13歳 はじめての秘密〈その1〉 | アディクトリポート

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13歳 初めての秘密
尾伏志音

心霊写真

「ねえ、これって、心霊写真だよね?」
 中学2年の蓼科明里(たてしなあかり)は、昼休みの教室で、女友達の豊田雅美(とよだまさみ)から、こう言ってある写真を見せられた。思わずチラリとその写真を見てしまった明里は、たちまち後悔の念に駆られて、申し訳なさそうにこう言った。
「ゴメン。あたし、そういうのダメなんだ」
 雅美はいかにも残念そうだ。
「なんだあ、明里はコワイの、ダメだったんだっけ。あーあ、せっかくわかってくれそうな人が、見つかったと思ったのになあ」
 雅美は、ゴールデンウィークに家族と旅行に訪れた行楽地で撮った写真の背景に、空中に浮かぶような不自然な位置に髪の長い女性の顔を見つけて、クラスメートに見せて回っていた。
 ところが自分にはこんなにはっきり写っていると感じる部分が、人によってはまるで賛成してくれないことにガッカリしていた。
 それは岩場の影でしょうとか、ネガに入った傷でしょうとか、フィルムの出し入れにしくじったんでしょうとか言われて、まるで相手にしてもらえないのだ。
 だから雅美は、親友の明里ならきっと同意してくれるに違いないと思って話しかけたのに、相手のつれない返事に肩を落として、まだほかに賛同を示してくれる人はいないものかと、新たなターゲットを探して明里のそばを離れていった。
 明里が雅美にダメだと断ったのと、雅美が明里はダメなんだと断じたのは、同じダメでも性格が異なっていた。明里の言ったダメという意味は、自分の判断や見極めは、普通の人のあてや参考にはなり得ないという意味だった。
 明里は実を言うと、雅美が見せた写真に、彼女が指摘した女性の顔が見えないわけではなかった。
 いや、事態はむしろ逆で、ほんの一瞬チラリと目にしただけで、雅美が指摘する霊の姿以外にも色々と怪しげなものが写っている、まぎれもない心霊写真だとすぐにわかった。
 問題は、蓼科明里は霊感がことさらに強く、目にする写真の大半に霊の姿が写っているのが見えてしまうことで、だから彼女に言わせれば、およそ全ての写真は心霊写真だったし、そうでないものを見つける方が難しかった。
 似たようなことは明里には他にもたくさんあって、たとえばテレビの心霊特集で、明里が画面を通して目にする視聴者からの投稿写真やビデオにも、番組で解説されないあちらこちらに、それはもうごっそりと、様々なものが写っていた。
 もっと子供の頃、幼稚園とか小学校の低学年の頃の明里は、自分が写真に見えているものは、当然ほかの誰にでも、同じように見えているのだと信じていた。
 ところが次第にそうではないとわかってくると、この件については、固く口を閉ざすようになった。
 これに加えて、明里には、とにかく日頃から霊がよく見えた。
 人が多く集まるところでは、それだけ人間が死ぬ確率も高くなる。
 学校や病院、レストランや食堂、ホールや公会堂、ホテルや旅館には、自分が死んだことに気がつかず、死後も霊界に旅立てないまま居座っている霊がそれはたくさんいて、普段はそういうことに鈍感だったり不感症の人にでも、そうした霊が時たま見えることがある。
 しかし明里にとっては、時たまなどではなく、幼い頃からそういうことが日常茶飯事で、最初の頃はさまよう霊と生きている当たり前の人たちの区別がつかないほどに、それはもうはっきりくっきり、鮮明このうえなく見えていた。
 実を言えば今この瞬間、中学2年の7月で、一学期がもうすぐ終わろうとしている明里の中学校にだって、さまよえる霊はうろうろしていて、休み時間の教室でも、談笑しているクラスメートの周りを、所在なげに歩き回っていたりするのだ。
 しかしやがて、明里には生きている人と、さまよえる霊、いわゆる幽霊の区別がつくようになった。
 幽霊には物理的な制約がなくて、平気で人の体や部屋に置いてある家具や調度品を通り抜けたりするし、また突然に瞬間移動したりするから、そうした様子に注目していれば、生きている人間との見分けがつくのだ。
 そうやって幽霊と生きている人間の区別がついて、相手をじっくりと観察していくと、どうやら幽霊たちの方でも、自分たちが見えている人間は区別がついて、そういう相手とは関わり合うのを避けていることもわかってきた。
 それは意図的なのか、あるいは無意識なのかはわからないが、とにかく互いに関わり合わないようにしようという、暗黙の了解めいたものがあった。


つづく(毎日正午更新予定)

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