自由の女神そしてジャンヌ・ダルク | ザスタジオ 熊谷直夫と仲間達(日本アドスペースStaff BLOG)

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フランスという国名が女性名詞であることもあって、

フランスの人々は、国の顔として、女性のイメージを使いたがる。

今の共和国体制の基礎を築いたのは、フランス革命だが、聖教分離政策の為に、

教会権力は否定され、聖母マリアに代わる、救国のヒロイン。

三色旗を掲げて戦う『マリアンヌ』というイメージキャラクターが無理矢理作られた。

マリアンヌは、現在まで、切手の顔であり各官庁のシンボルであり、

凱旋門の巨大レリーフや、村役場の胸像にまでなっている。

マリアンヌは『共和国』にとってのジャンヌ・ダルクであり、

ジャンヌが、元になっているのは、言うまでもない。


民衆を導く自由の女神  ウジェーヌ・ドラクロワ作 1830年


そして、架空のマリアンヌよりも歴史的な存在のジャンヌ・ダルクの方が

インパクトが大きいのは当然だ。

革命後、ナポレオンが登場し、彼は革命防衛戦争のはずの戦いが、

侵略戦争に変質していくのを、正当化し、

自分を神格化する為にジャンヌ•ダルクをよく利用した。


2006~2007 著名ブランド PRADA専属 model Ana Maria 撮影 熊谷


19世紀末、普仏戦争の敗北により、ナショナリズムが高まるが、それをまとめる

有効なシンボルが見つからない。

革命当初、ジャンヌはフランス王家を助けた、神がかりの無知の少女との

評価もあったが、教会の異端裁判により、殺されたという経歴から、

自由・共和主義の先駆けだとの再評価が高まり、共和国の新しいヒロインとして、

歴史の中に再登場してきた。

また、カトリック側も、政教分離によるイメージダウンに悩んでいたが、

この機会をとらえてジャンヌを教会としても、

正式に昇格しようと試み、彼女の人気に便乗しようとした。

そうして、ジャンヌ・ダルクは、全てのフランスの人々にとって、

真のヒロインとなっていた。


熊谷