「京子ちゃん」
事務所に入る直前、後ろから突然聞こえた男の声にキョーコは驚き、振り返った。
「おはよう」
その姿が、ラブミー部の仕事でキョーコによく話しかけてくれる20代後半のLMEで働く男性社員だとわかり、キョーコは丁寧に頭を下げた。
「おはようございます。お疲れさまです」
「お疲れさま。今日はラブミー部の仕事?」
「いえ・・・今日は、松島さんに呼ばれているので俳優部に」
「松島主任?椹主任じゃなくて?」
タレントセクションに所属しているキョーコが、何故松島に呼ばれるのかと不思議そうな顔をしている男性社員にキョーコは照れたように頬を赤くして口許を綻ばせる。
「今、テレビで流れている携帯電話のCMに私も出させていただいてるんですけど、有難いことに沢山の方に好評なようで、それについてお話があるそうなんです」
「ああ、あのCM見たよ!京子ちゃんが綺麗な黒髪の!可愛かったよ~」
「あ、ありがとうございます…お世辞でも嬉しいです!」
「お世辞じゃないよ、本当に良いCMだったよ・・・・・俺もあと10歳若ければな」
「大丈夫ですよ!CMで紹介された携帯は、10代から新卒者の方向けでしたけど、20代30代の男性に合うビジネス向けの携帯も新しく発売するっておっしゃっていましたよ」
「あ…いや…そういう意味じゃなくて・・・」
「え?」
キョーコとの10歳の歳の差を気にしての発言だったのだが、嬉々として携帯電話の説明をし始めるキョーコに男性社員が赤面しながらゴニョゴニョと言葉を濁す。
「どうかしましたか?」
キョトンと円らな瞳で男性社員を見つめるキョーコは、CMよりも更に初々しく無垢な表情を浮かべている。
「いや…何でもないよ?」
風邪ですかと心配そうに間近で顔を見上げられ、男性社員は益々頬が赤くなる。
その表情は、思わず手を出しそうになる程に凶悪的に可愛らしい。
「だっ大丈夫大丈夫!俺、あっちから行くね!お疲れさま」
「あっお疲れさま…です」
そそくさとその場を立ち去った男性社員の背にキョーコは呆気に取られたまま別れの言葉を口にした。
「エレベーターに乗らないなんて、健康のためかしら?」
階段の方に走る男性社員を見送り、キョーコは首を傾げる。
「多分…違うと思うよ?」
「へ?」
「おはようキョーコさん」
口許を押さえ、クスクスと笑いながら愁がキョーコの隣に並び立った。