明治30年代の五城目町古地図 |   ミズノ馬鹿一代

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秋田県五城目町の地域情報や議員活動、議会での内容、家族のことを発信しております。

先日の大雨による影響は町内各所にまだ残っていますが

久しぶりにすがすがしく晴れ渡りすがすがしい朝を迎えた当五城目町!

この青空、12時間前の昨日(25日)午後7時頃は

おどろおどろしいような色に染まっていたのです。

時間の経過とともに、怖いような色に変わっていきました。

怖くて、キレイ!

このまま梅雨明けとなるのでしょうか??

秋田県中央部~県南地域では今回の大雨で甚大な被害が出ております。

被害に遭われた皆様には心からお見舞い申し上げます。

 

下の地図は、明治37年頃の五城目町の畑町・築地町の街並みを示したものです。

右下、縦のラインは下町通り(=朝市通り)

現在の五城目郵便局は『宿や』

郵便局奥のNTTの場所は『役場』

朝市ふれあい館は「渡辺徳の川酒造』

下町通り北側突き当りの高性寺は今も昔も変わりません。

当店(荒要商店)は『荒川』

商店でも職人でもなく、実に簡単な扱いです(^^;)

お向かいの『キンスケヤ』さんは『加賀谷肉や』さんで載っています。そして加賀谷さんから役場に通じる道は『キンスケ小路』!⇒個人の屋号が通りの名前になったのか?それともキンスケ小路に面してたからなのか??あとで聞いてみよ~っと!

高性寺、当店前から横に伸びる通りは通称:おせど小路

五城目神明社に通じる道=御伊勢堂に通じる小路=おいせどう小路から『おせど小路』と呼ばれるようになったと言われています。

それにしても、おせど小路、左右みっちり自営業者が並んでいますね~!

昭和中期までは一方通行ではなく、路線バスも往来し五城目の金座街と言われるほど賑わったのだそうです。

 

下の図は明治30年頃の現在の朝市通り。西暦でいうと1897年!今から120年前

左端『彦兵衛酒造』

秋田銀行五城目支店は『沢木銀行』

『タバコ屋』『はたご屋』『かざり屋』『肉と古着屋』『染屋』『髪結』『わた屋』『下駄屋』『呉服』『指物』『古物』『荒物』『小間物』『女はり師』『あめや』『油屋』『くすり屋』『医院』『旅館』『そば屋』『運び屋』

現存するお店、しない店、業種転換したお店!120年間の時の流れを感じます。

明応4年(1495年)!今から522年前から延々と行われてきている五城目朝市はこの頃よりさらに400年前から...

車社会、郊外型大型店の進出、夫婦共稼ぎ、産直施設の台頭などなど

朝市や商店街に対する逆風は年々強くなってきていますが、灯を絶やす訳にはいかないと思います。

 

明治の古地図を眺めていると、当時の繁栄と賑わいを想像しながら、大切なふるさと五城目を思う気持ちがさらに深まります。

 

絶やす訳にはいきませんよ~~~~!

 

 

この古地図は、当店ミニ資料館内に展示しておりますのでご自由にご覧になってみて下さい。

秋田県五城目町 荒要商店