2014年6月 石鎚山旧跡 今宮王子道7~20 前編 | 旅する石鎚信仰者

旅する石鎚信仰者

やはり石鎚山は素晴らしい。

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石鎚山旧跡

三十六王子社の旅

今宮道・旧三十六王子道


 



 

 

以前、この道を歩いたのは2012年4月石標の最終調査の時だった。

今回でこの王子道を歩くのは3回目となる訳だが、自分的にも三十六王子道で

1番から20番まで、言い換えれば黒瀬から成就社まで、更に言い換えれば石鎚

山表参道の入口となるこの王子道が好きなとこである、何より王子道はどこも

その行路すばらしい景観である。石鎚山の山容の大きさとは違い三十六王子

道は特別そのものある。

はっきり言ってこの本の内容は難しい、行った事がない人には分からないだろう

とにかく何回か行った者にしか分からない事が多数あり各王子社に伝わる伝承

興味深く本当にすばらしいものがあるが、これも実際のところ真実か伝承か?

本当にあるのか?あるのならどこにあるのか?全然書かれていない。

今回はもう一度、自分の先達会符を完璧に仕上げる意味も含めて全王子社を

再度周ってみようと思う、初め訪問した時は「石鎚山にこういう所がある」と

いう理由だけで訪問した。あれから2年、石鎚山に関するいろいろな書物を手に

して各王子社へ幾度と無く問して探索してきた事か?2年前とはまた違う知識

も付き見る目も変ってきた、改めて再訪問しこの三十六王子道を自分なりに

凝縮してまとめてみようと思っている。

しかし時代の流れと言うも早く、この今宮道にある旧王子道で1番高い位置に

ある第13雨乞王子社のすぐ下にまで林道が延び王子道を数回横切り、更に木が

伐採されこの辺りの景観も変わり目印にしていた木も無くなり元々の王子道を

つける事すら困難な状況であった。

明治よりずっと以前から現在まで守られてきた石鎚山旧跡三十六王子道に初め

て現代開発の手が入った、まことに残念な限りである、これ以上この辺りの景観

が変わらなければいいのだがm( _ _ )m


 

 

 

河口にある今宮登口
8時スタート、成就社までゆっくり6時間の予定
下りはロープで西之川15時17分のバスでここまで戻る予定
それにある程度日が昇らないと下の王子社は
うっそうとして薄暗く景観がよくないのだ
 
すぐに石鎚神社の鳥居があり
「昭和廿五年」の文字が読み取れる
 
そもそも昭和43年にロープウェイができるまでは
成就社まで1番近い道で石鎚山参拝道の主要道であった

登山口から15分、三光坊不動堂が現れる
三光坊は坂出出身の行者 (常磐下勝次郎) を祀った建物で
中には何も書かれていない石と
「昭和二六年七月一日再建・昭和三九年石鎚神社三光坊再建」
の文字を読み取る事ができる
この三光坊の外壁には詩が書かれてあり
石鎚山や権現の文字が読み取れるがいまいち内容が分からない
おそらくこの辺りに伝わる詩だと思う
現在この三光坊はロープーウェイ乗り場に移設されている

三光坊の横に椎の大木があり根元に台座がある
昔はこの上に祠がありこれが第7今宮王子社であった
今はこのセメントが王子社と言う事

今回の巡拝は僕の石鎚神社先達会符を持ってきた
ただ全王子社へ一緒に参拝するだけだけど

椎の大木の後ろにある第7今宮王子社
旧石標には四手坂王子と記されてあり次の第9の王子社の
石標も四手坂王子社であるが、この辺りの地名は
「今宮四手坂」といいこの場合地名から来ていると思っている
 
10mほど奥にある第8黒川王子社
ここは覗きの行場

旧石標横にある蔵王権現
腰の部分が割れ無くなっている
なぜここにあるかは不明だが自分的には後で紹介する
権現堂にあった物だと思っている

黒川王子社後ろにある覗きの行場
先端から見下ろすととんでもない所である事がよく分かる
下からは黒川谷の水音が聞こえてくる
 
次の王子社へは更に今宮道を登って行く訳だが
200m程先の所から旧王子道へ入らなければならない

右側に石垣が現れてくる
三十六王子社の看板もちらっと見える

ここが王子道入り口
右側から登ってきてここから階段へ入るのだが
三光坊から200mぐらいのとこ

すぐにはっきりした王子道が現れる
この先は王子道の看板があり迷う事はない

すぐに廃屋が現れるがこれは藤原多郎左衛門氏の住居で
三十六王子社の著者「十亀和作 元宮司」も
石鎚登山第一回目18歳の時にここへ泊まったと記されてある
裏には「清水が流れ落ちていた」とあり
その場所は山側に確認できたが今は水は出ていなかった

すぐ奥にある地蔵堂、西條誌にも地蔵堂と記されている
「昔は100mほど上の森にあり権現堂と云い女人禁制であった」
と記されその場所は今も確認できる。
 
手水舎には「明治十七年」の文字が読み取れる
常夜燈には「文久三癸亥」 (1863) の文字も見える
十亀和作 元宮司は「温顔な尊像~お姿を偲ぶことができた」とある
が中は空っぽでお地蔵さんは無い どこへ行ったのか

地蔵堂のすぐ裏に道の続きがある
 
地蔵堂から少し登ると第9四手坂王子社
下の地蔵堂から数分で100mくらい
本にある「高さ一尺位円筒様の鉄の祠」又は
「苔むした円筒形の祠」もあり
これが四手坂王子と言うが一説では移設した地蔵堂とも言う

四手坂王子社すぐ後ろから道は続いている
 
少し右寄りに上るとすぐに燈篭が積み重ねられている
ここが下にある地蔵堂が元々あった場所と推測するが
燈篭にある年号は読み取れない
予想からして文久より古い年号のはずだが
ここに地蔵堂ある時は権現堂であり、ここが権現堂の
ころは石鎚蔵王大権現が本尊であった
前神寺の上人が毎年ここに来て石鎚大権現開門祭を
してていたと記されているので間違いない
僕が思うに黒川王子社にある割れた
石鎚蔵王大権現はここの御本尊と思っている
 
これが四つん這いになって登る四手坂である
真っ直ぐ正面の尾根へ向かって登っていく
 
坂を登ると尾根上に出るが
右側を見ると開けた所が有り岩か張り出し展望がいい
覗きの行場のような所だが王子社ではない
前々から不思議な物が置かれてあるが何か分からない
 

ここから更に岩尾根を登る
 
四手坂王子社から30分ほど
(展望所で遊んでいた時間は別)で第10二之王子社
ここには本にある鉄の鳥居が残っている

 
更に尾根を進み大岩に当りよじ登ると
 
目の前に第11小豆禅定王子社
二之王子社から20分ほど

この王子道で1番すばらしい場所であろう王子社
ここには不思議な伝承があり
「小豆を供へ石鎚大神に願をかけ、その小豆一粒を目いぼに
あてて落し小豆かと思ったら目いぼが落ちた」と言う
 
次の王子社までは尾根から外れる
小豆禅定王子社から岩尾根を左へ下り大岩を巻いて行く
この先は道が荒れて分かりにくい所

右上の尾根には上がらない
左へ下がっている
正面の薄暗い尾根の中間部へ進む
慎重に見渡せばテープがある

尾根に上がり右へ回り込むと第12今王子社が見える
小豆禅定王子社から15分ほど
 
ここはちょっとした大地のような所だが
ここがなぜ王子社なのか分からないような所
 
この王子社のすぐ後ろに道が続いているのだが
えらい伐採され開けた感じがする
 
いやな予感が的中し林道へ出た
この先の王子道も見失うが正面上を見上げると
テープが3本巻かれている

まだ上にまで道は延びている
以前に来た時のうっそうとした感じはない
 
どうもここが王子道の続きのよう
ここから真っ直ぐ登っていく

更に上まで伐採されかなり開けた感じ

周囲の感じはずいぶん変わっているが
道ははっきり残っている
 
また林道に出た
どうもここが終点のようだがまだ延びて行くだろう
ここにもテープが3本まかれていて
右上の尾根へ真っ直ぐ登っていく
 
ここから上は手が入っていないが
これも時間の問題だろう
 
尾根に出ると左へ進む
 
左側は伐採され明るくなり自分的に目印にしていた
木も無くなり下には林道が見えている

右側に頂があるので登ってみたが展望も何も無く
道なりに少し下ると第13雨乞王子社が見える

今王子社から30分ほどで
第13雨乞王子社
ここで旧王子道の王子社は最後でこの先
今宮登山道と合流する事になる
 
ここから尾根上を下っていく訳だが
尾根を下りきった所から左へ90度曲がり
枯れ沢のようなとこを下りる
 
5分も下りれば今宮道と合流
雨乞王子社入り口のポールが立ってある
ここからは今宮道を成就社へ
 
 
 
 
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