復活!?熱尻 石坂鉄平のパイルダーON!

元プロレス団体KAIENTAI-DOJO、現(株)ふたば所属、外回り準備期間中の石坂 鉄平が綴る、日々の日常と非日常の体験記。


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そして月日は過ぎ、鉄平が引退を迎える。


※寄せ書きならぬ寄せ鍋(笑)


実を言うと、千葉のBlue Field15年間の歴の中で、自らの引退興行をプロデュースするのは、たぶん、2人目のはず。



稲松三郎が引退興行をプロデュースする約7年前に、石坂鉄平、私も実は引退興行をプロデュースしていたのであった、、、。



旭志織が、以前何かで書いてあったが、自主興行とプロデュース興行の違いは、全然違うと、、、。


プロデュース興行は、会社(KAIENTAI DOJO)プレゼンツであって、会社の経費を使い、興行を造り上げるもの。


つまりは、KAIENTAI DOJOにおける特別興行なのである。



引退興行を自主興行で行う選手は沢山いると思いますが、プロデュース興行で引退するレスラーは、あまりいないと思う。



自主興行の場合、成功すれば嫌らしい話、経費を差し引いた利益は、選手の物。もちろんそれは、選手として体を張ってきた自分へのご祝儀となるのだが、、、。



それに比べ、プロデュース興行は、会社に守られている分、引退する選手には分配は少なくなる。



鉄平がプロデュース興行で引退を行った理由は、会社、プロデュース興行参戦選手、スタッフに少しでもプラスになったら、そして、もちろん来てくれたお客さんに感謝と満足感を感じて貰えたら、、、。

自分の事を第1ではなく、あくまで残される者、いや、未来へ歩みを続けていくみんなの事が第1、大事に考えて、、、



なんて言ったら、かっこつけすぎな気もするが(笑)


ただ、会社は鉄平の時、会社の取り分をほとんど減らし、選手、スタッフのギャラにしてくれていました。

KAIENTAI DOJOと言う団体、TAKAみちのくと言う人は、そう言う温かい人なんです!!



やはり、稲松三郎と言う男も自分の事より周りの事を考え続けたヤツだったと思う。
たがら、プロデュース興行を行うのだと、鉄平は考えてます。


ってここまで書いておきながら、


三郎『いやぁ、石坂さん、全然違いますよ~。』


とか、三郎に言われそうなんで(笑)


あくまでも、今回のblogに関しては、鉄平の妄想の域である事をしっかりと書かせて貰います。




プロデュース興行をする上で、最も大変だったのは、自分の引退試合より興行の試合のカード決定と出場選手のオファーだと思います。



自分も引退興行でオリジナルの『柏組』を再結成して試合をしたかった、、、。

ただ、その時再結成をできなくしたのが、他でもない『稲松三郎』なのでした。



引退を発表してから、引退興行まで約1ヶ月半と準備期間が短かったのもあったのですが、その時に事もあろうか、三郎は足を骨折し試合のできる状態ではなかったのだった。



実は、事前にオリジナルの『柏組』再結成の話を打ち明けのは、姉御こと、『山縣優』だった。


姉御には、ぜひとももう一度レディースコスチュームになってもらいたく、随分前からオファーをしていたのだが、、、。


三郎のまさかの骨折で、考えていたカードが白紙に、、、。


結局、自分の引退プロデュース興行は、プエルトリコを経験した1~3期生、コーチ代表で参戦できる人達で興行のカードを組んで造り上げのだった。


もちろん、姉御や当時若手だったバンビには、引退直前に、プエルトリコ組中心の興行で、今の私達が試合が無いのは、疎外感を感じて、今一緒にやって来た者としては、正直淋しいと言われた事があった。


もちろん、引退興行で『石坂鉄平』引退試合をコール出来なかった味方リングアナも不満はあったと思う。
当時、事務方にまわって仕事をしていたカロリーナあきこに、無理を言って引退試合のコールをお願いしたのだから。



引退プロデュース興行直前まで、説得とお願いは続いた、、、。



ただ、鉄平には狙いと想いがあった。



プエルトリコ組と言うのは、KAIENTAI DOJOにおいて、土台を築き上げたメンバーであり、KAIENTAI DOJOスタイル、イズムを体現してきたその歴史を残したい。


※歴史と言うか汚点をのこした大石


そして、最後にKAIENTAI DOJOのスタートはここから始まったんだと言う、忘れて貰いたくない初心を残したい。




そして、後輩にはこの興行をしっかり目と記憶に焼き付けて貰いたい。



それこそが、鉄平が最後に表現できる会社への恩返しと残したい遺産だった。


本当は全員に試合もして欲しかった思いは強かった、、、。


今さらかもしれないが、鉄平の引退プロデュース興行には、そんな狙いと想いが詰まっていた。


全員が本当に納得して興行に参加してくれたのか、見ていてくれたのかは、疑問ではあるのだか、、、。


未だに鉄平の家のパンドラBOXの中にある、引退プロデュース興行終了直後の集合写真に写っていたみんなの笑顔は、全員が納得して、協力してくれていたと思っている。


今回、稲松三郎が引退プロデュース興行をするにあたって、試合のカードを見た時、やはり三郎らしい想いが詰まっているんだなと思った。



そして、いよいよ、稲松三郎最後の時が近づいてきた、、、。


緊急特別企画
短期集中連載 千葉のサブは、次回、稲松三郎引退プロデュース興行を鉄平が見て、そして体感した事を書かせて貰い、最終回としたいと思います。



さて、三郎は、最後にどんなレスラー人生の集大成を見せてくれるのだろうか?
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柏組での三郎の活躍は、正直言えば新人時代のルーキーオブイヤーを与えても良い位、それぐらい頑張っていたし、一番苦労したと思う。


そんな三郎は、『柏大五郎』『石坂鉄平』と共に、仙台のパチンコCMにも出演している。

内容は、坊主頭の3人が何故だか、モヒカン頭になり、白鳥の湖のダンスを踊ると言うもの、、、。

※味方さん!画像借りたよ~。

ローカルCMなんで、どれだけの期間流れていたのかは、わからないのだけど、今も流れているならミラクルだなぁ。


なんせ、鉄平の今いる香川でも、かなり昔のCMがながれているからなぁ(笑)



おっと、話がそれたので、元に戻します。




そんな、三郎が所属していた『柏組』は、2リーグになり『PSYCHO』が、『GET』に行き、『RAVE』では、三郎と姉御こと山縣優が自己主張をし、『柏組』を卒業する。

※『柏組』ラストカット。


三郎の自己主張は、この2リーグより少しばかり前から始まる。

元々『大仁田厚』さん信者の三郎は、デスマッチ志望があったのだが、当時、KAIENTAI DOJOに準レギュラーで、参戦されていた『金村キンタロー』さんの誘いで、念願でもあったデスマッチ路線に舵をきったのだった。


そして、三郎と姉御は、火野裕士とSURPER-X(現:円華)と共に『New Standard(ニュースタ)』を結成し、トップ所に噛みついていった。

※『ニュースタ』の画像が余りなく、5周年のパンフから拝借




そんな三郎が、とあるデスマッチの試合後にダブルヘッダーで、千葉のBlue Fieldで試合を行った際に事件は起きた、、、。


当時、『ニュースタ』所属の三郎とヒール色を濃く、全面に出していた『柏組+MIYAWAKI』との試合である。


デスマッチ後で血は引いたものの、至るところに傷だらけだった三郎に対して、こともあろうか、鉄平が試合中に水と勘違いしたのか、わざとだったかは、忘れてしまったのだが…リングを掃除する際に使うアルコール(業務用:消毒、除菌用)を思いっきりぶち掛けたのだった、、、。


今で言う『バラモン兄弟』の様に、やりたい放題で、軽い気持ちでやったのだが、、、。



悶絶する三郎に対して、ゲラゲラと笑う『元祖バカ兄弟』。



普通に考えたら、アルコールが目に入るだけでも危ないのだが、全身切り傷だらけの三郎にとっては、まさに地獄の状態。



デスマッチで最強アイテムと噂高い『塩』があるのだが、たぶん、アルコールもその破壊力は、退けを取らないとおもわれる。




試合から数年たって、大日本プロレスでデスマッチファイターとして貫禄を出していた三郎が、やはり飲み会の席で


三郎『いやぁ~あのアルコールぶち掛けられた時、本気でこの人あり得ないと思いましたよ~。あの試合で、痛みから死を覚悟してましたからね~。それをリング上からゲラゲラ笑って。殺意を覚えたッスからね~』



そんな三郎にちゃんと謝罪したのは、引退してからだったわ。

ごめんな~サブ!
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短期集中連載の予定が、携帯の制限がかかってしまい、思うようにblogが書けず申し訳無かったです。

さて、話を進めます。




稲松三郎は、デビュー戦をした後で直ぐに、あるユニットに参加する。


『柏組』



正式名称は

『2代目吉田屋、初代柏組』



稲松三郎のすべての受難は、この時より始まった、、、。



当時、5期生と言えば『火野裕士』が破格のデビューをしていた。



そして、火野の次に『ロミー鈴木』が、デビュー。


そのロミーがデビュー戦後に一身上の理由で退団→引退。


その穴を埋めるかのように、『石川はじめ』と共に『稲松三郎』がデビューする。


当時リング上では、KAIENTAI DOJO史上最長期間タッグを組んでいた『柏大五郎』『石坂鉄平』の『バカ兄弟タッグ』が、KAIENTAI DOJO史上最も奇妙なキャラクター『PSYCHO』とユニットを組み、『柏組』を名乗り、リング内外かまわず色んな意味で猛威を震っていた。



デビュー戦後~1ヶ月の間は、黒のショートタイツで真面目に第1試合をし、試合後は、セコンドを頑張っていた稲松三郎だったが、『柏組』の猛威に巻き込まれる。



『柏組』は、対戦相手だけではなく、会場にある物、人など全てに絡むユニットであり、セコンドをしていた『稲松三郎』と『石川はじめ』は、よく『柏組』に弄られていた。



普通は、弄られる方は火傷をするなりして、そのまま終わるのたが、『稲松三郎』と言う男は、事もあろうか、『柏組』から弄られていたのがいつまにか、『柏大五郎』をアニキと呼び、『柏組』に入門希望し、いつの間にか『柏組』構成員に(笑)




鉄平の記憶が間違っていなければ、『柏大五郎』が頑なに入門を断ったが、何となく鉄平が、情けをかけて入門をする経緯だったような気がする。



そんな三郎は、『柏組』の中でもマイクパフォーマンスにキレがあり、独自のキャラクターを展開。そして、急に

三郎『ああ~、今日は、柏組の歌を作って来ました~。聞いてください!!』


三郎『カ、カ、カイエンタイの柏組ぃ~
(注:ドリフ大爆笑のOP替歌。)』


と、いきなりリングで歌い出す始末。



そんな『柏組』の紅一点、『柏組の姉御』こと、『山縣優』の勧誘の際は、三郎が山縣に対して

三郎『柏組の姉御になってくれよ~』


と、『姉御』と言うワードを使い、観衆を乗せた事が切っ掛けとなり、後に『柏組の姉御、山縣優』が、誕生したのだった。




『柏組』は、とにかく楽しいユニットだったなぁ。色んな意味でバランスが良かった。

基本ベースはやはり、日本の心とも言える『戦隊シリーズ』の人数構成と同じで、唯一違うのが色使いだけだったし。


結成してから、KAIENTAI DOJOが『GET』と『RAVE』の2リーグに分かれるまでの約2年間位、『柏組』は、『K-SURVIOR』と言うユニット対抗トーナメントで優勝したり、K-DOJOのベストパフォーマンス賞を戴いたり、一番の思い出は、『ドラゴンゲート』さんの『フロリダブラザーズ』と後楽園ホールで、対抗戦をしたことかな?





とにかく、『柏組』では、デビューしたての稲松三郎の存在は必須であった。



その頃を思い出しながら、飲み会の席で三郎は、

『柏組は、楽しかったですが、唯一悔やまれるのは、もっと第1試合をしたかったですわ~』

と、毎回管を巻く。


この場を借りて

『三郎、ごめんな!デビュー直後から変な色をつけてしまって』


と、謝罪させて貰います。

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