ラッカの風情 | アーディで行こう

アーディで行こう

「普通」を意味する便利な言葉、「アーディ」 地元の足として、とことこ走るバスなんかを「アーディ バス」、エジプトではエアコンなし列車を「アーディ」 そんな方法での旅を紹介しましょう。
え、そんなの自分には無理だって? 大丈夫。「アーディ、アーディ」

アレッポから鉄道かバスで沙漠のなかを2時間ほど東へ走ると、大きな川のほとりに緑が広がり、街が開ける。
それがالرقةラッカです。

2010年に始まったシリア内戦の中では、アレッポ~ホムス~ダマスカス~ダラアのシリア国土南北軸に注意力が注がれ、結果として国土の東側にある沙漠地帯が権力の空白地帯となって、ヌスラ戦線などイスラム系過激テロ組織が伸張しました。1年ほど前からالدولة الاسلامية في العراق والشام‎イラク・シリアのイスラーム国と称する連中がアレッポの軍事基地を手中に収めるなどして、今ではアレッポ北側のトルコ国境付近(一説にはトルコ国境を越えて物資の支援を得ていたと言われています)からイラクの中部までの広い範囲でやりたい放題をしているわけですが、ラッカは2013年にはヌスラ戦線と彼らに掌握されてしまっていました。そして今や彼らは الدولة الإسلاميةイスラム国と称し、ラッカを首都とさえみなしているというではありませんか。

ダムとユーフラテス川
そのラッカを私も数回訪れたことがあります。シリア北部の観光を考えると、アレッポと東部デリゾール、そして沙漠のど真ん中のパルミラは外せません。ラッカはアレッポとデリゾールにそれぞれ2時間ほどの中間地点にあり、決して遠くはないのですがどうしても後回しになってしまい、通過はしても降り立つことはないことが続き、初めて訪れたのは2007年。
仕事の後にアンマンを出てダマスカスのカダム駅に急ぎ、運良くゲットした寝台券を手にالقامشليカミシリ行き夜行に乗り込むと翌朝5時、朝陽もまだ昇らないالثورة‎アッサウラ駅に降り立ちました。沙漠の一本道との踏切近くに1両分の粗末なホームがあるだけ。辺りを見回しても人家は遥か遠くに見えるだけです。東へ向かって去っていくカミシリ夜行を見送りながら、こりゃとんでもないところに降りてしまったなと少々心細くなっていると、ちゃんと黄色いタクシーがやってきました。
なぜこんな駅に降り立ったかというと、ラッカの西方40kmでユーフラテス川をせき止めるダムと、ダム湖にあるقلعة جعبر‎カラート・ジャーバルという城を見に行くためです。地図で見る限り、このアッサウラ駅からは歩いてでも行けそうだったのですが、こう寂しくてはタクシーに乗りたくもなるというものです。
カラート・ジャーバルへはダム堰堤上の道路を渡って対岸へ向かうので、堰堤上で停車してもらい、しばしば下流を眺めます。昨今のISがらみでイラクのモースル近郊にあるダムをISが破壊するとバグダッドすら5m程度浸水するといった話が出ていたように、ダムは軍事的にも重要なのでここにもシリア軍の歩哨がいるのですが、朝で眠いのか、それとも観光客には慣れているのか、こちらに近づいてきませんので写真も撮り放題です(といってもおおっぴらにカメラを振り回したりはしませんが) 遠くトルコの中央部に源を発したユーフラテス川(アラビア語ではالفراتフラート川、トルコ語でもFıratフラト川)が、赤茶けた沙漠地帯をうねうねと蛇行しつつ、周囲に潤いをもたらして目にもあざやかな緑のベルトをつくっているのが見てとれます。このダム湖のほとりにはアッサウラもしくはالطبقة‎タブカと称するダム建設に伴ってできた街があり、湖で養殖される魚料理がうまいのですが、ここもラッカの一部です。上の1枚目の写真が、アサド湖にある養殖いかだです。

ズボンのお尻が破れてしまった
さて、東へ移動しようと、アッサウラからラッカの街へセルビスで出てみると、お尻に違和感が。なんと、ズボンの縫い目がほつれ、ぱっくりと開いているじゃないですか。間の悪いことにちょうどこの日はイスラム教の安息日にあたる金曜日。カメラバッグを腰に回してお尻を隠しながら、ミシンを持っていそうな仕立て屋さんを探しますが、街もスークも、みな店が閉まったまま。人通りもまばらです。中心部には写真の時計塔のあるドワール(円形交差点)があるのですが、わずかに通りかかる人に片っ端から聞いても、「うーん、今はムサッカル(closeの意味)だと思うよ」「サラー(礼拝)の後まで待ってみたら」とつれない返事。しかし、サラーまではまだ2時間くらいあります。お尻が空いたまんまじゃあ、街歩きもおちおちできないし、ここはなんとしてもミシン屋をみつけなければ。
うろうろと歩き回ること1時間。11時半ころになって沿道の仕立て屋にようやく動きが。おじさんが店の準備をし始めました。これを逃すまじ、すぐに突撃し「これはムシケラ(問題)だ」「ハラーム(宗教的禁止事項)じゃないか」と大げさに訴えて、直してもらえることに。2階が仕立て作業場になっており、そちらに上げてもらって作業を見ながらシャイをいただきます。他の作業もちょっとやりながらだったので、30分ほどかかってできあがり。無事、昼頃にはデリゾール行きのセルビスに乗ることができました。シュクラン・クティール。

殺気立つチケット売り場
さて、翌年。例によってヨルダンから入国し、カミシリ夜行に乗るべくカダム駅に直行したものの寝台券はハラース(売り切れ)、いくらリクライニングするとはいえ停車ごとに乗り降りで騒々しい1等座席での疲れと、降りたった直後ちょいとホームで写真を撮っていたら居合わせた秘密警察の協力者に腕を掴まれ、駅構内の公安へ連行されて疲れてしまった私は、初訪問のカミシリ市内散策を早々に切り上げ、アレッポまで400キロ、沙漠の中を一直線に突っ切るM4ハイウェイを走るプルマンバスの客となったのでした。
そのまま乗っていれば5時間ほどでアレッポに着くのですが、何を思ったのか沙漠のどまんなかで途中下車。テル・アビヤッドから来るセルビスに乗り換えてラッカに入ります。よく憶えてはいないのですが、このまましっぽを巻いてアレッポに帰れるかといった気持ちだったのでしょうか。ただ、そんな疲れた体でラッカに行ってもなにができるというのか。結局、カラージュ(バスターミナル)で係員と仲良くなり、事務所でお茶することに。しかし、この日はなぜかバスの客が多い多い。係員も2名体制で発券手続きを急ぐのですが追いつかず、窓口に並んだ客は次第に殺気を帯びた雰囲気に。お札を握った手をこれでもか、とカウンター内に伸ばして我先にと行き先を叫んでいます。こんなに無秩序なシリア人を初めて見ました。

平和だった頃のラッカの一幕です。シリアが落ち着きを取り戻すこと、そしてみんなにはそれまでなんとか生きのびてほしいと願うばかりです。