おしどり伝説 おしどりは仲が良い 八千代の正覚院鴛鴦寺 | 西村治彦の日記

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おしどり伝説 おしどりは仲が良い 八千代の正覚院鴛鴦(おうえん)寺

「おしどり」は漢字で「鴛鴦」と書きます。難しくて誰も書けないでしょう。誰も読めないでしょう。大昔から、この漢字はあるのです。

 千葉県八千代市に「正覚院(しょうかくいん)」と言う寺院があります。
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「寺院」とは「寺」のことであります。

この寺は「おしどり」のオスを殺してしまった「平入道真円(たいらのにゅうどうしんえん)」と言う男が、建てた寺であります。
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当時 彼は 近くにあった「阿蘇沼」で 一羽の「おしどり」を射止め 籠に入れて帰りました。

 その夜、「平入道真円」の家に 美しい女が一人やってきて、真円の枕元に立ち 嘆き悲しむのでした。
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「あなたは今日 私の夫を殺しました」
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と言うのです。真円が「私は 見覚えがない」と答えると、女は「日くるれば誘いしものを阿蘇沼のまこもがくれの一人寝ぞうき」と歌を残して帰りました。

〔西村解釈〕{ 日がくれて夫に寝ましょうよ、と誘っても返事がない、阿蘇沼のマコモに隠れて自分一人だけで寝る悲しさよ }と、こんなところでしょうか。

「平入道真円」は「おしどり」の化身が彼の家にやってきて、「怨念」を語られたことが 脳裏から離れません。毎日毎日「おしどり」の化身が目の前にちらつきます。
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我々 人間は 言葉や態度で現せるので、悲しみを表現できます。我々が 好きな人を失ったら どれだけ悲しいことでしょう。鳥も動物も同じなのです。「愛する相手を失った時の悲しみ」は、生きとし生きるものとって 同じ悲しみなのです。
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 以前、私は千葉事務所近くの「生実(おゆみの)の池」に行って、池に住む「ぴょんちゃん」のアヒル物語をブログに書いたことがあります。


「ピョンちゃん」おゆみ野の大百池の恋物語



 「ぴょんちゃんは 子供に石を投げられて、足の骨を折ってしまいました。治ってからも 歩く時には「ぴょんぴょこ、ぴょんぴょこ」、とても醜い歩きかたになってしまいました。妻であった「鴨の鴨子さん」は 夫の醜い姿に愛想を付かしてしまいました。素敵なイケメンの若い鴨が ある年に池にやってきました。「鴨子さん」は このイケメンに熱を上げ、醜い夫を捨てて イケメンと駆け落ちしてしまいました。愛する妻「鴨子さん」を失った「ぴょんちゃん」は それ以降 憔悴しきってしまいました。食欲は落ち、うなだれて 全く元気がなくなりました。

ある春、「ぴょんちゃん」を理解してくれる「一羽の新しい恋人」が近寄ってきて、友達になれたのです。相性が良かったのでしょうね。足の悪い「ぴょんちゃん」と「恋子さん」は 互いに 友達になりました。「ぴょんちゃん」は大喜び。しばらくして「赤ちゃん」も出来たのです。しかも 5羽のたくさんの赤ちゃんが。
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再婚なった「ぴょんちゃん夫婦と5羽の赤ちゃん」は生実の池で 私が行った時には、仲睦まじく、子供連れで 泳いでいました。マコモの中で餌を探し、はしゃぎまわり、とても 楽しそうな家庭を築き上げたのでした。

この様に「鳥」にも 人間と全く同じような感情と気持ちがあるのです。
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さて「平入道真円」ですが、とうとう 彼は殺生をやめると同時に、寺を建てて、「おしどり」の供養をすることにしたのです。この「平入道真円」が建てた「寺」が「正覚院」であったそうです。
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平安時代のことでした。

この辺りは 現在も「新川」が印旛沼から流れていて 低地となっています。沼があったのですね。当時から 水鳥が この辺りに たくさんいたことが想像出来ます。
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 またこの「正覚院」のある場所は 少し高台になっていて、戦国時代に 砦があったのです。現在でも 土塁、空堀らしき跡が見受けられます。

この様に古い歴史ある寺院なので、千葉県でも最も古いものがありました。宝篋印塔(ほうきょういんとう)と呼ばれる「塔」であります。
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古いので一部欠落していたので、欠落部分を新しい石で作ってありましたが、千葉県一の古さであるそうです。

 「釈迦堂」は八千代市指定文化財になっていて、
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堂の中には千葉県指定有形文化財の「木造釈迦如来立像」が安置されています。
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 千葉事務所の近くにも まだまだ歴史が残されています。「古きを知って 新しきを知る」。仕事の合間に出掛けた歴史散歩でした。
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