リビアの風情 | アーディで行こう

アーディで行こう

「普通」を意味する便利な言葉、「アーディ」 地元の足として、とことこ走るバスなんかを「アーディ バス」、エジプトではエアコンなし列車を「アーディ」 そんな方法での旅を紹介しましょう。
え、そんなの自分には無理だって? 大丈夫。「アーディ、アーディ」

チュニジアから始まった市民革命は、ついにあのリビアにまで及んでいます。07年にかの地を旅行したときには、そんな気配は全く感じられなかったものです。

アーディで行こう
リビアといえばこの人。ご存知カダフィー大佐です。実質上の国家元首ですが、リビアは彼の考えだした「直接民主制」という政体のため、政府そのものがなく、よって首相も大統領も、およそ元首という存在がいない建前になっています。でも実質的に独裁者ですが。
現地ではどう言われているかといいますと、私たちにアテンドしたガイド(政府側)は
「我らのリーダー」という言い方をしていました。言い得て妙ですね。
ちなみに正しい名前はアラビア語で
معمر محمد القذافي
現発音に近いカタカナで表記すると
ムアンマル・ムハンマド・アル=カッザーフィー
となります。
ムハンマドはアラブ人によくある名前で、預言者にもちなむのでよく使われますね。街中で「ムハンマド!」と叫べばかなりの割合の人が「呼んだか?」と振り向きます。
アハマド、マハムドなんかと同じ語源の名前です。
カッザーフィーというのは、彼がカッザーフというベドウィン部族の出身だから後付けされた名前のようです。~ィーというのは地名から名前をとる時によく使われます。エジプトで現在の暫定政府を率いている軍の指導者はタンターウィさんですが、十中八九、デルタ地帯中央部にある要衝の町、タンタの出身だろうと思います。7年ほど前に世間を騒がせたアル=カーイダの当時No.2、ザルカーウィはヨルダンのザルカ出身で、05年にアンマンで起きた同時多発ホテル爆破事件の首謀者とされてからは、ザルカの某地区在住の親族たち自身も大変だったようです。私がアンマン在住時に、知り合いの日本人がその地区で養護教諭をしていましたが、親族の子どもがいじめにあわないようにと苦慮していましたっけ。
なお、この写真の看板はリビア随一の観光地、レプティス・マグナの博物館内にあるものです。

アーディで行こうさて、今回の反体制デモはリビアの東部で激しいようです。東部最大の町はベンガジという港町ですが、07年に訪問した時は港で市民が魚釣りを楽しむ、のどかな町でした。この写真から左側にパンすると、軍艦が停泊していまして、そんなところで外国人が写真を撮れるという、あけっぴろげさにびっくりしたものです。
アラブ人はもともと旅人を大事にする人達ですが、このリビア人のホスピタリティも相当なものでして、あのシリア人から生活苦を取り除いたらこんな感じかな、と思ったものです。町を歩いてもだれも生活に困っている感じがしませんでした。当時は石油やガスといった富の分配がうまくいっていたのでしょうか。リビア人なら高等教育まですべて無料ということでした。ヨルダンでは当時新車を買ったら関税が200%くらい、つまり車の値段と同額の税金を払わねばならなかったのですが、リビアでは関税0%ということで、非常に驚いた記憶があります。イタリアで買うより、プジョーが安いと言っていました。

$アーディで行こうただ、大学は出たけども、それを活かす仕事はなかなか見つからないそうで、政府の役人になるか、外国人相手に商売できる旅行業が一番金になるということでしたから、閉塞感はあったのでしょうね。報道によると08年からアフリカ系出稼ぎ移民を多数受け入れたということでしたが、07年当時でもトリポリにはガーナやナイジェリアから相当出稼ぎ者が来ていて、リビア人がやりたがらない労働を肩代わりしていました。
左の写真はベンガジ郊外のビーチリゾートです。今回AP通信で配信された、ビーチに市民が大勢集まっている場所不明の写真はここで撮影されたものとおもわれます。ホテルのプライベートビーチの他に、写真に写っている市民向け休暇村もあり、ベンガジ市民の憩いの浜辺になっていました。


下の写真は金曜日のトリポリ旧市街。玄関前の小路を掃除する住民です。彼らに安らかな生活が戻るのはいつになるのでしょうか。
$アーディで行こう