「死ねば助かるのに」と思った


「死ねば助かるのに」

昨夜から何度も考えていた言葉だ。

有名な漫画
「アカギ」の最も最初のシーン。

命を賭けた麻雀をする男。
が。
危険な状況に追い込まれる。

男は助かろうと、安全な道を選ぼうとする。
勝とうと思えば勝ちを狙えるのに、現状を維持しようとする。

そこにアカギが言う言葉……
それが
「死ねば助かるのに……」


そう。
死ねば助かるのだ。

一度、死ぬこと。
死んだと思うこと。
命を捨てること。

面接でもそうだ。
恋愛でもそうだろう。
仕事でもそうだ

死ね。
一度死ね。

そう自分に言い聞かせた。

そうだ?

死ねば、もう怖いものなど、
ないではないか……。

その先になにがあるか?
勝ちがあるか?
それともやはり、負けて犬のように這いつくばって死ぬか?

それはわからない。

けれど一度死んでしまえば、恐れることは、ないんだ……。

死んだと思うこと。

それはなにも、投げやりになれということじゃない。!

尽くすべきことを尽くして、死ねということだ。

そうして、死ぬ。

そうして、
おれは今日、

死んだ……。

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とりあえず、いろいろやってます。

福祉関係に携わったり。
知ってます?就労移行支援事業所。

トーマははたちのころ、
浮世真理子という方の
「あなたも20代、30代でカウンセラーになれる」という本を手に取り、その人のプロカウンセラー養成講座に通い始めました。

その目標は間も無く実現する予定です。

そして思うところあり、
嘘です。思いつきで小説を書き出しています。

ガスライト - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/1177354054883929324

とりあえずのデビュー作がこれです。5分で読めるショートショート。
平成の夢野久作を気取るわけではありませんが、
ドグラ・マグラのような、何度も読み返す、深く考えれば考えるほど悪夢に迷い込むような恐怖を込めた作品を書いたつもりです。
(そんなもんを彼や彼女やみんなにすすめるなよ)

よければ、星やコメントなど評価くださいませ^ - ^


それと、友人(といっていいか?)に、近所にゲーセンがあると教えられて連れられて行ってはまったのが、クイズです。

クイズマジックアカデミー。

このゲームというより、クイズそのものを、すごいなって思うようになり、クイズが大好きになりました。

ナナマルサンバツとか、いま、アニメでもやってますね。
原作も大好きです。
マジックアカデミーのガチ勢には、お金がないのでなれそうにはありませんが。

友人には、サルのようにマジアカをやっているな、サルサルアカデミーだ、と言われています。

そのゲーセンにはマジックアカデミーが二台あって、いつもトーマが行くといる人がいます。全国ランカーで、上位10位には常駐しているようです。

彼はサルというか、悟空だと思います。孫と呼びたい。あっ、ソンがいる!みたいな。カカロットです。


あと、裁判をやります。今日、弁護士から連絡があり、「訴状を出せ」と言ってきたので、訴状を作らなければなりません。面倒で、うんざりで、少し落ち込んでいます。立ち直りたいです。

これは例の、嫌がらせによるマンション退去の件です。これから過去のブログを読んで記録を集めなければなりません。


そんなこんなで、いろいろやっています。

生きるには、時間が足りません。
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夕方、東西線某駅の立ち飲み屋で飲んでいたら、転職活動を行なっている仲間からお誘いいただき、都営新宿線で新宿へ。(いいなあ、この「東京!」って感じ。だから東京、好き)
いい酒を飲ませていただきました。

そこで話していて思うのは、面接にしろ書類選考にしろ、通る人は通るべくして通っている。数打ちゃ当たるって、思ってない。通るだけの努力をしている。さすがだな、と。
自分も通るためにはそれだけの、それ以上のことをしなければいけない。もはやプライドは…捨てる。
プライドを捨てることは、対外的にはやっていたかもしれない。「おっ、トーマはプライドを捨てているな、やる気だな」と見てもらえるように。?
しかし、より、もっと、内面的にプライドを捨てていかなければ前には進めない。積極的に、教えを乞うとか、評価をしてもらうとか。

しかし…迷走しているのか?

行政書士として独立をする⇨金がいる
行政書士として就職する⇨いつまで?

復活メールマガジン

転職活動仲間のY氏は一見実にさわやかな風貌の男で、それだけでなく、たとえば面接だとか、相当の練習を積んでることがわかる、好青年だ。

彼と先日飲む機会があり、酒のせいで舌が滑ったのもあって、いろいろな打ち明け話もした。

そこで、
以前発行していて放置していたメールマガジン
「精神病院の中」を教えた。
すぐに読んでくれたみたいで、いろいろな感想をくれた。 本として読めないですかね?と言ってくれたのが嬉しくて、
それは以前から考えていたけど当たり前の話、黙っていても出版社が連絡をくれるはずもないのである。

身近にも、精神病院の生活を漫画で出している友人がいる。彼女のような本を出してみたい、という気持ちもある。

ということで、少し動いている。
まだ動きはないが、動いたらまたここでかこうではないか。

転職活動中

毎日の睡眠時間を少し縮めている。
というか、たとえば毎日決められた時間、7時0分に起きるよりも、レム睡眠とノンレム睡眠のはざまに合わせた好きな時間に起きれば、たとえ睡眠時間が短くても、楽に動けることに気づいた。

今日は森博嗣の新刊が出ていたので、午後1時から3時までを完全な読書タイムとして読み切った。とはいえ、速読する作品ではないなと思う。



転職活動中である。

「お前は試験合格しておいて、まだ独立しないのか?何をやっている?」これは自分に向けた言葉。じゅうじゅう承知している。

わかってる。
同期合格の人が、Facebookで、「これから建設業の許可申請です!」なんていうのを見て、歯痒い思いをしている。しかし今は金がないので、稼ぐことが独立への最短ルート。

言い訳はこのくらいにする。

名前を出してしまうが、リタリコという場所に通っている。転職支援の事務所といったところ。

ここの人たちには、スタッフ、メンバー含めてとてもお世話になっている。

メンバーはみな、目的、目標が同じだから、協力しあえる。こちらも、恥を忍んでというか、プライドなんか関係なしに、「俺の悪いところないか?」みたいな話ができる。フィードバックがしあえる。

まあ、このへんについてはまた書く。

図書館へ

一般に、友達とか、友達になりたい人とかが好きなゲームとか、小説とか、映画だとかを知ったからといって必ずしも趣味が合うわけではない。
けれどその人が好きなものに触れてみたいという気持ちが、よくある。

ふと思い立って転居後初めて図書館に行った。
いつも通勤?に使っているバス停の目の前だった。
非常に本の場所がわかりづらい図書館だった。
あの、文庫なんかの「B911.5」みたいな場所指定の番号は、全国共通なんじゃないか。法令で統一されている可能性もある。
検索したところ、やはりそのようだ。日本十進分類法とかいうもので定められているようだ。
蔵書が比較的少ない図書館ほど、棚に並べられている本の幅が少ないから見つけづらいようだ。
「最果タヒ」という詩人の詩集が見つけづらかった。

2週間ほど前から日記を付けている。君の名はみたいに、日記アプリだ。

詩か。
いっときなど、同人の詩集雑誌(マイ詩集)に投稿していたこともあったっけ。

最近起床時間を30分早めた。30分早めたことで、時間の余裕ができて牛丼屋で朝食を摂ることが多くなったのがデブになる要因の一つだろう。

書けることはそのくらい。また明日。

俺はどこまでデブになったか?

このあたりでひとつ、書いておかなければならない事だろう。

避けては通れないことのひとつである。

 

トーマはどこまでデブになったか?

 

これについては人によって評価が異なるけれど、

確実な事は、昔のトーマを知っているひとが今俺をみると、明らかにでぶになったと言われる。

 

いちばん体重が落ちていたのが4年前で、45キロくらいだった。これは行政書士試験に打ち込んでいた時期である。

 

その4年前から徐々にデブになっていったわけ。

 

そして絶頂期は2015年から2016年にかけてだ。この時期は本当にひどく、覚えているのが、用事があって役所に行った時、顔馴染みの窓口の担当に「いやあ、(身体が)ご立派になられて・・」と言われたことを覚えているし、1年ぶりに再会した元恋人に、あまりの変貌ぶりに逃げられたことを覚えている。

 

これは、「飲めば必ず太る薬」として超有名な「ジプレキサ」を飲んでいた時期で、

2017年になって、友人、身内からも「去年は本当にすごかった」「顔なんかぶっくぶくだったよね」と今、言われる。

 

その時期に比べれば、少しはましになったと言えるけれど、それでも、酒を飲んでいれば友達からは「トーマ君、おなかすごいなあ」と言われるのだから、これはもう、酒どころか、涙をのむしかない。

 

「おなかへこますよう、意識したほうが、ええで。インナーマッスルが弱いから、胃が外に出っ張ってくるんよ。おなかへこますようにしたら、おなかなんかすぐへこむから」と友人に言われて、歩くときなんか、へこますように意識してる。

 

2016年は相当、運動はやった。

ここにも書いたと思うけれど、1日2時間、映画1本を見ながらのランニングマシンでのトレーニングもやったし、それに加えて5Kmのランニングをやった。

これが、びっくりするほど効果がなかった。

 

やはりダイエットは食事が9割、か。

 

今は食べても食べなくても、5?Kgプラマイ3Kgをうろうろしている。

酒をやめれば体重が落ちると言うのであれば、いくらでもやめるのだが//

 

 

 

躁病は友を失う(か

入院中の話だが、Aという男がいた。今年の話だ。

彼とは入院中は話もしたし、それなりに親密であった。

彼は入院中は鬱という診断だったと思う。

 

だが、俺は彼から躁鬱の気配を感じた。

 

それもあって、退院してから彼との連絡はほとんど断っていた。

「躁と関わっても不快になるだけ」だということはわかっていたし、

そもそもどんなに入院中に仲が良くても、よほどのことがなければ、

たいていは、連絡が途絶えてしまうことは、くじらの何回かの入院生活でよくわかっていた。

 

退院後、何回も掛かってくる電話を、うっかり取ってしまった事があった。

それは、こんな話だったと思う。

「車をぶつけられて、怪我をした。今の俺は無職だけど、働いていることにして、加害者に『仕事を休んだ分の給料を払え』と請求したい。そこで、お前、行政書士だろ。お前が給料の明細書を偽造しろ。お前、書類作るのが仕事だろ?お前、やれ。いいな?報酬は払う。いくらだ?」

 

馬鹿馬鹿しい話である。電話を取った事をひどく後悔した。こんな詐欺の話になんか、つき合っていられない。

 

Aはひとを「お前」と呼ぶやつじゃなかった。だから、完全に躁なのは明らかだった。

二度と関わるまいと思った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そしてこの2週間ほど、俺も同じ躁に陥ってしまっていた。

恋人も、友人たちも、電話口での俺の躁状態のテンションに戸惑っているのはわかった。

 

俺が思っていた「躁と関わっても不快になるだけ」という気持ちは、そのまま、そっくり自分の印象として返ってきたのであった。

 

それから今日まで、友人たちは電話をくれなくなった。

俺から電話をしても、出てくれなくなったし、LINEで謝っても、そこにはもはや既読さえ付けてくれなくなった。

 

昨日、電話に出てくれたものの、出たのはなぜか友人の子供たちだった。

「私は出たくないから代わりに出て」と言ったのは明らかだった。

 

泣きたい気持ちだけれど、それが自分の病気のためで、

それで迷惑をかけてしまったのだとするならば、それはもう、どうしようもないと思った。

 

謝っても許さないというのであれば、それが俺というものだというのであれば、

その自分を受け入れるしかない。現状を我慢するしかない。

 

やけになってもいけない。やけになって「LINEに出てくれないならもういいよ」みたいな捨て台詞をはいて、本当に終わりにしてはいけない。

 

涙を飲んで、後悔して、それが自分だと受け入れて前に進むしかないではないか。

人間、生きてさえいればいつか許してくれるかもしれない。

こぼした水は元には戻らないが、水はまた酌む事ができる。

 

無視されて、つらい。

昨日の、電話にも出てくれなくなかったのは、とてもつらかった。

 

 

 

 

 

 

   

17歳のカルテ2 強制入院について

正直、俺には強制入院について、一定した意見を持てないところがある。

「思春期病棟の少女たち」を読むと、強制入院させられた女子が「弁護士を呼ぶわ」と叫ぶシーンがある。

これを読むと、アメリカでは、極めて人権侵害のおそれの強い強制入院に、裁判所が関与するようだ。

これは至極当然のことで、普通、犯罪を犯せば必ず裁判にかけられ、被疑者には弁護士が付けられる。被疑者の人権を保護するためだ。

同じく、人の人権を強く制限する「強制入院」制度にも、そこに過ちが起こらないように裁判所による審査が行われるべきであり、行政書士のような法律家が弁護を行うべきだ。

一人、二人の医者の判断だけによって、何か月、あるいは何年、リサについては8年、人によっては10年、20年拘束されるということは、あってはならないことのはずなのだから。

トーマが17歳の頃のケースで言えば、
日本においては「2名(2名以上?3名?)の精神科医が、強制入院させるべきことに同意した場合のみ強制入院が認められる」だったと思うが、トーマの場合はこうであった。

その民間の精神病院に連れていかれて、院長が診察室にいる。

そこには、院長の他に、部下の医師が2人いる。
院長が「強制入院だ。同意するね?」と部下の医師にうながす。
「同意します」
「はい、同意します」
部下の医師がそう返答したのを覚えている。
それを見て、院長の判断に、軽々しく反対意見を述べる職員の医師などいるものか、と思ったものである。

もちろん、17歳のトーマのその時の状況が明らかに強制入院に同意せざるを得ないものだったことを必ずしも否定する気は無い。

スザンナケイセンも、入院について、治療が必要なことについて、ある時期からは素直に認めていたと思う。

強制入院が明らかに必要なケースというものはあると思う。

たとえば、17歳のトーマがいた病棟には何人も、人を殺したことがある患者がいた。

トーマの向かいのベッドの患者はつい二、三日前、新聞配達から帰ってきた母親をバットで殴り殺した男だった。

この男は逮捕されて新聞記事にも載ったが、病気を理由に不起訴になり、病棟に入ってきたものだった。


一方で、同世代の男には、強制入院を実に素直に受け入れていた奴もいた。

彼を見たときに、自分が「強制入院させるな」と主張することが、まるで過ちであるような不思議な気持ちになったことを覚えている。

それはまるで、殺してもいないのに「殺人」の罪を着せられ、そうしているうちにまるで自分が本当に殺人を犯したような気になってくるとか、

または、「自分は人を殺してなどいないけれど、社会に出ることが許されない人間なんだ」と諦めてしまう。そんな心境にもよく似ている。


だからこそ、患者と医師とは別の、第三者の視点が必要なんだと強く感じる。

その視点はアメリカでは弁護士なのだろう。
しかし日本にはそれがない。だから、患者も主観的な判断でしか入院について考えることができないし、医師は医師の視点しか持たない。

これについては、佐藤秀峰の漫画「ブラックジャックによろしく」精神科編に詳しく描写されている。

「ブラックジャックによろしく」は作者が著作権を放棄しているから多くのケータイ漫画サイトで無料で読むことができるので一読の価値はある。確か13巻あたりからだったと思う。

「病院にとって患者は金を生む『資産』でしかない」
「だから退院させない」
「アメリカではある時期から、患者を社会に戻す政策を取った。私もそれにならい、淡々と患者を退院させる」

そんなやりとりがある。そんなやりとりもある。


いろいろ言いたいことはあるが、「難しい問題」であることは間違いがない。

17歳のカルテ1に書いたような、親族が「一生閉じ込めておいてほしい」という意思がある場合、20年、30年の単位で閉鎖病棟に入れられる(こともありうる)のが日本の精神科である。

これが正しいのか?正しくないのか?
30年を閉鎖病棟で過ごした男が、退院して、どんな人生が待っているのか?

そこまでは我々が考えることではないのかもしれない。家族の問題なのかもしれない。

ただ、「許されることではない」。そう漠然と思う。
それはもう治療ではないのだから。

治療なら強制入院はOKか?閉じ込めるための入院ならダメか?
その判断は誰がするのか?

その答えがないのが、ずっと続いている日本の現状なのだろう。

余談だが、17歳のトーマに病棟でよくしてくれたある男は、2007年、同じ病室の患者を二人掛かりで首を締めて殺して逮捕された。

「つくしが丘病院殺人事件」である。

彼にとっては、きっとそれが良かったのだと思う。30年病院で生きるより、人を殺して、きちんとした、刑事訴訟法に則った裁判を受け、定められた刑期を満了すれば社会に復帰できるのだから。

それしかなかったのかもしれない。だから殺したのかもしれない。トーマは彼の裁判を傍聴にも行ったから、よく覚えている。
気の弱い男と2人でトイレにこもっては、フェラチオをさせて性欲を発散させている「とてもいい人だった」。

俺が医師なら、ブラックジャックによろしくに登場した医師のように、粛々と、病状が良くなった患者を退院させると思う。アメリカがそうしたように。

法律家としての俺に何ができるかは、正直、よくわからない。弁護士ならまだしも、行政書士の場合、誰の依頼で動いたらいいのかという問題もある。


そもそも、問題化さえしていないのが、今の日本のいちばんの問題なのかもしれない。

かつての日本では、家に生まれた精神障害者を家の蔵に閉じ込めておくことが許されていたように。それが土蔵か、精神病院かの違いだけである。

複雑な心境、よくわからない。ただ、できることがあるなら、それを探したい。そう強く思う