【今日の出来事と数年前の入院回想の記事になっています!】
うさハン、8月末日に朝早ーくから夕方遅ーくまでの2回目の仕事が入っているが、それまではアタシも夏休み。
家の用事も必要最小限しかしていないので、8月は毎日記事を更新しよう!の目標!?を、立てていたが、なんかねー、昨日、記事を更新すると、通報されるレベルの内容・表現になりそうで、(苦笑)ワンクッションをおこうと!と、思ったがために、ひくーい目標達成にはならず。(^^;)
まだ、通報されるレベルを引きずっているので、その出来事を客観的に捉えられる心の日には、また、是非に聴いて聴いてくださいませ。<(_ _)><(_ _)>
聴いていただきたいことは沢山あるが、今日は、皮膚科受診日で待合室で待っていた話を。
時季はずれになるが、夏と言えば心霊。(笑)
その心霊を記事にする前に、アタシの入院事情を先に紹介させていただいた方が分かりやすいので、『うさ入院話』に、お付き合いください。
アタシは数年前、この病院に緊急入院→夕方に緊急手術を受けて、一旦、退院したものの、全身に激痛が伴い、また、緊急入院。
術創部から細菌が入ったのではないか!?まではわかったが、正式な病名がつかず、アタシは薬剤アレルギーがあるので、抗生物質の薬剤も(注射)も使えず、激痛とのタタカイで再入院から、10日目にやっと、診断がついた。
そして、1ヵ月後に細菌が入った部位の手術を受け、入院が4ヶ月間にも及んだ。
退院する日は季節が変わっていた。
過去記事にも載せたが、義家からは誰1人として、お見舞いには来もしなかった。
でも、来てくれたら来てくれたで、
「うっとしいんじゃーー、くんな!」と、思っていたかも!?(笑)
まぁ、ご近所で親しくしていた方々や次女のお友達のお母サマ方に、繊細に良くしていただいたから良いんやけど、良いんやけど・・・。
食事もベッド上臥床で。
お味噌汁をストローで吸わないといけない。
嗜好のコーヒーも飲めない。
排泄もベッド上臥床。
咳やくしゃみ、排泄時の体動で激痛が伴う。だから、食事を摂らなかったりしていた。
検査のためのストレッチャー移動、シーツ交換の体動は激痛が伴うのが恐ろしや~、だった。
同業者の裏事情も知り尽くしていたので、遠慮して頼めないことも多しで。
アタシは緊急入院・緊急手術だったので、病室が確保できておらず、2人部屋1室だけ空いていたので、2人部屋に入院していた。
その2人部屋を看護師長さんのご厚意で、個室扱いにしていただいた。(注.翌月からは室料発生)
アタシが入院していた2人部屋の隣は個室で、壁から話し声が聞こえてくる中で、個室の入院患者さんは、アタシと同じ年代で嫁の立場。
2日に1度、お姑さんがお嫁さんの嗜好品を持って見舞いに来られ、義きょうだいの方々も差し入れを持って来られて、談笑が聞こえてきていた。
アタシは自由に動けない、激痛がある、義家からは見舞いにも来てくれない。
お嫁さんにすれば、その談笑の空間が苦痛だったかもしれないが、アタシから見れば、すごーーーく羨ましい思いの日々。
が、
段々と、その羨ましい談笑が聞えて来るのがアタシのストレッサーとなっていった。
そして、自分では分からなかったが、考え込むようになり、表情も変わり、
「家族に迷惑をかけている」
「ここの病室から飛び降りたら、楽になるやろう」
「どうしたら、動けない身体で死ねるやろ」と、
死ぬことばかりを考え、『鬱』の診断がされていたことを退院直前に聞いた。
そうゆうややこしい患者、それも、同業者で指導する職に就いている患者の受け持ち看護師になられた、当時、看護師1年目の看護師さんと待合室で、ばったりと会って入院時の回想をしながら話をしている時に、
「深夜の巡視で西園さんの病室に行くのは、みんな怖がってたんですよー」と、言われた。
アメンバー限定記事にするほどの『心霊』でもない!?ので、明日、公開で。
<(_ _)>
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