冬を迎えるシリア難民の現在 | アーディで行こう

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「普通」を意味する便利な言葉、「アーディ」 地元の足として、とことこ走るバスなんかを「アーディ バス」、エジプトではエアコンなし列車を「アーディ」 そんな方法での旅を紹介しましょう。
え、そんなの自分には無理だって? 大丈夫。「アーディ、アーディ」

今日、家に国連UNHCR協会のニュースレターWith youの11月号が届きました。
表紙は、写真家グレッグ・コンスタンティン氏の撮影した、イラク・アルビルの建設中のビルに住むシリア難民の少女。

2013年7月17日付けブログ
シリア難民がルワンダ以降で最悪の規模へ&シュバリエ空爆
で180万人とお伝えしたシリアからの国外避難民は、2014年8月時点でなんと300万人を超えたといいます"UNHCR【プレスリリース】シリア危機:シリア難民300万人を超える"
英文での最新情報では321万3349人だそうhttp://data.unhcr.org/syrianrefugees/regional.php
避難先ではレバノンに114万人、ヨルダンに60万人以上、トルコには80万人以上となっていて、
2013年10月27日付けブログ
本日ザアタリキャンプから生中継
で紹介したザアタリなど、UNHCRや各機関が支援する難民キャンプの存在はよく知られています。

届いたニュースレターでは、
難民キャンプではなく、アンマンやラムサなど、都市部のアパートなどを借りている、いわゆる「都市難民」を取り上げていました。
UNHCRの「シリア難民の現状」
というHPによると、都市難民の割合は85%にも達し、その把握も難しいということです。そしてUNHCRでは2013年5月から、そのうち4万人を対象に月125US$の現金支援をしているそうです。

私がアンマンに住んでいた頃は、シリアはまだ平和でしたので、難民と言えばイラクからの人々を指していました(パレスチナ難民はほぼ日常にとけ込んでいました) それでも150万とか180万人とか言われていたアンマンの人口が、2年くらいの間に20万人くらい増え、それが家賃(アパート代)の相場を押し上げている、と言われ、実際私が借りたアパートもリビングに2つの寝室付きで200JDもしました。周囲の日本人を見ても、比較的安いところで150JDで、100JD以下では絶望的だったと思います。ちなみに、治安上の問題がない地区を選びますが、いわゆる在留邦人向けとか外国人向けとかではない物件です。
隣室には、やはりイラクから逃れてきた母と娘2人が住んでいましたが、男一人で住んでいた私はコンタクトがとりにくく、妻が滞在している間だけ料理のおすそ分けをしたり、されたりしていました。ただ、滞在の最後の頃、大家から「隣がイラクに里帰りしたまま帰ってこないから心配だ」と聞かされ、そのまま会うことなく帰国となったのです。
今ではシリア難民の急増で、相場はますます上昇しているといいますから、125US$では、家賃の一部にしかならないでしょう。
下の写真はアンマンのダウンタウンのすぐ南に広がるアシュラフィーエの丘。このあたりでは当時100~150JDくらいでアパートを借りられたのですが...
都市難民の急増は家賃相場の上昇にとどまらず、彼らを受け入れる学校の不足、彼らが働き口を探すことによる失業率の上昇、もともと逼迫している水資源の不足など幅広い影響を周辺国にもたらしています。また、食い詰めることを回避するため、娘を早くに嫁に出す(結納金がもらえるということでもあります)ことも多くなっているとのことです。

BS1 国際報道2014 シリア難民少女 早すぎる結婚

見逃してしまったのですが、再放送はされないですかね?

これから迎える冬。昨冬はエジプトのピラミッドに雪が降るなど、猛烈な寒波が中東を襲いましたが、ヨルダンやシリアではもともとストーブがないと過ごせないほど気温がさがります。ストーブの熱源となるのはヨルダンでは主にプロパンガス。それを売りにくるトラックが流す物悲しいメロディが、今日もアンマンの丘に流れているのでしょう。

右は冷え込むリビングでマフラーなどをがっちり着込み、ストーブで暖まる、ヨルダンに来たての妻。遠く離れる私の嘘八百により刷り込まれていた、エーゲ海沿いのギリシアの村のような温暖なイメージは来ヨルダン初日に崩壊しました。

国連UNHCR協会のニュースレターWith youの11月号はこちらからダウンロードもできます。