思う。

 

つまり、こういうことだと解釈する。

「飲酒運転で事故を起こしたあいつは死刑にすべきだ」

「サリンを撒くような教祖は殺してしまえ」

「大量殺人を起こしたあいつは死刑にしろ」

 

そんな当たり前に聞こえる声。

それが、未来の時代では「それをしたのが、あなた自身だったかもしれない」「たまたまこの世界のあなたがそれをしていないだけにすぎない」という考えが強く、通説として広まっているということだろう。

おれが麻原彰晃みたいなことをする世界線もあるかもしれないし、大量殺人をする世界線もあるかもしれないのだと。

 

どんなきっかけによればそのような考えが広まるのか、通説になるのか、考えもつかない。

タイムトラベラーより間違いがないと信じるに足りるような、ドラえもんのような存在がもしもボックスでこの世界に現れるとか、

そのくらいのインパクトがなければそのような考えが当たり前になることはないのではないか。

 

2000年あたり、ジョン・タイターが現れてその言葉を残した頃にはそこまで量子力学的な考えはなかったのではないか。

それなのに、「おれの世界では、こうだぜ」と言う。2022年頃、徐々にそれに追いついている。そこに不思議な興味を抱くのである。

 

世界はいくつも存在する。メタであり、マインクラフトでもあり、パラレルでもある。どれも現実に違いあるまい。

スペックあるPCなくてもQuest2上でSteam・SteamVRを動作させることができるというありえない話を聞く

 

1.だめもとで試してみようと思い立つ

2.plutosphereというアプリで動かせるらしい 仮想PCを構築するらしい

3.plutosphereはsidequestで動かすらしい

4.sidequestをそもそもよくわかっていない

5.M1がまだ乗っていないMacBookAirにsidequestをインストールする。してみた。

6.sidequestを起動してみた

7.しかしsidequestがデバイスと接続できない

8.quest2のAirLink機能を使うがどうしてもMacと接続できない VirtualDesktopで接続できるのに

9.Oculusアプリを更新してみようとする

10.なんとOculusアプリがMacOSだとM1チップが最低動作環境になっている。

Oculus公式アプリを起動もインストールもアップデートもできずに完全に途方に暮れる

11.BootCampでWindows側からいちからやるしかないのかと完全にやる気をなくす

12.やむをえずUSB-C USB-Cのケーブルを引っ張り出してQuest2とMacを繋ぐとsidequestがquest2を認識しはじめる

13.quest2にplutosphereを入れることができたっぽいがquest2側のどこに入ったのかわからない

14.アプリ一覧の右上のとこから入れる「非公認アプリ」みたいなとこにあることにようやく気が付く

15.plutosphereをやっとquest2単体で動かせることができる

16.plutosphereにトークンがないと言われるので600トークン買う

17.iPhoneのブラウザ上からplutosphereのダッシュボードにアクセスする。plutosphereの仮装PCにConnectingから全然進まないのでブラウザを閉じたり開いたり、Connecting…のままシャットダウンしたりいろいろやって、やっとConnectedに成功する

18.これをquest2でやればSteam動かせそう、今ここ

 

日本では学校という場所はもはやあってはならない場所だとさえ思う。

 

あまりにも危険すぎる。

身体的、精神的な危険が、単純に大きすぎる。

 

ふつうは人が人を殴れ傷つければ事件だけど、

学校ではいじめになる。

 

学校が苦しくて死んだと認定されるのは1年に300人くらいいるらしいけど

学校や教育委員会が認定した数らしいので、実際はその300倍くらいいるだろう。

 

少数の子供が、精神的に死ぬまで追い込まれることを許容するということが、

許されるべきではない。

 

中学校に行かない宣言をしたYoutuberがいるそうだが、

とても自由で意義のある選択だ。

 

それに対してシバターというYouTuber(嫌いではない。プロレスラーだし)が

「学校は本当の友達ができる」

という。

これは普通に「本当の友達」などが意味不明で、よくわからない。

周囲の人間関係を考える時「あいつは友達だ」「こいつは本当の友達だ」と分けるのだろうか。

長く付き合える関係だろうか。そんなもの環境にもよるし人にもよるし、

命の危険を賭けてまで作るものではない。

 

俺の親は、俺が学校で毎日制服やシャツをカッターで切り裂かれて苦しんでいた時、

テレビの「いじめ特集」を真剣に見ながら、「もしあんたたちが学校でいじめに遭ってたとしたら、私死ぬかもしれないわ」と言っていた。

 

そんなこと人に言える話ではないし、気づいても親は否定したいのだ。

 

「家では勉強できない」ともシバターは言っているが、

昭和か。

 

満員電車で携帯を見ている大勢のうち何人かは、学校や資格の動画を見たり問題集を解いているはずだ。

 

 

何より、「中学校不登校宣言」で、その選択肢を与えられる大勢は間違いなくいるはずだ。

選択するかは別として、選択肢を与えることだけでも、それは少なからずの人の救いになる。

 

 

 

 

 

 

 

酷い有様。

 

死ぬまでこれを繰り返すのか。

知恵のある者は歴史から学び愚か者は経験から学ぶ。

 

学んでいない。

 

 

危うすぎる。

 

この4,5か月は特に破滅に進んだと思う。

 

散財。

何を買ったかと思えば。

 

この2か月ほどは、コロナに関する申請の審査を主に行っていた。

と言えば聞こえは悪くはないが、実際は、酒を飲んでいたわけではないが、

酔いつぶれながら仕事をしていたようなものだった。

 

躁はこの10年か、生まれて以来いちばんひどいだろう。

わかっていて繰り返す完全徹夜。

 

…「躁 徹夜」で検索すると、

躁鬱でもっとも避けなければいけないのが、徹夜というのが

一般的な認識らしい。

 

この状態で、責任ある仕事をしようとしているのか。

 

本当に、良いのか。

 

結局、進むだろう。

健全な人であれば、必ず止められる…。

しかし今作ろうとしているものは、ことは、

まさに、躁であるということも含めて自分だということを

証明することではないのか。

 

躁鬱は危険だ。

自分も人も傷付ける。

 

それは今もよくわかっている……

 

この状態のメリットなど語ることははばかられるのだろう。

はばかられるけれど

良くはないことなのだろうけれど

 

それが当たり前だった。

 

ずっとそれが自分だった。

それが、治し矯正すべきものだと言われても、

その先にある自分が誰だというのか。

 

 

躁鬱病は双極性障害という。

この病名を伝えて即労働契約を解除させられたこともある。

 

 

この大波の上にいる今も、

ああ、迷惑を掛けてしまった

 

そう思うことばかりで。

 

 

ずっとそうだった。

 

やれる時にやっておきたい。

 

特定非営利法人を設立しての活動を。

 

それが、原動力というべきものが、なんであろうと

「やりたい」という気持ちそのものは大事に積み重ねられてきたもので

崩すことのできないまさに真実だ。