2014.8 三陸海岸北上 いまをみる 2日目 その3 | あおいとあさぎの旅行記 blue × blue journey

あおいとあさぎの旅行記 blue × blue journey

カメラの蒼生≪あおい≫と一緒にまわった、ひとりとひとつの旅のきろく。

浄土ヶ浜をくだって、再び宮古駅へと帰ってくる。

*その2~遊覧~はこちら


少し遅めのお昼を、宮古駅すぐ横にある定食屋さんでとることにした。

「うにラーメン」というのにすごく惹かれたから…





磯の香り。






見た目も美しい、海藻とうにのさっぱり塩味ラーメン。

湯気の中からふわりと優しいあの、海の香りが漂う。

鼻を突くと、空腹感が一気に思い出されて、

お店の隅にある小さなテレビを見ながらずずずっとすする。

とても美味しかったです。


お腹も満たされたところで、午後の予定へ移動。

午後は、あのNHK朝ドラで一世を風靡した「あまちゃん」のお座敷列車で有名になった

三陸鉄道に少しだけ揺られて、北へ行ってみます。




宮古の太陽。







三陸鉄道には北リアス線と南リアス線があって、

宮古から出ているのは久慈駅へと向かう北リアス線

小さな一両の電車です。

乗り込むと、宮古駅のひまわりがお見送りをしてくれました。


この路線、太平洋沿岸を走る電車ということもあって

震災では甚大な被害を被りました。

しかしその中で、ほかの町と町をつなぐ鉄道は必死に走り、

少しでも早い復旧をみんなが目指して、3年後の2014年春に全線開通。

人を乗せて走るというのは、想いを乗せて走るということ。

鉄道の本質が、この列車には詰まっています。


電車の側面には、満開の桜が咲いて、

「春が来た」ことを教えてくれるような。




春はまた来る。







三陸鉄道の車両はほかにもかわいいデザインが施されたものがたくさんあって、

毎回どれが来るのか待ちわびるのが楽しい。


さて、この電車に揺られること20分。

田老駅のホームに静かに止まり、降りてみる。


田老地区は、昔から津波被害の多い場所ではあって、

この前の震災のときにも、想像するのも難しいほどの大津波が襲いました。

明治、昭和のときの経験を活かして、10mほどもある大きくて長い大防潮堤が

町と海のあいだに二重に建設されていたけれど、

今回の津波はそれを飛び越えて、人々の住まう区域を強襲した。

自然は想像できないから怖いのだということを、考えさせられる。


駅は少し高台にあって、そこから見渡す田老のいま。




現在地。







ここに、かつては町があり、家があり、港があり、船があり。

今はまっさらに、綺麗に整えられた土の大地です。

トラックが資材を運び、ショベルカーが土を盛る。

夏の間に太陽を吸って、生い茂る雑草たち。

ようやくここまで来た、なのか、まだまだここまで、なのか、

それはずっとこの土地に暮らしている人の感覚が一番正しいと思うけど

自分にも、少しずつ前に進んでいっているということは分かった。


大防潮堤の上は道幅広く、人が歩けます。

その上から、まっさらな大地を見渡すと、

まだ何もない空間のなかに、かつてあった生活や

これから生まれるであろう生活に思いを馳せずにはいられません。

遠くから地鳴りのように響く工事車両の音、磯と草の交じった香り、

湿り気を含んだ風。

自分の目や肌で感じたことは忘れない。


おそらく、先の震災で決壊したのであろう堤防のあと。




つめあと。







この巨大な石のかたまりを割り、貫き、崩す力というのは

どれほどのものなんだろう。

人々の手で、少しずつ綺麗に、整理が進んでいくなか、

時折こういう爪痕が、生々しく残されている。

前にも書いたけど、まだ「現在進行形」なんだ。


堤防の上をずっと歩いて、港の方へ行ってみます。

鏡張りのような水面に、整列して浮かぶ船。

こちらは人々の仕事、職業に直結する場所でもあるので

さらに整備が進んでいました。




銀の水面。







曇り空ではありましたが、港はとても穏やかで。

人もあまりいなかったけど、漁業で使うのであろう網が置かれていたり、

漁協の建物があったり、日々の営みを取り戻す、その空気が感じられた。


この港の脇から、少しだけ山道を登ってみる。

徒歩だとかなり急で息が上がりますが…ここにも三陸の自然が造り上げた

造形がある。

カーブする道の先、木々の隙間からその勇壮な岩のつくりが見えてくる。




三つの岩。







山王岩と呼ばれる、三陸リアス式海岸の景勝地のひとつ。

中央のものが高さ50mほどもある男岩で、その奥に寄り添うのが女岩。

手前の丸っこいのが、太鼓の形をした太鼓岩です。

どう削ったらこんな形になるのか、風と波の意志を問うてみたい。

こういう一風変わった彫刻が三陸海岸沿いにはたくさんあります。


田老地区、ほんの一部だけだけどゆっくりとじっくりと、歩いて見て回っていたら

帰りの電車の時間が近づいてきました。

駅に戻るときに、ふと視線を上にあげて見つけた、小さなお社。




神様は見守る。







社の扉は閉じられていましたが、この高いところから

田老の復興をきっと見守っている。

そのすぐ下に石でできた指標があって、「津波到達地点」と書かれている。

それは自分の頭上をはるかに、はるかに上回る地点。

首が痛くなるくらい見上げるほどの。

呑み込まれるということの怖さを、少しだけ実感。


そういえば港の漁協にもそんな表示があった。

昭和は10m、明治は15m、平成は17.3mのところにマークがあった。

建物の上から覆いかぶさる波とは、一体どれほどの脅威なんだろう。

苦い、辛い想いを抱えながら、それでもこうした記憶を残すのは、

後に続く人たちが、同じ想いをしないようにだと思うから、

どうか引き継がれていってほしいと思います。


田老駅に上がる。

駅には、震災後にみつかった思い出の品を保管している場所を示す張り紙なんかがあり。

みんなが助け合って、少しずつ前に進んでいく。

三陸鉄道もそう。

電車が来る前の、ホーム。




上り、下り。







想いは南北へつながっていく。


*3日目 その1~ドラゴンブルー~はこちら