テル・アビヤッドの国際的な家族 | アーディで行こう

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「普通」を意味する便利な言葉、「アーディ」 地元の足として、とことこ走るバスなんかを「アーディ バス」、エジプトではエアコンなし列車を「アーディ」 そんな方法での旅を紹介しましょう。
え、そんなの自分には無理だって? 大丈夫。「アーディ、アーディ」

(1)からの続きです。

ユーフラテス川を渡ってテル・アビヤッドへ
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休憩を終えて再びバスが走り出すと、後方の乗客が数名、私をどうするかで話し合いを続けています。結局、バスの助手をしている兄ちゃんの家で面倒を見ることになったようでした。
外は日が暮れて、薄暮の中長い橋を渡ります。どうやらこれがユーフラテス川(アラビア語とトルコ語ではフラート川)のようでした。この橋からトルコまでは川をさかのぼること40km、新ヒッタイトの遺跡で有名なカルカムシュが国境です。でも遺跡自体は水をめぐるトルコとシリアの緊張で地雷原となってしまい、最近ようやく地雷撤去の作業が始まったそうです。カルカムシュの遺物はほとんどがアンカラのアナトリア国立博物館に展示されています。右はオーソスタットと呼ばれる、壁下部の羽目板。浮き彫りが美しいですね。

バスが走っている道路は、シリア北部を横断し、アレッポとカミシリをつなぐハイウェイです。ユーフラテス川を渡った後、テル・アビヤッドへはラッカから北進してきた道路に曲がらなければなりませんが、道路標識が立っている交差点をすっとばし、さらに東進。どうやら行き先表示にあるスルークسلوكという町を先回りするようです。そのうちバスは北に向かい、スルークで乗客の半分を降ろした後、今度は西へ。辺りは真っ暗で、助手の兄ちゃんが「あっちはトルコだよ」と指差した方角には、町の灯りがあかあかと灯っているのでした。
ようやくテル・アビヤッドに到着。助手の兄ちゃんに言われるまま、タクシーに乗りこみます。こんな小さな町なのに、ちゃんと黄色に塗られたタクシー(アレッポやラタキアあたりでよく見る軽乗用みたいな小型車)がいてびっくりです。てっきり白タクの天下だとばかり思ったのですが。車で5分ほど連れられて行ったのは町外れの一軒家。30歳くらいのお兄さんが出てきて、まずは「アッサラームアレイコム」と握手しながら挨拶。兄ちゃんが事情を説明すると、もちろんアハランワサハラン(ようこそ)
靴を脱いでリビングに上がります。

アーディで行こう親日的なシリア人
親日で有名なトルコに負けず劣らず、ここシリアでも日本人は非常に尊敬されています。在住の日本人に聞いたところでは、シリアで長く農業指導をしている日本人の事例を中心に、青年海外協力隊員などの農業指導がテレビなどで紹介されており、日本のシリア近代化への貢献が国民に広く知られているということのようです。日本のODAでは珍しく広報が成功してるんですね。ボランティアといえば日本で職にあぶれた物好きで、自分たちのために代わりに働いてくれる都合のいい下僕だと思っているようなヨルダンとは大違いです。

国際的な一家
右上の写真右から2人目に写っているバス助手の兄ちゃんはまだ20歳前。この家を切り盛りしているお兄さん(右下の写真左端)はもちろん結婚していて、若い奥さん(右上写真の左端)はトルコ人。お子さんはまだ5歳くらいの女の子だけです。おじいさんはかなり体が弱いらしくリビングに敷いた布団に寝ていますが、その奥さん(右下の写真左から2人目)はまだまだかくしゃくとしています。彼女はクルド人ということで、実に国際的?な家族です。宗派はイスラームとのことでした。
アーディで行こう家に着いた時には他にも知り合いのおじいさんが一人いて、その後彼の息子とその友達(右上の写真の2人)が迎えにきて、日本人がいることにびっくり。夕食(中東では昼食がメインなので、夕食はかなり軽い)をいただきながら談笑すること2時間。シリアやヨルダンでは夕方から夜はたいていこうやって友人知人と語らいながら過ごすんですね。この時期は暑くないですが、夏ともなると沙漠のど真ん中のこういった村では昼間は気温42度前後にまで上がり、とても暑い。沙漠ですから夜はぐっと気温が下がるので、過ごしやすくなってから就寝するといったぐあいです。12時頃になり、隣の寝室を空けてもらって床につきました。