元気があれば何でもできる | 岩本壮一郎の「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」アイリンクインベストメント

元気があれば何でもできる

弊社が3月11日東北大震災の当日から開始した、災害被災地への物資支援について、本日ひとつの節目を迎えました。本日は、その現在時点の報告をさせていただきます。

まずはじめに、私の支援物資預かりのツイッター、ブログの呼び掛けに、支援物資をお持ちいただきました皆様と、支援物資仕分けをお手伝いいただきました皆様、倉庫や運搬トラックをご提供いただきました皆様に御礼申し上げます。震災当日、仙台市若林区の方とお話しし、何か自分にできることはないだろうかと考え、今回の支援を断行させました。私は、ツイッターとブログに私が書いた記事が、その後に第3者が作成したチェーンメールとして福岡市中を駆け巡るということを全く想定できなかったこと、私の予想を超える物資が集まったことで早期受付終了させていただきました。せっかく支援物資をお持ちいただいたにもかかわらず、物資をお預かりできなかった皆様と、周辺店舗様、会社様、天神付近ご通行の皆様、行政の皆様に大変なご迷惑をおかけしました事を深くお詫び申し上げます。

■11日~13日
弊社でお預かりした支援物資は、11日震災直後12日に1トン、13日に50トン超となりました。一人5キロの物資を持参されたとして、1万人の物資をお預かりしたということになります。大量の物資を、早急に現地へ物資を届けことを最優先させるため、14日の新規の物資預かり受付を中止し、14日より物資の仕分けを開始させていただきました。





■14日
多数のボランティアスタッフと共に、弊社内で皆様からお預かりした物資の仕分けを中心に行い、自治体を通じて第1便を福岡より被災地へ送りました。第1便は、毛布100枚、カイロ12000個、缶詰500個、乾電池1500個、粉ミルク、お尻ふき、オムツ5000個、成人用オムツ、生理用品5000個、水300リットル、ジュース60本(数量は全ておよそ)です。





■15日
仕分けを早急に終わらせ、被災地へ1日も早く物資を輸送するため、糸島や中央区、博多区計3ヶ所に分けて保管した物資を博多区1ヶ所の倉庫に集約しました。地元の友達の呼びかけで多数の方に深夜まで仕分けのお手伝いいただきました。





■16日
阪神淡路大震災でボランティア経験のあるビックバナナプロジェクトの代表者様の炊き出し部隊の輸送車に、防寒着など衣類を中心に、子供向け絵本、玩具、カセットコンロ、寝袋、懐中電灯、マスク等を託させていただきました。震災後に知り合った方ですが、通行許可を取得済みで、岩手県陸前高田市の避難所に直接行かれるとのことで、物資を託させていただきました。今回の震災は、人ごとじゃない、自分達に出来ることは何かと行動されており、私にできる限りで微力ながらも協力させていただきました。





■17日
民間企業様がタオル、毛布を被災地に届けていただけるとのことで、毛布約100枚、タオル10箱(およそ)を託させていただきました。また、同日も仕分けに近所のご婦人様方、多数のボランティアの方にご協力いただきました。柳川や久留米から来ていただいた方も複数名いらっしゃいました。









■18日
17日と同じく、現地に直接支援物資を届けに行かれる民間企業様にタオル、毛布を託させていただき、また引き続き多数のボランティアスタッフと支援物資の仕分けを行いました。16日に福岡から陸前高田市に向けて出発した方が、陸前高田市に到着しました。自治体に渡しても物資が行き渡らない可能性があるので、直接避難所である立第一中学校、横田小学校に物資を届けして頂きました。写真は、陸前高田市の18日の様子です。(20日に戻られた際にお預かりした現地の写真です)























■19日
レトルト食品1693食、インスタントラーメン2178食、缶詰1693個、お菓子段ボール25箱、スープ2000食、米65K、水700ℓ、その他飲料や、粉ミルクなど(賞味期限があることから)食品を中心に自治体を通じ被災地に届けられるよう手続きを行いました。また、多数のボランティアスタッフに防寒着などの仕分けに携わっていただきました。









■20日
横浜の青年会議所OBの方の協力により、福岡でお預かりした物資を、横浜に寄港しているまぐろ漁船に乗せることが決定しました。そこで、弊社に残っていた5トンの物資も仕分け倉庫に運び、合わせた約30トンの物資を20名以上のボランティアスタッフと共に夜遅くまで仕分けを行いました。20日正午に横浜を出た10トントラック3台が、翌午前3時に福岡に到着し、物資を有志と午前8時まで積み込みました。積み込んだ物資は、オムツ20000以上、生理用品40000以上、カイロ30000以上、成人オムツ、赤ちゃん用品、トイレットペーパー、軍手、防寒着、服、日用品、玩具、絵本など30トン分です。21日に陸路で横浜に向かい、22日には、まぐろを水揚げして空になった船倉やデッキに、支援物資を積み込まれます。そして、23日朝に三崎港を発ち、その後気仙沼港に届けられる予定です。後日、託した支援物資が気仙沼港から被災者の手に届き次第、最終報告をさせていただきます。

 >>三崎港で、まぐろ漁船に救援物資-被災地・宮城県へリレー輸送開始



















































今回のボランティア活動を通じて、私自身これまでやってきたボランティア活動とは異なる、大きな学びと経験をさせていただきました。私のブログとツイッターの告知だけで、これだけの物資が震災直後に集まったということは、被災地で支援物資が行き渡っていなないという報道から、福岡の皆様が被災者に何か出来ることをしたいという温かい善意の心の表れです。福岡の皆様から預かりした支援物資が、ひとりでも多くの被災者の方に役立てば幸いです。
そして、12日~20日に一緒に頑張ったのべ100名を超えるボランティアスタッフの皆様には、私の失敗を含め皆さんと共に体験したことを、ひとりでも多くの方に伝え共有していただきたいと思います。未曾有の緊急時の私たちのこの貴重な経験は、いつ何時起こるか分からない未来の災害時、必ず価値あるものになると思います。本当にありがとうございました。
倉庫の掃除等が完了次第、ご支援いただいた皆様、ご迷惑をおかけしました皆様にご報告とお詫びのご連絡をさせていただきます。

今回お亡くなりになられた被災者の方々のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。また被災された方々のお見舞い申し上げます。被災地域と日本経済全体が、早期に復興できるよう、東日本経済の落ち込み分を西日本経済がカバー出来るよう全力で努めます。次に私が成すことは、経済です。

これが最後ではなく、スタートです。




アンパンマンマーチ、この機会にもう一度歌いましょう
いい歌詞です

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