ほっこり中国茶しませんか? ときどき投資日記!

関西在住。中国茶、トレッキング、時々投資が好物のアラフォー女性です。
転勤族の主人につれられ国内外を転々とする日々、私に安住の地はあるのでしょうか(笑)



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さてさて、高齢出産メリット編に引き続き、高齢出産デメリット編行ってみましょう!

 
あるある。もりもりありますわ…。
 
体力のなさ
 
これは声を大にして言いたい!中年には体力っちゅうもんはないんです!

最後に徹夜をしたのは20代後半。あれから10数年、体力はさらに下降線を緩やかに描いております。息子が生れて初めて分かったのは、授乳→おむつ替えの一連の作業がだいたい1時間弱かかるということ。それが一日7~8回。
 
つまり、一日24時間のうち自由に使える時間は16時間程度。その中から、家事をしてお風呂に入って、睡眠をとって、さらに息子が泣いたらあやしてみたいなことをしていたら、まあそりゃ時間が無くなりますわね。
 
最初に音を上げたのは主人でした。退院三日後の朝のことです。
 
「ねえ、寝室別にしてくれないかな?」

というありがたいお達しを頂戴しました。はい夜のワンオペ決定。ちーん。

その後も中年夫婦が無理をして子育てをしているせいか、私が乳腺炎にかかったり(夜中に39度まで熱が上がってビビりました)、主人が風邪をひいたり(病院の診察が怖いと駄々をこねられました)、ここ二週間で家族全員仲よく病院にお世話になる始末です。それでも、息子が元気にすくすく成長してくれているのでそれでよしです。
 
体力のなさは、むしろこれから息子が小さな怪獣になって大暴れするころが一番大変なんだろうなあと思います。
 
2歳児の息子を抱える後輩は、「まだ、乳児の時期は楽なもんですよ。いまときたら。。。。」と絶句していました。秋になったら体力をつけるためにきちんと運動し始めようと固く心に誓いつつ、息子を大学に入れるまでは夫婦ともども健康第一だなとつくづく感じます。
 
ママ友との年齢差
 
41歳ともなると周りの子育て中の同級生は、「中学に入学しました!」やら、「高校受験が終わりました!」やら、ほとんど子育ての後半戦です。なので、オンタイムで乳幼児を抱えた同世代のママ友を探すのは本当に大変です。

厚生労働省の人口動態統計月報年計によると平成27年の出産総数は 1,005,656件。そのうち母の年齢が40歳以上の件数は53,865件、ざっくりいうと、統計的には毎年約5万人強、全出産件数の5%しかいないということになります。なるほど~、周りを見渡してもいないわな~。

しかしどっこい、いるところにはいるんです。リアルの友人と、ネット上でお付き合いさせていただいている方も含めると、身の回りにいる40代以上で出産された方は自分も含めて6人。マイノリティは結束が強いですから、四十路母の会でも作ってサークル活動でもしたいくらいですよ、ほんとに(笑)

でまあ、高齢母ちゃんになると周りには年下のピチピチママ(20代~30代)しかいないので、お付き合いの仕方が難しくなります。平成生まれとかざらざらいますから、昭和臭ぷんぷんの四十路はどういうスタンスで彼女たちに接すればいいのか悩むわけですよ。

しかし、この点に関しては、私の仕事が役に立ちました。常々講師として20代前半~30代までの男女を教えているので、どうすれば彼らにすんなりと受け入れてもらえるかは数年間の試行錯誤済み(もちろんその期間はしっかり嫌われました)でした。
 
一番嫌われるのは上から目線、次に嫌われるのはタメ口。なのできちんと○○さんと名前で呼んで、基本的に敬語で話す、これだけ押さえておけば、そんなに波風が立つことはないです。

年齢が一回り違うとそもそもマウンティングが発生しないためか、ピチピチママ達も案外居心地がよさそうに付き合ってくれています。ちょっと年齢が離れるほうが、人間関係も円滑になるのかしらねえ~なんて不思議です。
 
そうそう、加齢とともに新しいものにも適応しにくくなっていて、ピチピチママ達にLINEの使い方をがっつり教わってます。ほ〜、動画アップできるんだ〜とか、へ〜、こんな絵文字使うのねなど。普段は接点のない年齢層とお付き合いするのも新鮮です。
 
今後の人生設計
 
一番重いのはこれですね。
 
息子が20歳の時、私は61歳。息子が結婚するまで、私は本当に元気でいられるのか?考えても仕方のない事をつい考えてしまいます。息子の誕生前に母が亡くなったこともあり、どうしても悲観的になってしまうのですが、堂々巡りになるのでこれは愚問ですね(笑)
 
さて未来は先行き不透明なので、現実的に考えるとまず必要なのは先立つ物、そうお金です。子供の大学卒業までにかかるお金はすべて国公立に通ったとしてもでも1000万強だといいます。老後資金と教育資金、そろそろ定住したいので住宅資金と、これから主人の定年までに、どかんと大きなお金が必要なものが続きます。

どんな資産運用よりも、稼いで手元資金を増やすのがお金を貯める近道ですので、子育てがひと段落したら、私もぼちぼち働き始めたいと思います。
 
さて、あとは息子の教育資金をどうためるかですね。銀行預金、学資保険、株式投資、国債と運用方法はいろいろとありますが、今気になっているのはジュニアNISAです。
 

年間80万円の非課税枠が5年分。つまり、5年で400万円までは投資出来て、利益が出たら非課税だよって仕組みなのですが、どうも使い勝手が悪そうなのでどうしようか躊躇しています。

 

年間80万円ってつまり月々約7万円!毎月ひねり出すのは大変だし、18歳になるまでは指一本触れられないし、年間投資額が80万円を超えたらすべてが課税対象になるし、非課税期間はたったの5年だし、損益が出ても確定申告で減税してもらえないし(これはNISAも同じ)、なんだかデメリットばかりがドーンと立ちはだかります。うーんどうするべきか。。。。

なんだか、自治体でよくあるひも付きの補助金と似てますね。お得な仕組みを使わせてやるんだから、多少の不自由には目をつぶれよというお上からのお達し付き、必要書類がてんこ盛りのお役所仕事仕様の香りがします。


本当は2018年から始まる、つみたてNISAが使えればいいんですけどね。年間40万円で20年非課税なので、合計800万円の枠で上手く成長すれば1000万円くらいにはなるはず。

 

20年間というと0歳から始めて大学2年生までなので、ちょうど一番お金がかかるときに満期がやってきて救われるというロジックになってると助かるんだけどな~。残念ながらつみたてNISAは20歳以上を対象にしているようです。

 

教育資金のため方はしばらくペンディング。とりあえず証券会社の口座だけ開いて、ネットの集合知を活用させていただいて勉強しつつ、様子見をしようかな~と思います。
 
何人かの友人とのご縁
 
一年を通じて私が一番憂鬱なのはお正月でした。お正月というのは適齢期を超えると、『結婚+子供』をセットで持っていないと肩身が狭い思いをする、そういう季節です。
 
私は20代で結婚したのですが、その後10年以上子供を授からなかったため、あとから結婚した同級生に子供が生まれ、義兄弟に子供が生まれ、そうこうしてるうちに後輩たちにも子供が生まれと、どんどんいろんな人たちに先を越されてゆきました。
 
義父母は優しい人たちで、「なんで子供ができないんだ」なんてことは一言も言わなかったのですが、主人の実家に帰省して、何でもないような顔をしながら甥っ子、姪っ子の世話を倒れそうになるまでこなしたり、家族が増えましたというリア充の友人たちの年賀状(子供の写真だけだとさらにへこむ)に心を折られたり、お正月が終わるころには心身ともにボロボロで、家庭内での言い争いが絶えませんでした。
 
生活習慣が近いということもあるのでしょうか、高齢DINKS夫婦には同じようなDINKS夫婦や独身の友人が多くなります。独身、DINKS夫婦、子供のいる夫婦、それぞれの人には歴史や事情や考え方があって、どの人生が正解というのはないと、私は思います。
 
ただ、私がそうだったように友人に子供が生まれるというのは、特に不妊に苦しむ夫婦にとってはきつい出来事です。なので、何人かの友人が離れて行ってしまうことは、寂しいけれども覚悟しなきゃいけないなと思います。
 
昔読んだエッセイの中に、腑に落ちる言葉がありました。妙齢の独身の女性作家(どなたか失念してしまいましたが)のエッセイの一節にはこうありました。結婚して子供を授かった友人と縁が薄くなりそうなときに、彼女はいつも「60になったらまた一緒に遊ぼうね」と言ってあえて友人と距離を置くようにすると。

そうだよなあ、独身もDINKSも子供のある夫婦も60になったらみんな同じ。巣立つものは巣立って、定年して時間ができて、もう一度若いころの友人たちと縁を結ぶ。誰もつらい思いや無理をしない、大人のいい関係だなあと思いました。
 
なので、環境が変わった私と付き合いにくいなあと感じる人とは、ちゃんと距離をとってまた次の機会が巡ってくるのを待ちたいと思います。40代になると時がたつのは早いですしね(笑)
 
高齢出産メリット編↓
 

 

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先日41歳で息子を出産しました。こんなに高齢で子供を授かるなんて、考えてもいませんでした。

 
家庭に子供がやってくると一言で言っても、20代の若夫婦の場合と40代の中年夫婦では、随分勝手が違うわけで、産んでみて感じた事を書いていきたいと思います。
 
今回はメリット編。よかったよ〜というのをまとめていきます!
 
キャリアプラン
 
これは、圧倒的に高齢出産組にメリットがあると思いました。
 
私は二十代から会社員として7年働き、その後主人の転勤に伴い退職しました。一時的に主婦になったのですが、有り余る時間を活かして資格を取り、その後転職。資格を活かして講師として8年間働いてきました。
 
資格を取ったのは30代前半、そこから新しいキャリアを積み上げて来ました。全国展開している会社で働いているため、東海地方から関西に引っ越しても同じ仕事を続けることができ、ありがたい事に主戦力として働かせてもらっています。
 
今は出産、子育てで一時的に仕事を休んでいますが、いつでも戻ってきていいよと言っていただいています。若干社交辞令かもしれませんが、戻れる場所が確保できてて、それに見合った実力も伴ってるのは高齢出産の一番のメリットだと思います。
 
パートナーのサポート
 
これは、パートナーの性格や世代的なものも関係しますね。私たちの両親はいわゆる団塊の世代です。母親は専業主婦という世帯が多いためか、団塊ジュニアの男性は家事をする事に抵抗がある方が多いように思います。
 
主人もどちらかと言えば家事は苦手なので、恐らく20代で出産していたら、子育てと家事はお前の仕事だろう的なことを言ってたはずです。しかし、40代でやっと授かった我が子を前にすると、そんな昭和レトロな価値観はぶっとぶらしく、掃除、洗濯、買い物などできる限りの事をやってくれています。
 
また、40代になると仕事の計画を立てる側に回るため、子育ての時間を捻出しやすい側面もあります。我が家は双方の両親共に遠方に住んでいて、親のサポートが受けられないので、主人のフットワークの軽さには本当に助けられています。
 
メンタルの強さ
 
これも高齢出産あるあるだと思います。
 
私の妊娠期間は、びっくりするほど次から次にきつい判断を迫られ、夫婦揃って頭を抱えていました。大変な時って、後から振り返ると記憶がなかったりしますが、今回もそんな感じで半年ほど記憶がぶっ飛んでます。毎晩のように家族会議をして、主人の晩酌のペースがえらく早かった事だけ鮮明に覚えています。
 
20代ならば、自分の妊娠だけで手一杯で、その他の重荷には耐えられなかったろうなあと思います。感情の起伏が大きいとお腹の子供に障るので、とにかく冷静にどっしり構えるように心がけていました。なので、妊娠中は特に感情面でのトラブルとは無縁でした。
 
ただ、産後は流石にきつかった!産後2週間までは最も産後うつになりやすい時期のようですが、確かにホルモンバランスが崩れたせいかおかしくなりました。
 
この時期は夜中の授乳が辛かった。身体はガタガタだし、3時間おきの授乳のために、2時間以下のぶつ切れ睡眠しか取れない。授乳しているうちに夜が明けて、だんだん明るくなる空を見ながらなんて孤独なんだろうと感じてました。
 
心の支えになったのは、同じく41歳で出産した同級生の「この大変さは期間限定だから」という言葉。
 
今思うと、初めての育児で全くペースが掴めない、経験がないってのが辛かったんだろうなあ。でも、まあなんとかなるだろう、みんな通った道だしという、高齢ならではの鈍感力に助けられました。
 
お祝いしてくれる人の多さ
 
これは完全に年齢に比例すると思います。
 
長年転勤族としてさすらううちに、いろんな場所に大事な人がいるようになってきました。相手も転勤族の場合が多く、みんな日本全国、ひいては世界各国に散り散りになってそれぞれの土地で活躍されています。
 
お祝いを送ってくださった方、外国から海を渡って息子の顔を見にきてくださった方、もちろん夫婦それぞれの親戚の面々など、頂いたお祝いの数はもうじき40に迫ります。いやすごい、本当に。
 
「こんなに頂いて、まるで王子だね。」と主人と冗談をいうほどでした。多くの方々に支えて頂いているんだなあと、感謝するばかりです。
 
何よりも嬉しかったのは、心から喜んで下さる方が多かったこと。私達夫婦は二人ともお節介で、若い方や知人の少ない外国人の面倒を片っ端からみていたのですが(有り難迷惑かもしれませんが^_^)、そんな友人達が一番喜んでくれて、ああ真面目に生きてきて良かったなあとじーんときました。
 
まだまだ色々ありそうですが、書いていて幸せな気持ちになりました。

さあ!次はデメリット編を書くぞ〜!
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 不肖四十路、具体的に言うと41歳の更年期間近の私ですが、5月に息子を産みました。妊娠がわかる前までは、結婚して10年以上経つし、もう我が家は永遠に出生率0のDINKSなんだろうなぁと、ぼんやりと思っていました。

 
なので、妊娠が発覚した時も『うれしい!』よりも『えっ、私妊娠できないはずだったんじゃないの?』と戸惑いの方が大きくて、次にやってきたのは、『歳も歳だし、ちゃんと産めるのかしら?』という不安でした。
 
素敵女子ならば、『みなさんにお知らせがあります。実はお腹に新しい命を授かりました❤︎』的なコメントをブログで公開するんでしょうが、四十路だとそもそもちゃんと産み落とせるかが分からないので、SNSで発信とか無理無理って感じでした。
 
更に、四十路オンナには人生の荒波もきつい。妊娠中に母が亡くなったり、複数の人の人生が狂わされるようなトラブルに巻き込まれて、大事なものを守るために毎日が文字通り戦場で、ふわふわ優しい妊婦生活が送れたのは最後の一ヶ月だけでした。
 
泣くとお腹の子に障ると思って、母の葬儀でも涙は出ませんでした。初めて泣いたのは、出産数日後。その日はちょうど母の日で、病院のスタッフが新米ママ達に、一輪のカーネーションをプレゼントしてくれました。
 
18歳で実家を出てから、母の日とは、私が母にプレゼントを贈る日でした。これまで母の日は義務だと思ってましたが、違う、お母さんにありがとうって伝えられる権利なんだと気付きました。義母にプレゼントを用意しながら、贈る相手がいるのは幸せな事なんだなぁとしみじみ感じました。
 
そんな中、助産師さんから一輪のカーネーションを手渡され、あぁ母になったんだなあ、ちゃんと命を次に繋げたなあと思ったら、張り詰めていた緊張が解けて、ダムが決壊。涙が止まらなくなりました。
 
母は8年半の間、癌と戦った後に旅立ちました。すごく良い先生と体に合った薬と出会えて、4年間ほどは旅行に行ったり、友達と英会話教室に通ったりと、普段どおりに過ごしていました。家族旅行にも3回行けました。長崎で食べたちゃんぽん美味しかったなあ。
 
母は、普通だったら暗くなりがちな闘病生活を明るく楽しく駆け抜けました。癌であることを周りにカミングアウトして、昔の友達の結束を固めたり、新たに癌になった友人達に情報を提供したり、最後まで強く明るく太陽みたいな女性でした。
 
子供ができたと電話した時に、電話越しにぼろぼろ泣いてくれてありがとう。病院にお見舞いに行った時に少し膨らんだ私のお腹を見て、うれしそうに笑ってくれてありがとう。
 
初孫を抱かせてあげることは出来なかったけど、息子には私の昔話を通じて、母のことをたくさん話してあげたいと思っています。
 
息子は最近笑うようになってきました。毎日一番の笑顔は、大ウンチをかました後だというのが引っ掛かりますが、息子が笑うと小さなころの私も一緒に笑っているような、そんな気持ちになります。

お母さんありがとう。お母さんみたいに、強く厳しく明るい母になれるように頑張ります。見ててね。
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不肖、私アラフォー女性。生きている年数が長くなるとともに、クレジットカード、ポイントカード、銀行口座、証券口座等々、お金にかかわる身の回りの荷物もどんどん増えてきました。

 

2017年になってから、リサイクルショップを活用して書籍、食器、ブランド品などの断捨離を行っています。


 転勤族で5年に一度引っ越しをしてきたこともあり、一般的な家庭と比べると荷物は少ないほうだとは思うのですが、客用布団や、結婚のお祝いに頂いたブランド物の食器など、使わないまま10数年しまい込んだものを手放すと、押し入れの中もすっきり、気持ちもすっきりしました。

 

さて、そんな勢いがついたところでお金の分野でも断捨離を行おうと、野村證券の口座を解約することにしました。もともとは社会人になる際に、母のアドバイスにより開設した口座だったのですが、何をするにも手数料が高額なこと、SBI証券をメインの証券会社として持っていて管理が面倒になったことなどが口座解約の理由になります。

 

野村証券の顧客の属性とは?

 

野村証券では、顧客として下記の二種類の属性を取り扱っています。

 

① 本・支店口座のお客様

② 野村ネット&コール口座のお客様

 

まあ、ざっくりというと①は窓口&電話で取引する中高年~シニアの富裕層向け、②はネットで取引する富裕層予備軍の若者向けといった感じでしょうか。


私は属性は完全に②ですが、母に連れられて地元の野村証券の支店にて口座を開設しました。その時が投資を始めた年齢だとすると、かれこれ15年以上投資には触れていることになります。とはいえ、20代の私には株と、国債の違いさえよくわかっていませんでしたが、若いうちに投資に触れる機会を与えてくれた母に感謝です。

 

さて、①の本・支店に口座がある顧客が口座を閉鎖する場合には、取引のある支店に電話する必要があるとのことなので、まずは支店に電話をかけてみます。銀行や役所と同様に、窓口が開いているのは平日の日中のみというのが、若干ハードルが高いです。

 

野村証券の支店に電話してみた

 

電話で対応してくださったのは、声の感じからして30代の男性社員。受け答えもきっちりしているし、一貫して誠意のある対応で信頼が持てます。口座を閉鎖したい旨を伝えると、個人情報を確認し口座の状態を見たうえで、必要な流れを説明してくださいました。

 

その時に口座に入っていたのは、個別株が1つ、数万円のMRFだけという、『おいおい、野村証券に口座を持つ必要あるのか??』という、証券会社にしてみれば最下カーストの顧客だったのも関係したのでしょうか。


どうして口座を閉鎖されようと思ったのですか?』的な、若干脅し気味の尋問もなく、いたって事務的かつスムーズに事は進みます。

 

個別株はSBI証券に移管したいこと、MRFは現金化して銀行に振り込んでほしいことをお伝えして次の作業について伺うと、必要な書類をお送りしますと言われて待つことにしました。

 

野村証券からの書類が到着

 

電話連絡をした二日後に必要書類が届きました。はやい!口座閉鎖に関する書類は必要なく、返信が必要だったのは『特定口座内保管上場株式等移管依頼書』のみでした。長い名前ですが、要は特定口座に持っている個別株を野村證券→SBI証券に移管するのにあたって必要な書類を提出してくださいということです。

 

特定口座内保管上場株式等移管依頼書

楽天証券バージョンのPDFですが、これが一番参考になりました。

 

機構加入者コード』、『加入者口座コード』など、耳慣れない言葉が出てきますが、移管先の証券会社に確認すると教えていただけるそうです。私はSBI証券HPの中でこれらの番号を探して記入しました。

 

野村証券に書類を送付

 

野村証券に書類を送付して数日後に、担当の方から電話をいただきました。伝えられたのは下記の3点でした。株式移管には最低二週間がかかり、それが完了した後、残額を振り込み、口座の閉鎖を行うとの事でした。

 

① 個別株を移管する作業に入る

② 株式移管には1800円の手数料がかかる

③ 株式移管後、手数料を除いた残高を銀行に振り込む

 

野村証券から株式移管完了の連絡

 

野村証券に電話をしてから約1か月後に、株式移管が完了したとの連絡がありました。早速、SBI証券のHPを確認したところ、無事に個別株として登録されていてほっとしました。

 

今回は、野村證券の特定口座→SBI証券の特定口座間で株式の移動を行いました。その際に移管されるデータは下記の3点です。取得日を引き継げるので、結局損してるの?得してるの?を示す損益額もすぐわかるのがありがたかったです。

 

① 株数

② 取得日

③ 取得価額

 

野村証券の口座ついに閉鎖!

 

株式移管が終了して、ようやく口座閉鎖の手続きに入ってもらいます。残額を銀行口座に振り込んでもらい、口座の残高をゼロにした後、口座を閉鎖しました。ふ~、結婚よりも離婚のほうが大変といいますが、証券会社も同じく開設よりも閉鎖のほうが大変でした。

 

ただし、さすが大手証券会社だけあって専任の担当者がついてくれ、同じ方からいつも連絡をいただいて安心感はありました。私が60代以上のシニア層だったら、ネット証券を解約して野村証券に一本化してもいいかなあなんて考えそうな気もします。それぐらいの信頼感のある対応でした。

 

ともあれ、また一つ肩の荷が下りたような気がします。

 

当然ですが、お金の断捨離は、物の断捨離よりも大変でした(笑)そろそろ、ほったらかしにしてある投資信託のリバランスもしなきゃなあ・・。

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先日、父方の大叔母の退院祝いに行って来ました。私の父方、母方双方の祖父母は既に鬼籍に入っています。今回訪ねた大叔母は、父方の祖母の妹にあたり、家族の中では戦争を経験した世代の最後の一人になります。

80代後半の大叔母は、からっと裏表のない性格で、家族で営んでいた町工場を女だてらに切り回す、チャキチャキとした行動力のある格好よい女性です。その素質は曽祖母→大叔母→私に世代を越えて受け継がれているらしく、大叔母は小さいころから私の事を可愛がってくれました。

大叔母の退院祝いのプレゼントには花束を選びました。新しい街に引っ越すと、お店の選択って迷いますよね。ここ一年ほど、冠婚葬祭に関わるお花を用意する機会が多く、遊牧民のようにいろんなお店を放浪していましたが、ようやくよいお店にたどり着きました。

『大阪』、『花束』の言葉でGoogle先生にお伺いをたてると、出てくるキーワードは『北新地』。

つまり、東京だと銀座、名古屋だと栄、福岡だと中洲にあたる大阪の歓楽街です。夜の蝶(もう死語?)の居るところには胡蝶蘭を始めとして、女性を引き立てる花が必要で、自ずと花屋の激戦区になると言う事でしょうか。

私が通っているのは北新地にほど近い、梅田の第3ビル地下の花屋さん『ベビーブレス』。お店自体は青山フラワーマーケット的な洗練された雰囲気ではなく、どんな街にも一軒はある町のお花屋さんといった庶民的な店構えです。

しかし、ここのお店は本当にコスパが素晴らしく、3000円でどーんと重みのある花束を用意してくれます。お客さんも、仕事帰りの会社員から、北新地の黒服のお兄さん、同伴前?のソワソワした雰囲気のオジサマまで、なんともバラエティ豊かで人物ウォッチングするにも興味が尽きません。

三十代後半を過ぎた頃からでしょうか、何かを購入する時にお店の方に気楽に相談が出来るようになりました。二十代の頃は全て自分が決めないと気が済まなかったんですが、誰かに判断を委ねるというオプションを手に入れると、生きるのが少し楽になります^_^

さて、花束を購入する際には、もちろん店員さんと意見のすり合わせをします。サービス業の女性って、お店に入ると最初はにこやかによそ行きの笑顔で迎えてくれますが、何かを相談し始めると顔つきがキュッとプロに変わる瞬間があって、私はその深く考えこんだ顔つきがたまらなく好きです。

この日対応してくださったのは、六十代とおぼしき女性店員さん。退院祝いのお花をお願いしたいというと、色味は地味な方が良いのか?病状は重かったのか?と立て続けに質問を受けます。まるでお医者さんの問診を受けているような雰囲気でした。

確かに病状によっては、華やか過ぎると気遣いがないと悪く取られることもあるんだろうなぁと、粛々と問診?にお答えしていたのですが、店員さんが答えを出したのはこの質問でした。

『大叔母さんはおいくつですか?』

私が八十代後半だと答えると、名言がでました。

『じゃあ、ピンクの花束で決定ね』

『女性はね、幾つになってもピンク色の花束は嬉しいもんなのよ』

派手すぎないかしらと少し躊躇しつつ花束を持って行ったところ、大叔母は『春ね〜』と目を細めて喜んでくれて、早速寝室に飾ってくれました。私は大叔母が元気に家の中を歩き、楽しげに昔話をしてくれる様子を見てほっとしました。

八十代になってもピンク色の花束は女心に響くんですね。プロの見立ては正しかった。また一つ勉強になった春の一日でした。
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