固いチャーハンは悪か? | 運命☆好転!ハッピーブログ  ~人生をよりハイクオリティにする1つの方法 IRM~ 

運命☆好転!ハッピーブログ  ~人生をよりハイクオリティにする1つの方法 IRM~ 

近未来型メンタルヘルスケアメソッド IRM(アイアールエム イデアリーディングメソッド)をやさしくわかりやすくご紹介しています。

おはようございます。


本日も、幾万もあるブログの中からこちらにお越し下さいまして

誠にありがとうございます。


早速、いきます。



<幸田先生語録>



一見、どこから観ても正しいような価値観が、実は自分を苦しめている最大の原因だったりすることがあります。



どんな常識的と思われる価値観でも「本当にそうか?」と疑ってみることが大切です。




出来事


ジャーの中にずっと入っていたごはんでチャーハンを作ったが、母がそれを食べて

「固いチャーハン食べちゃって」と言った。で、残してあった。


感情


怒り。

人が一生懸命つくったチャーハンそういう言い方することないじゃないかという怒り。


価値観


人が一生懸命作ったものは悪く言ってはいけない、という価値観。


でも、母が言ったのは「固いチャーハン」ということ。


固くてまずい、とかいったわけではない。


固い=悪い、としたのは自分の判断であり価値観。


それはわかってたけどムカッときたから「そういう言い方することないんじゃないの?」とは言った。上野にしてみれば、これも珍しいことだ。


すると「あんたが一生懸命作ってくれたから、買ってきたカツ丼より先に食べたんだよ」の声。


「だったら固いなんて言わなきゃいいじゃん」と、これは心の声。


結構、怒りがおさまらなかった。


言って気がおさまるというものでもなかった。


で、観察してみると、やっぱり原因は「固いを自分で悪いこととしている」ということが強い。


これも自作自演。


そういうパターンって結構多い。自分で悪いことにして、それで自分で腹立ててる、っていう。


これもくだらない。


結局根っこにあるのは、自分のしたことに対する自信のなさだったり、これで言えば「母のため」という気持ちそのものにも原因がある。


その気持ちが「俺は犠牲になっている」という思いを生み「これだけやってやってるのに感謝もしないで固いとは何事だーっ!」という逆ギレになってしまうわけ。


母にしてみりゃいい迷惑である。


その「犠牲心」を感じてみると、出て来るのは「しなきゃいけない」という思い。


「しなきゃいけない」は本当か?


本当は「してもしなくても、どっちでもいい」が真理だと思う。


しなきゃいけないと思った時の不快感

しなくてもいいと思った時のお気軽感


シーソーで考えてみれば、しないことのメリットだってたくさんある。


母が自分でやることによって、筋力とか気力とか、いろいろなものが復活する。

頭だって「しっかりしなきゃ」って思って、ビシッとなる・・・


だから、してもしなくても、どちらでもいい。


その上で、その時、どちらが自分にとって心地いいか、を感じればいい。


そうすれば、母のため、じゃなくて自分の心地よさのため、になる。

やることは一緒だったとしても、気持ちは全然違うはず。

動機が違うから。




冷静になって考えてみると、確かに口にしたから固いとわかるわけで、最初からカツ丼に行ってれば固いも何もない。

(スーパーで買ったカツ丼弁当もあったのだ。)


「口にしてくれた」ということに感謝もできるわけだ。


そこを見逃して「何事だーっ」となって、自分で好きこのんで落ち込んで怒ってるわけだやっぱり。


ああやっぱりくだらない。



自分で選択

自分の選択



好きなものを選べるし

心地いいものを選んでいい


ああ、もう自作自演からは脱却します!




ここまでお読みくださいまして

本当にありがとうございました。



今日もあなたにとって、最高にこころ豊かな1日となりますよう、お祈り致します。


では、失礼致します。




2012年1月8日(日)
IRMアカデミー(幸田先生講演会&公開セッション)
開催!!


2012年1月22日(日)
IRMベイシック講座
(基礎セミナー、幸田先生公開セッションあり)
開催!!




IRM公式ガイドブック「真実を生きる 幸田宗昌幸せの法則」好評発売中!!
(出た画面を下にスクロールして下さい。詳細な宣伝があります)