ええ、噂のワンオペと言うやつです。
店を切り盛りするためには、仕方ない事ではありますが、極力やりたくないですね。
色々と問題が多いですから、、、。
さてさて、今日からしばらくの間、昔話に付き合っていただきます。
このブログを見て、いやいや、違うよ!と、思われたKAIENTAI-DOJOの1~3期生の方は、コメントなり、ツイッターのDMなり、メールなり、ラインなりで、鉄平にお知らせください。しっかりと、訂正させていただきますので。
今年は2016年。
KAIENTAI-DOJOは、2000年10月に、代表のTAKAみちのくにより、プエルトリコで開設されました。
もう、16年も経つんですね。早いもんだ。
鉄平が、プエルトリコに渡ったのは、2001年3月下旬でした。
鉄平は、K-DOJOの2期生になるのですが、2期生は、総勢12名。うち、デビューしたのが、11名。
まさに、K-DOJOの屋台骨を担ったのが、我々2期生でした。
鉄平が、プエルトリコに着いた時にいた、1期生は、7名。うち、デビューは、6名。
総勢は、、、1期生のドン、世界のMIYAWAKIさんが、知っているとおもいますので、ぜひ、ご連絡お待ちしています!
つまり、K-DOJOの旗揚げ戦興行で、筑前りょう太、シルバーウルフ、藤田ミノル、以外は、プエルトリコで生まれたK-DOJOスタイル、イズムの継承者達なわけです。
大技に頼らず、必殺技一発で勝負を決める。
2002年当時は、明らかに時代に逆行したスタイルで勝負をしたのが、インディー団体KAIENTAI-DOJOだったのでした。
ちょっと、K-DOJOの説明が長すぎたかな?
まぁ、これを期に、現在のK-DOJOを見てもらいたいし、過去のK-DOJOに興味を持って貰えたら幸いです。
さて、プエルトリコって、何処にあるかご存じですか?
鉄平も行くまで知らなかったし、世界地図で見ても、●でしか、表記されないぐらいのカリブ海(アメリカ大陸の、北と南の間の海です)にある小さな島(今、鉄平の住んでいる四国の半分位と言われています)で、国ではなく、アメリカ領なんですよ。
プエルトリコ=ブロディが亡くなった土地というのは、プヲタ歴30年位の人達が知っている有名な場所。
ただ、情報は、それぐらいのものなので、空港に着いてビックリ!
アメリカ=英語と思っていたのですが、プエルトリコの第一言語は、スペイン語。
ほとんどの案内板が、スペイン語で書かれているんですよ。とりあえず、何が書いてあるかさっぱり分からない。
やっべぇ~。とんでもない場所に来てしまった…と思うような所です(笑)←どんな所だよ
飛行機でアトランタを経由し、トータル21時間の長旅。日本のほぼ裏側で、時差もあるし、言葉は分からないし、1人旅ですから、本気で泣きそうでしたよ。まぁ、帰るに帰れないですしね。
そんな鉄平がホッとしたのは、空港の到着口で待つ、同じ年齢位の東洋人。
あ、あの人達に間違いない!
出迎えてくれたのは、同期のサンボ大石(現、大石真翔)と、残念ながら、デビューは、出来なかったけど、俺達2期生の一番の兄貴分だったK。
この2人が、深夜24時を回った空港に来てくれていた。
この出会いが、表現者である鉄平物語のスタートでもあった。
プエルトリコ編は、長くなりそうなので、今夜は、この辺で。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160116/06/1003start/a6/d2/j/o0800045013541897941.jpg?caw=800)
前回ブログの答え合わせです。
右から
PSYCHO
MIYAWAKIさん
木高イサミの服を着てる十嶋くにおだと思う(でも、輪郭は、イサミな気がするが、どちらかです!本人証言求む)
TAKAみちのく代表
某マスクマンの中身の人(笑)
↑の後ろ 円華
円華の←Mss.X
Mss.Xの←鉄平
でした。
某マスクマンの中身の人は、ガッチリ顔が出ているので、リングネームは割愛させて下さい!
この写真は、たぶん、2001年~2002年頃の週刊プロレスに載っています!
古い週プロを持っている人は要チェック!