うーたんママ。 | つくしのブログ

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私、つくし。主人、旦那さま。長女、おねぇーちゃん。長男、にぃーに。次男、ちびちゃん。のつくし家のお話しです。
障害のお話が多いかも…


昨日ね

たくさん   たくさん
コメント欄に書いたら

upした時に
消えてしまって

すごく時間が
かかってしまったから
そのせいかな、、


個人的なコメントを
ここでupさせて頂きます。



うーたんママ
辛くて   苦しくて
言葉では言い表せない


祐菜ちゃん
小さな     小さな身体で
本当にね

たくさん   たくさん
頑張ってくれたんだよね。

うーたんママは
良くわかってくれてる
だから祐菜ちゃんも

ママに本当の気持ちを
言葉をだせたんだよね


酷い言葉も  態度も
病気が薬が、、、

そうさせる。


でも祐菜ちゃんは
小さいのに
ほんとうに小さいのに
ママに謝れるって

辛いく  しんどい中で
すごいよね

うーたんママが
そういう方で
その中で
育ってきたからなん
だろうなぁ  って

私は思っています。


そんな素敵な
かわいい祐菜ちゃんの事、

たくさん教えてくれて
ありがとうママ。

書いてて  辛く悲しい時
涙ぽろぽろな時
いっぱい   いっぱいあると
思います

無理はしないでね

これからも
祐菜ちゃんの事
たくさん教えてね。




うーたんママ少し
娘の事を書かせてもらいますね。


娘は今年ね24歳になりました。

19歳、大学1年の冬
年明けに成人式を迎える
予定だった時に

急性骨髄性白血病を発症
しました。

白血病って言っても
本当に沢山の種類があるし
病状も違って

それは、どんな病気や
どんな癌でも一緒だよね

娘は即入院  
当日から化学療法を
受けることになり

その間の沢山の検査の中で
生まれつきもった
遺伝子異常がある事が
わかりました。


最良と言われた
化学療法の薬が合わなくて
副作用ばかり、、、

3クール目で
弱い薬に変える事になり

この時ね
娘と2人で初めて声を出して
泣きはらしました。

本当はね
娘が泣いてる時
私は気丈でいなければって
思っててね
娘の前で泣かないって
決めてたんだ。




弱い薬になるからもう1クールした
ほうが良いと

でもね、もう1クールしたら
身体がもたずに
そのまま駄目になるかも
しれないからって

決断を私と娘で
する事になりました。


たくさん話して
娘は自然治癒力で行くと。

私は駄目になってしまう事に
かけれないから、命がある今
少しでも何かできる事を
して欲しいかったから、
2人で退院を選びました。


癌細胞をもったままの退院。

周りにはね
今は癌でも治療で治るとか、、
うちは、治ったからとか、、
とにかく沢山
いろいろ言われながら

違うよ  一括りにしないで
なんて思いながら
にこにこ笑ってた私


半年経たずして復学2日目にね
主治医の先生から電話があり

入院の用意をして
来て下さいと…

娘になんて伝えようか
なんて言ったらいいの‼︎
髪の毛もやっとそろってきて、、

娘が帰るまで泣いて
にこにこ帰ってきた娘に
現実を話して

次の日から入院。


化学療法を受け
移植のためドナーの方を
探してもらってたんだけど

日本で駄目    海外のバンクも駄目
遺伝子異常があって白血球の型が珍しいから
難しくて

なんとか臍帯血移植をと
決定しかけてたところ

離婚してた娘のお父さんが
ほぼマッチしたの

普通は親はマッチしないんだけど
それが遺伝子異常なのかって
思ったのと

ありがとうって
それしか言葉がなかった。


移植にむけて
全身放射線で癌を叩き
ぼろぼろの体に骨髄移植

移植の直後に呼吸停止。

でも持ち直して
今、生きてくれています。

GVHDが酷くて
化学療法や放射線の影響もあり

内臓、粘膜、皮膚、目、等ね
あらゆる機能が
ぼろぼろになりながら

頭にカビも飛んで

発症から何度かの
危篤状態を繰り返しながら

副作用やGVHDの影響で
歩けなくなり
車椅子生活で身体障害1級

閉塞性細気管支炎(難病指定)
となり

入退院を繰り返しながらも
今ね生きてくれています。


少しの感染もケガも
命に関わってしまうけれど

その心配も
生きててくれてるから
だからこそ出来る心配
なんだよね。

20歳前後の娘も
叫んだり、泣きわめいたり
沢山あったんだ…


上手く書けなくて
省略も多くて
ゆるして下さいね。


うーたんママのブログ
拝見してて

そうだよねって事が
たくさんで、、

ママとたくさん話して
みたいなって思ってしまうの

祐菜ちゃんの事
たくさん話してね。


教えてね。