【主張】大震災3年 前を向き復興への夢語れ 政府は効果的な長 | atlanticaのブログ

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【主張】大震災3年 前を向き復興への夢語れ 政府は効果的な長期支援を

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 3年がたった。

 何年たとうと、3・11が「鎮魂の日」であることは変わらない。3年前、東日本を襲った大地震と大津波による死者・行方不明者は1万8千人を超える。改めてこの日に、犠牲者の霊を慰め、遺族の悲しみを思いやりたい。

 ≪鎮魂と「備え」に思いを≫

 同時に3・11は、記憶を引き継ぎ、次なる大地震、大津波への備えを再確認する日でもある。

 地震列島である日本では、いつどこを大地震が襲っても不思議ではない。都市や住宅の耐震化を急ぎ、避難路の確認や常備品の確保など、家庭、職場、学校などの日常における「備え」が被害の大小を分けることは、3・11がもたらした重く貴重な教訓だ。

 いまなお、約27万人が避難生活を余儀なくされている。「風化」などという言葉がどれほど実態とかけ離れているか、被災地を訪れれば思い知るだろう。

 例えば震災直後、被災現場のあまりの広大さに足がすくんだ岩手県陸前高田市では、いまも同じ広さのまま、重機やトラックが行き交う工事現場と化している。復興は緒についたばかりであると、いやでも実感する。

 原発事故の影響を受けた福島県の被災地の多くは、その緒にすらつけていない。

 それでも3年がたった。無理強いをしてはいけない。だが前を向ける人は、前を向いてほしい。

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 一人の青年を紹介する。

 及川武宏さん(34)は岩手県大船渡市生まれで、県立大船渡高校のサッカー部では、全国大会でも活躍した。同級生には、日本代表として2度のワールドカップに出場したJリーグ鹿島の小笠原満男選手がいる。

 都会に憧れ、東京で就職したが、震災後、公益財団法人の東日本大震災復興支援財団に応募し、職員となった。被災地に五輪選手を呼び、子供のスポーツ支援などの事業を担当してきたが、今年1月、ワイナリー造りを志して家族で大船渡に帰った。

 畑を借り、白ワインの原料となるシャルドネの木を、春に100本、秋には1千本植える。5、6年後にはワイン2万本の生産を目指す。20代のころにホームステイで働いたニュージーランドのワイナリーが原点にある。

 「海外からの観光客でにぎわうあの姿を、三陸で再現したい。実現するのは僕らの子供の世代になるかもしれないけど」と及川さんは話している。

 それには、自身のワイナリーの成功だけでは足りない。すでに陸前高田市や宮城県気仙沼市にも、市や県境を超えて同じ志を持つ仲間がいる。

 Jリーグから「東北人魂(たましい)」を訴える小笠原選手とは、大船渡の子供たちのためにサッカー場を造る過程で何度も話し合った。

 財団の仕事を通じて知り合った気仙沼市出身のパラリンピック選手、佐藤真海さん(31)は復興支援を通じて体感した「スポーツの力」を世界に訴えて東京五輪招致に結びつけた。

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 被災地で同志や同世代の輪が広がりつつある。こうした若い芽をつぶさず育てることこそ、本当の復興につながるのではないか。

 ≪成果を実感の4年目に≫

 安倍晋三首相は10日の国会で、「復興は4年目に入る,rmtssp。今年は被災地の皆さまに復興をより実感していただけるようにしていきたい」と語った。言葉通りの1年になることを強く望む。

 動き出してはいる。津波被害にあった地域の高台移転では、移転話が持ち上がったほとんどの地域で計画が策定され、事業の着工は64%にのぼる。災害公営住宅も福島県を除く約2万1千戸のうち、着工は6割に達している。

 雇用の場を確保する産業復興をめぐっても、本格的な再建にステージが移りつつある。

 被災した水産加工施設の8割近くが業務を再開し、津波被害を受けた農地のうち、営農再開が可能になった農地は昨年12月で6割を超えた。

 宮城県のイチゴ農家では震災前の7割にまで収穫が回復し、販路拡大に向けて新たに輸出にも乗り出そうとしている。

 政府は総額19兆円としていた復興資金を25兆円に拡大し、さらに追加計上も検討するという。復興へ、前を向くための支援は欠かせない。息の長い、効果的な取り組みを求めたい。