宿泊先は昨年の秋に予約しておいた三福である。3部屋しかないので、なかなか予約が取れない宿である。
それ故、これまでも書いてこなかったし、これからも書くことはないと思っていたのだが、曲げて書くのはコロナで何処もたいへんなのだということだけである。
玄関を入ると「お帰りやす」と女将に迎えられ、何することもなくそのまま二階の部屋に案内される。最初に頂くのは大女将のお手製、お付き菓子とお茶。
玄関に置いたキャリーケースを大女将が運んでくるのが心苦しい。
それが宿屋に変わって70年。京町屋の風情もありますが、それなりに老朽化している部分もあります。すべてに心地良く何もかもピカピカで不便もない宿舎をお望みなら、他に幾らでもあるでしょう。基準は人それぞれで何を大切に思うかです。
でも、今時こんなことやっちゃうのは、ある意味真面目な京大生くらいなものかと思っていたら、京大OBはTwitterで京大生の仕業と断言していました。
なんでもフランクザッパが京大で講演した時に、大文字山にZの文字を灯した前科があるそうです。
ところで左右には川床があるので、あまり窓に近づくとお客さんと目があってしまうかもしれません。2階はちょうど川床と同じ高さなのです。
料理は記憶がないので(笑)わかる範囲で書きますが、付け出しは海老と緑は胡瓜の摺り下ろしです。
祇園祭の間は山鉾町の方々は胡瓜を食べないと言いますが、それは切口が八坂神社の神紋と似ているからと言われています。でも本当はこの時期は胡瓜より青瓜の方が美味いから、それを後付けの言い訳としたのだと何処かで聞きました。何処だったろう。思い出せません。
昨年は急病で前日キャンセルしたこともありますし、今年は5月の予約はコロナ自粛でキャンセルさせてもらいました。昨年秋の生残りの会も無理を言って3人受入れてもらいました。今回はその分少しでもお返しするつもりでお食事を予約させてもらいました。
いつも通り一人旅ですから、連れは先斗町の亜弥さんにお願いしました。いわゆる「ご飯食べ」というやつです。それもあっての浴衣持参です。
京都には宿も一見さんお断りということがあります。早速メールで泊めてもらえるものかどうか連絡させてもらって、最初に予約したのが「京の賑わい」という、五花街合同の南座の公演の日でした。
鱧です。祇園祭は鱧祭とも言います。鱧は梅雨の水を吸ったあとに味が変わると言います。それが祇園祭の頃ということからでしょう。
その初めての予約を前日に発熱しキャンセルし、当日にはさらに悪くなって入院したわけです。なんというタイミング(爆)。
何事もないと通り一遍の関係からなかなか先に進みにくいものですが、何かトラブルがあると一歩踏み込んだ関係になれるということは、仕事でもよくあります。もちろん、どう対応するかが大事なのは言うまでもありません。
入院はそれなりにたいへんでしたが、お陰ですぐに覚えてもらえたような気がします。
鱧の柳川です。
そういう関係を面倒くさいと思う人は多いでしょうし、私も基本的に近所付き合いとか全くしないタイプです。親戚付き合いもほぼない。でも、旅先はツテがあるとなにかと楽しい。特に京都はツテがあってこそだと思うのです。
頭から頂ける鮎でした。蓼酢で頂く。
知り合い、またその知り合いと6人をたどると、世界中に繋がるという仮説があります。これを六次の隔たりといいます。
京都には行くに行けない、見るに見られない場所がいっぱいありますが、ツテを辿るともしかしたら行きたい、見たいという希望がかなうかもしれません。期待してはいけませんが、そう思えば夢もひろがるじゃないですか。
生意気を言いました。でも、そんなことを感じた食事でした。
いつもの朝食。これも料理長が作っているのです。いつもご馳走様です。
ね。