それがالرقةラッカです。
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ダムとユーフラテス川
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仕事の後にアンマンを出てダマスカスのカダム駅に急ぎ、運良くゲットした寝台券を手にالقامشليカミシリ行き夜行に乗り込むと翌朝5時、朝陽もまだ昇らないالثورةアッサウラ駅に降り立ちました。沙漠の一本道との踏切近くに1両分の粗末なホームがあるだけ。辺りを見回しても人家は遥か遠くに見えるだけです。東へ向かって去っていくカミシリ夜行を見送りながら、こりゃとんでもないところに降りてしまったなと少々心細くなっていると、ちゃんと黄色いタクシーがやってきました。
なぜこんな駅に降り立ったかというと、ラッカの西方40kmでユーフラテス川をせき止めるダムと、ダム湖にあるقلعة جعبرカラート・ジャーバルという城を見に行くためです。地図で見る限り、このアッサウラ駅からは歩いてでも行けそうだったのですが、こう寂しくてはタクシーに乗りたくもなるというものです。
カラート・ジャーバルへはダム堰堤上の道路を渡って対岸へ向かうので、堰堤上で停車してもらい、しばしば下流を眺めます。昨今のISがらみでイラクのモースル近郊にあるダムをISが破壊するとバグダッドすら5m程度浸水するといった話が出ていたように、ダムは軍事的にも重要なのでここにもシリア軍の歩哨がいるのですが、朝で眠いのか、それとも観光客には慣れているのか、こちらに近づいてきませんので写真も撮り放題です(といってもおおっぴらにカメラを振り回したりはしませんが) 遠くトルコの中央部に源を発したユーフラテス川(アラビア語ではالفراتフラート川、トルコ語でもFıratフラト川)が、赤茶けた沙漠地帯をうねうねと蛇行しつつ、周囲に潤いをもたらして目にもあざやかな緑のベルトをつくっているのが見てとれます。このダム湖のほとりにはアッサウラもしくはالطبقةタブカと称するダム建設に伴ってできた街があり、湖で養殖される魚料理がうまいのですが、ここもラッカの一部です。上の1枚目の写真が、アサド湖にある養殖いかだです。
ズボンのお尻が破れてしまった
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うろうろと歩き回ること1時間。11時半ころになって沿道の仕立て屋にようやく動きが。おじさんが店の準備をし始めました。これを逃すまじ、すぐに突撃し「これはムシケラ(問題)だ」「ハラーム(宗教的禁止事項)じゃないか」と大げさに訴えて、直してもらえることに。2階が仕立て作業場になっており、そちらに上げてもらって作業を見ながらシャイをいただきます。他の作業もちょっとやりながらだったので、30分ほどかかってできあがり。無事、昼頃にはデリゾール行きのセルビスに乗ることができました。シュクラン・クティール。
殺気立つチケット売り場
さて、翌年。例によってヨルダンから入国し、カミシリ夜行に乗るべくカダム駅に直行したものの寝台券はハラース(売り切れ)、いくらリクライニングするとはいえ停車ごとに乗り降りで騒々しい1等座席での疲れと、降りたった直後ちょいとホームで写真を撮っていたら居合わせた秘密警察の協力者に腕を掴まれ、駅構内の公安へ連行されて疲れてしまった私は、初訪問のカミシリ市内散策を早々に切り上げ、アレッポまで400キロ、沙漠の中を一直線に突っ切るM4ハイウェイを走るプルマンバスの客となったのでした。
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平和だった頃のラッカの一幕です。シリアが落ち着きを取り戻すこと、そしてみんなにはそれまでなんとか生きのびてほしいと願うばかりです。