ファミリアー 歌姫の死と再生〈その8〉 | アディクトリポート

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第一部
その1
その2
その3
その4
その5
その6
その7

第二章 作戦

ジョッシュへの辞令

 西暦2237年。アメリカ西海岸のワシントン州シアトル上空の静止軌道上に位置する国際宇宙ステーション。ここには国際時間管理局の総本部が設立され、その任務遂行のために、各国から選ばれた隊員が、頻繁に往来を繰り返している。
 社会人一年生として、これが初仕事となる22歳のジョッシュ近衛(このえ)は、新任務への任命と辞令交付、ならびにその内容を伝達されるために、本部長のオフィスを訪れた。
 ひときわ豪華な作りの執務室で、50歳代とおぼしき白人の本部長が、入ってきたジョッシュに椅子を勧めた。
 この本部長はガストン・テイラーという名前で、堂々たる風格で英雄的な容姿の大柄の男性だ。ガストンとジョッシュの会話は、当然英語で行われている。
「よく来てくれた。私が所長のガストン・テイラーだ。君がジョッシュ・コノー……」
 イングリッシュネイティブが、日本人のローマ字表記の名前を、そのまま日本人の思惑どおりに発音してくれることはまずあり得ない。Konoeと記述されていたら、たいていのアメリカ人はコノーだと思う。ジョッシュはすかさず呼び名を訂正してから、自分の問いかけを切り出した。
「コノエです、ジョッシュ・コノエ。本部長、どうして端末で通話じゃなくて、ここに直接来なければならなかったんでしょうか?」
 挨拶もそこそこに質問してくるジョッシュに対し、テイラーは一瞬、何をあたりまえのことをと言う表情になったが、すぐにこの件について明解に答えてくれた。
「それはもちろん、直接でないと都合が悪い用件だからだよ。通信の傍受なんて、今じゃ当たり前すぎて、とてもこの秘密計画を、回線を通して話し合うなんて危険は冒せないからね。それに世間は誰もが、タイムマシンの新しい使い途(みち)には興味津々(きょうみしんしん)だ。極秘中の極秘計画が外部に漏れないようにするには、こうやって君と私が、直接顔を合わせて話し合う以外にはないからな。これでもまだ、機密漏洩(きみつろうえい)の危険が完全にぬぐい去られたわけでもないんだし」
 ジョッシュはうなずいてこう言った。「なるほど、そういうことでしたか」
「じゃあ早速本題に入らせてもらうが、ジョッシュ、君は、リデンプションプログラムというのを知っているかい?」
「ええ、もちろん。それって、ディーポストの返金補償制度のことですよね」
 ディーポストとは、ウェブサイト経由のトレードやオークションサイトのことだ。20世紀末から21世紀に流行ったイーベイやヤフオクなどの発展型かつ現代向けにアレンジされたものに、株式取引までを統合させた巨大電子市場である。ジョッシュは時間管理局とネットマーケットのつながりがつかめずに、すぐに質問を投げかけた。
「ですがそれと私の任務と、なにか関係があるんでしょうか?」
「いや、わざとそれをもじって、リデンプションプログラムって名前になってるだけで、この管理局内だけで通用するコードネームなんだ。もっとわかりやすくいったら、プロジェクトセカンドチャンス。こっちだったら、君も知ってるだろう」
 ジョッシュが納得顔でうなずいた。
「ああ、あれですよね。過去の歴史の偉大なアーティストで、若くしてこの世を去ってしまった人を、現代に蘇らせるっていう……」
 本部長はそれなら話が早いと言った表情で説明する。
「そうそう、それだよ。タイムマシーンの発明と実用化から早くも一世紀が経過して、ようやく有意義な使い道が提唱されて、1年に一人ずつ、過去の偉大なアーティストが蘇って、今年は日本の順番が回ってきた。それで君が、そのアーティストを誰にするか選んで、その人を現代に連れてくる役目、すなわちレスキュアって係に任命されるべく、ここに呼ばれたってわけだ」
 ジョッシュは相当にあわてている。
「えっ、そんな重要な任務を、どうしてここに配属されたばっかりの新入りの私が、いきなり担当することになるんでしょうか?」
 テイラーの表情が少しだけ深刻になった。「いや、このプログラムは第1号がアメリカ、第2号がイギリスで、今回の日本が第3弾だが、とにかくこのレスキュアには、ベテラン局員をあてがうわけにはいかないってことが判明したんだ」
 ジョッシュにはこれが解(げ)せない。
「どうしてです? 経験や知識なしにはとうていこなせない、重要任務だと思いますけど?」
 テイラーは思い出すのも辛そうな、苦々しげな表情でこれに答える。
「いや、これまでの例だと、レスキュアは時間管理局員としてのキャリアを失う、いわばとどめの任務になりかねないんだよ。そうなるとすでに重要なポストに就いているベテランは割り振れないことになる。毎回どの国の番が回ってきても、この任務を最後に、こぞって管理局を去られてしまうことになっちまうんなら、うちとしても大変な人材の損失だからね」
 ジョッシュは少しだけ納得した様子だ。
「ははあ、なるほど。それで管理局にとっては、いようがいまいが痛くもかゆくもない、バリバリの新人のボクの、最初の任務になったってことなんですか……。ずいぶんとまあ、ひどい話もあったもんですね。じゃあ前任者のレスキュアたちが、この任務を最後に管理局を去っちゃったって事は、危険な任務で死んでしまう確率が高いって事でしょうか?」
 テイラーは即座に首を横に振ってこれを否定する。
「いやいや、命の危険があるわけじゃないよ。第一、過去には死んでいくしかなかった人たちを救う計画なんだから、それを担当するレスキュアだって、当然生命の安全は保証されてる。そうじゃなくて管理局員としての資格を、この任務が引き金でのきなみ失ってしまうんだよ。1号のアメリカの例でも、2号のイギリスの例でも、担当者はもうここを退職しちゃってるからね」
「退職って……。その人たちはみんな、怪我とか病気ですか?」
「いや、どっちでもない。これまで任務に就いた二人とも、今も元気に暮らしてるよ」
 今の混乱気味のジョッシュに出来るのは、ひたすら質問を重ねることだけだった。
「だったら……どういうことでしょう?」
「まあ、そこらへんは、直接本人から訊いてみた方がいい。別に音信不通じゃなくて、ここから退職したってだけで、連絡先はわかってるしな。というよりも任務成功のためには、いずれ前任者二人の意見をきかないわけにはいかなくなると思うよ」
「はあ……そんなもんなんですか」
 テイラーは、未だ確信に至らぬジョッシュにかまわず、話を先に進めた。
「それについては、もう少し具体的に話が進んでからまた詳しくってことで、まずは惜しまれながらこの世を去って、現代……その人にとっては未来に蘇ったら、必ず文化芸術に貢献できる人材の選定から始めてもらおう。とりあえずイーカイヴで、映像ライブラリーの閲覧ってことになるんじゃないかな。日本人のことは、やっぱり日本語のわかる、日本人にしかわからんからな」
 イーカイヴとは、ネット上の巨大資料バンクで、動画や静止画とリンクした電子百科事典の決定版だ。情報は日々更新されて充実していく一方で、過去の人類の文化遺産、2世紀ほど前にはYouTube(ユーチューブ)等に公開されていた動画や、ブルーレイDVD等のパッケージメディアも全て保存され、誰でも目的に応じて瞬時にアクセスと閲覧が可能になっている。
 ジョッシュは、テイラーから先ほど示された、本プログラムの前の二例を引き合いに出して尋ねる。
「あの、選ばれて復活したアーティスト、二人のレスキュイーって、1回目は俳優のリバー・フェニックスで、2回目はロッカーのシド・ヴィシャスだったんですよね。どうしていつもエンタメ業界の人ばっかりなんですか? 画期的な発見や発明をした、科学者とか発明家を蘇らせるっていうのはダメなんですか?」
「まあ、そういうことも後々には視野に入れなきゃならんだろうが、天才にも現れるのにふさわしい時期ってもんがある。ある時代には間違いなく天才だった人が、別の時代には凡人以下でしかないって可能性がゴロゴロしてるからね」
「それは……たとえば?」
 テイラー本部長は、ニュートンやエジソン、アインシュタイン、さらには21世紀と22世紀の物理学者を例に出して、いかに天才でも、生まれる時代や順序を間違えれば、せっかくの才能や発見も無駄に終わってしまうことと、たとえ過去には輝かしい業績を遺した天才科学者でも、必ずしも現代で再びその才能を発揮するとは限らないことを手短に説明し、選定候補をアーティストに戻した。
「それで、今回3人目のレスキュイーを選ぶにあたって、過去の2例を参考に、いくつか選出基準に加えて欲しいことがある」
「これ以上、まだ何か条件があるんですか?」
 テイラーはジョッシュの質問にかまわず、話を先に進めるつもりらしい。
「もう一つの条件は、今回は女性を選んで欲しいってことなんだよ」
「かまいませんけど、それまたどうして?」
「これまでの2回ともレスキュアが女性で、選ばれたレスキュイーが男性だった。男女でチャンスが変わってしまうのは不公平だって事で、局の内部じゃあ、これがけっこう問題にもなってる。それもあって今回のレスキュアには、男性のキミが選ばれたってわけなんだ」


階段を上るが如く

 本田美奈子は、『ミス・サイゴン』への出演と、その役を立派にこなしたことが高く評価されて、ミュージカル女優としての地位を完全に確立して、次々と出演作を増やしていった。
 1994年には『屋根の上のヴァイオリン弾き』の次女ホーデル役、96年には『王様と私』のタプチム役、97年には『レ・ミゼラブル』のエポニーヌ役、2002年には『ひめゆり』の主演キミ役にと次々と抜擢されていき、さらにシェイクスピア原作の2003年の『十二夜』では、セリフに苦手意識のある彼女のために、ネコという特別な新しい役まで設定されるほど、本田美奈子はミュージカル女優として重宝された。

* * * * *

 もはや美奈子は、世間の無責任な声に悩まされることはなくなっていた。
 まずはそう言う声がすっかり影を潜めたと言う実態もあったが、もしもまだそういう声があったとしても、それはまったく事実とは異なるわけだし、発言者も自分の発言に責任を感じていないからこそ、全く事実無根のことを平気で言い放てるのだし、どうせ言ったそばからそれを忘れ去っているに違いない。
 また、そういう発言を気にしていること自体が、美奈子自身が揺れていたり不安であることの裏返し、まさにあのお兄さんが定義した、影におびえる心理状態だったことにも気がついた。
 ポップスからミュージカルへの転身に成功した本田美奈子は、同じ歌というカテゴリーであっても、それまで未挑戦だった分野に挑戦すれば、新たな極みに達することができる面白さや可能性に目覚めて、もはやどこからかチャンスが転がり込むのを待つのではなく、自ら未踏の分野に乗り出していくように方向転換していった。
 こうして美奈子は、ほどなくクラシックの世界へと足を踏み込んでいくのだが、その端緒は、作曲家羽田健太郎の主催する、2002年春の「ハネケンと愉快な音楽仲間~4月は恋?」で、クラシックの名曲として定番中の定番、「Time to Say Goodbye(タイムトゥセイグッバイ)」を、布施明とデュエットした頃からだと思われる。
 当時54歳で、初リサイタルがなんと1967年、それ以来無数のステージをこなしてきた超ベテランである布施と相並び立つ堂々たる歌いっぷりを、美奈子は羽田健太郎のピアノ、萩原貴子(はぎわらたかこ)のフルート、前橋汀子(まえはしていこ)のヴァイオリン、東京交響楽団のオーケストラの生演奏との共演で披露して、この大役を堂々と果たした。
 しかしそんな美奈子にも、若干の疑念めいたものが頭をよぎらないわけではなかった。
そもそも『Time to Say Goodbye』は、ほぼ全編がイタリア語なのに、歌詞の一部とタイトルだけが、英語に変更されている。
 これはなぜかというと、イタリアの歌手アンドレア・ボチェッリが、「君と共に旅立とう」と言う意味の題名である「コン・テ・パルティロ」(Con Te Partirò)と言う原曲を、タイトルまで含めて全てイタリア語で発表した1995年当初はさしたるヒットにならず、その後で歌詞の一部とタイトルを英語に変更し、サラ・ブライトマンとの共演で「タイム・トゥ・セイ・グッバイ(別れの時)」と改題してから、ヨーロッパを中心に爆発的にヒットして、日本でも後者として扱われてきたという経緯に起因している。
 もちろん本田美奈子自身としては、プロの歌手として、大半がイタリア語であるこの歌をきちんと歌いこなしてはいたが、果たして客席の日本人の聴衆は、歌の中身がわかっているのだろうかという疑問がぬぐえなかった。
 やはり日本人には、日本語の歌詞でなければ、歌の中身までは伝わり切らないのではないか。だからこそ自分が出演してきたミュージカルは、その多くが海外がオリジナルであっても、全て日本語に翻訳されていたのではなかったか。
 もちろんクラシックは原語で歌うのが一番正当だとは思うが、これをもしも日本語で歌えたら、小学校の授業でクラシックの楽曲を習ったり、合唱コンクールで日本語で歌ったりもできるようになって……。そうしたら次には……。
 こうして美奈子の夢や構想は、どんどんふくらんでいった。


つづく(毎日正午更新予定)


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