Oh! Nujina. (30年以上前の中学の英語の教科書の一説でした。)
奥塩原新湯温泉は、新湯といっても江戸時代初期の大地震で元湯温泉の源泉が埋没した際に、新たに湧出した新湯噴火口の温泉を利用して開かれたという歴史のある温泉街です。温泉じたいは西暦1100年頃から利用されていたといいます。
元湯のほうも大出館しか行ったことないけど、新湯は今回が初めてで、思いつきできたから場所がわかるか不安でした。
そんな気持ちで日塩もみじラインを走って行くと、秘湯を守る会の下藤屋さんがあったので、ああ、この近所のはずと確信しました。下藤屋さんのちょっと先の路端のスペースに車を止めて、ぶらぶらと歩いて戻ります。下藤屋さんはちょうど宿泊客の来宿がピークだったと見え、従業員が宿の前で待機していましたので、
「共同浴場は・・・」と聞いてみたら「6時までですから、まだ大丈夫ですよ」と、意図するものとは違う答えが返ってきたのですが、「そっちじゃありませんよ」とは言われなかったので、そのままぶらぶら歩きます。
めざす共同浴場は、下藤屋さんの手前にあって、「湯荘 白樺」の付近でした。塩原方面から来て左に「寺の湯」、右に「狢の湯」、そしてそこから左斜めに延びる道を進むと「中の湯」という配置です。
まずは寺の湯を横目にみながら狢の湯に行ってみることにしました。
こんな階段を降りていく必要があったので、(帰りには登ってこなくちゃいけないから)最初は狢なのです。
共同浴場 狢の湯
入浴料は300円で、以前は混浴でしたが、現在は男女別の浴槽と改装されています。
酸性含硫黄-アルミニウム-硫酸塩温泉(硫化水素型) 湯温59.2℃ ph2.4
新湯温泉の起源や、二宮尊徳にまつわる話が記載されています。
脱衣所です。
体感温度は44~5度くらいでしょうか。熱いですが、先日の野沢温泉ほどではありません。2~3分の入浴を数回繰り返し、先人達が去るのを待ち、隣の若い女性が出るのを待って、(だってシャッター音が聞こえて盗撮って思われても困るので)撮影してきた貴重な画像です。浴室は仕切られていますが、上部は開放されてつながっているんです。
疑問、なぜ若い女性とわかったか。見えたんです。
夫婦で来てた親父がさー、男湯の入り口開けっ放しで帰ったもんだから、外を通る人が見えたの。だから、女湯に入ってきた女性が若いってわかったのでした。 別に浴室で見えたわけじゃないよーん。
白濁したお湯がなんともいえない良い感じで、硫黄臭がしてきそうでしょ
お湯は裏にある霊岩から湧き出しているそうですが、どうも女湯のほうに出ているような感じでした。というのも前出の夫婦者のあけっぱなし親父が奥さんに奥のほうをかき混ぜろと指示してましたから、たぶんそうなんだろうという推測です。
弁慶は面の皮が厚いらしく、この酸性でもピリピリまではしないようです。
平日の昼間とか、空いてていいかもねー(ポチもお願いします)
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