馬来田の国のコスモスロード、真里谷城主、武田氏のご先祖様に感謝を込めて | 西村治彦の日記

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馬来田の国のコスモスロード、真里谷城主、武田氏のご先祖様に感謝を込めて

 JR久留里線に「馬来田(まくた)」と申す駅があります。

読み難い駅名であります。


 「馬来田」は、その昔、6世紀末から7世紀初頭にかけて、現木更津地方に造られている古墳群に葬られた「馬来田国造(まくたくにのみやつこ)」の人々が 統治していた地名であります。






「馬来田」とは 古い歴史のある由緒ある地名なのです。


 木更津には「金鈴塚古墳」と申す、金の鈴が5個出てきた古墳があります。

「国造」は 律令制となった「大化の改新(645年)」以前に地方を統治していた「行政区分」のひとつであります。「金鈴塚古墳」には、「馬来田国造」が埋葬されていると考えられております。

私は この「金鈴塚古墳」には 何回も 見学に出掛けております。

 

「JR馬来田駅」から 車で 5分、歩いて 30分のところに、「武田川」が流れています。

「武田川」とは 甲斐の「武田信玄」の流れを汲む「上総武田氏」が治めた城、「真里谷城」の城主が 水利をより効率良くするために、

当時 作った「分水嶺=堰(せき)」のある川であります。

この「武田川」に沿って「コスモスロード」と呼ばれるコスモスの花が満開の土手があります。

まだ この辺りは コスモスが満開でした。コスモスの脇には ススキが 美しく、穂を立てています。



 私たちは この「武田川」に沿って、上流に車を走らせました。土手は狭くて キャラバンは ぎりぎりに 走ることが出来ました。


まあ 夜なら 川に転落していましたね。

「怖い!怖い!」。私は いつも 怖い思いをしています。

コスモスを見やりながら 上っていくと、水量と水の行き先を調整する「堰(せき)」がありました。川をせき止めて 池にして、その池の水の行き先と水量を調整するのです。したがって 川は分岐しています。


 この堰は 戦国時代の「真里谷城」の城主、「武田氏」が 苦労に苦労を重ねて 作り上げ、現在に 至っております。甲斐の「武田信玄」の直系の末裔は 滅びてしまいましたが、上総に分家された「武田氏」は「上総武田氏」として、その分流を「庁南城」と「真里谷城」に 分けております。

その「上総武田氏」の功績を、「武田川」に見たのでした。「武田川」の源流は、「いっせんぼく」と呼ばれています。

湧き出る泉です。

真里谷城は その源流の近くにあります。

ハイキングの好きな方は、「JR馬来田駅」から「武田川」沿いに歩いて「真里谷城」まで 行くことが出来ます。

 私も 数ヶ月前、「真里谷城」に行きましたが、車でした。広い、広い「真里谷城址」でした。そこは 現在、「木更津市立少年自然の家」と言うキャンプ場にも なっていて、キャンプの好きな方は 行ったことがあるのではないでしょうか。


 「武田川のコスモス」は 管理する近くの農家の方々が 毎年 種を収穫して、来年に また 蒔くのだそうです。管理しているおじさんが 一生懸命、コスモスの種を 採っておりました。


 私は おじさんに いろいろ質問をしました。

疑問を 熱心に質問すると、みな きちっと 答えてくれるものです。

「何で コスモスロードを作ったのですか?」

「武田の御先祖様が こうやって 川を整備して下さったので、現在でも 我々は 農作物を作り、こうやって 生活していけるのです」と。

「そのご先祖様に 感謝を込めて、‘武田川’沿いに コスモスを育てているのです」と。


 私は おじさんの、その話を聞いて、「コスモスロード」の深さを知り、大変 感激致しました。

 私たちは 帰り途中にある

「妙泉寺」に寄り、

馬来田の秋

を楽しんで参りました。



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