「キャラお子様化の秘密」カリ城〈その4〉/ルパン三世展40+α〈その9〉 | アディクトリポート

アディクトリポート

真実をリポート Addictoe Report

この続き。

1968年という時代設定はこの際置いとくとして、
カリ城がTV 1stより後の年代の出来事ならば、
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-かお
↑(左)TV 1stのルパンと、設定年代的にはその10年後のはずの、カリ城ルパン(右)。

当然歳を取っているはずのキャラが、
↓(上)TV 1stの石川五ヱ門と、
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-zazaza
↑(下)10年後なのに若返っている、カリ城の五ェ門。

のきなみ若返っているのは、なぜか?

理由の一つ目は、
*TV 1stのキャラが、ほとんど参考にされていないため

「そんなバカな! 作画監督が、同じ大塚康生なのに?」
と思われる方も多いでしょうが、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-kinenn
↑たしかに大塚康生は、この時期(「カリ城」公開の1979年頃)、TV 1stの絵柄を再現しろと言われたら、できないわけではなかった。
これは1980年発売のレコードの、おまけポスター用の描き下ろし。

どっこい、その先入観に誰もが惑わされ続け、それは受け手の私たちだけでなく、作り手側の東京ムービー上層部だって同様だった。

大塚康生への東京ムービーの信頼は絶大で、映画1作目(『ルパンVS複製人間』1978 以下「マモー編」)でも作画監督を依頼されたが、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-たいとる
少し先行して製作されていた『未来少年コナン』(1978年4月4日 - 1978年10月31日)の影響で参加が遅れ、一応監修・メカニックデザインとクレジットされたものの、参加時点で作画の8割が終わっており、作画チェックを手伝っただけだった。

ではあるが、もしも『コナン』がなくて、『マモー編』に大塚康生が参加していたら、TV 1stの絵柄が(東京ムービー上層部の思惑どおり)復活していたかどうかは、かなりアヤシイ。

というのも、大塚康生にとって、TV 1stというのは、後にも先にも、作品に自分の絵柄を寄せていったほぼ唯一の例で、それ以外はことごとく、原作本来の絵柄なんてほとんど無視して、大塚康生風に揃えてきたからである。

たとえばTV 1stの事実上の後番組(日曜午後7時半からの、日テレ/よみうりテレビ系アニメ)で、「宇宙戦艦ヤマト」の前番組にあたる「侍ジャイアンツ」(1973年10月7日 - 1974年9月29日)は、
劇場用作品2本、『パンダコパンダ』(1972年12月17日公開)
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ftred
パンダ・コパンダ 雨ふりサーカスの巻』(1973年3月17日公開)
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-mehu
を挟んでの、
大塚康生が作画監督だったテレビアニメ作品だが、

ヒロイン美波理香の絵柄とアクションが、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-baiku
峰不二子を彷彿とさせはするものの、
↓TV 1stの、自在な強弱のタッチは忘れ去られ、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ずんたた
↑輪郭もそれ以外の線も、終始均等に描かれている。

そして、そのまま大塚康生の作画監督作品は、1978年の『未来少年コナン』まで久しく中断する。

つまり、「カリオストロの城」で大塚康生に再びアニメ「ルパン三世」の作画監督の任が回って来ようと、
↓わざわざ8年前の絵柄やタッチに戻すことなど思いもよらず、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-だあな
↑(最近の)いつもの自分のやり方を引き継ぐことに、なんの疑問も抱いていなかった。

次回は、若返りの理由の〈その2〉