建築を考える
tyuyopoponありがとう。
なんか、整理できたかも。笑
ていうか、さっきメッチャ書いたのに消えた。。。。。。。。。。
answer..........................................
「建築とアートの違い」
まず、俺が思うに建築には2種類あると思う。
建築自体に力が宿っているもの。
そうでないもの。
廃墟や原爆ドームには、建築自体が強い力を宿していると思う。
廃墟には、昔、そこで暮らしていた人々の歴史が建築に詰まっているし、原爆ドームには、炸裂した瞬間の悲痛な叫びみたいなものを伝える力が宿っている。
その一方で、東京ミッドタウンや六本木ヒルズのような建築からは、何も感じない。
金沢21世紀美術館などは、面白いとは思うし、どきどきする建築だけど、建築物から訴えかけるような力は感じない。
俺は、前者に近い建築に魅力があるのだと思うし、つくりたいのだと思う。
金沢21世紀美術館を否定しているんじゃなくて、別次元での魅力を考えてるんだろうね。笑
力の宿っている建築って言うのは、用途を失ってしまったような建築が多い気がする。(建築といえるか定かでないが…)
アートは、作家自身によって、物体に思いを込める。
これは廃墟とか、原爆ドームのような強い力が宿ったものに近い状態なんじゃないかって思う。
アート作品には用途はないし。
つまり、建築とアートの違いは用途のあるなしかなって思う。
では、俺は建築をつくろうとしていないのかも。。。笑
それじゃあダメだよね。
今ある建築って言うのは、 用途>建築の力 の状態であって、俺がしたいのは、 用途<建築の力 なんじゃないだろうかって思う。
建築に思いを込めることが俺の目的。
だから、そこを見たり、体験したりして感じるってことが俺のつくる建築において、重きを置くところ。
それが、意識に訴える建築ってことなんじゃないかな?
理解できますか?
意見待ってます。。
ちなみに、青木淳の原っぱと遊園地は読みきることなく今日返却しちゃった。笑
「 」
11月も中旬になり、そろそろ本気で卒計を考えなくてはならない。
それに際して、このブログを活用していくことに決めた。
自分のためにだけどね。笑
これから、どんどん卒計を考えていくにつれて自分の思考はどう変化していくのか。
ってのが、このブログを読んだら分かるようにしたいと思う。
自分が何をどのように考えてきたのかってことがカタチとして残っているとは、
自分を見つめなおせるものがあるってこと。
だから、行き詰ったときに振り返ったり、どうしてこうなったのか、ってことができるようにしていこう。
かなり自己満ブログ。笑
ってことで、早速書いていくことにしよう。
「名前のない建築」
建築に限らず、人間の周りには名前のついたモノや空間というものがある。
名前ってすごい力があると思う。
そこにまるで壁が立ちはだかっているような、そんな強い力がある。
例えば、「道」という名前。
皆さん、「道」をイメージしてみてください。
車が走っていたり、人が行きかっていたり・・・
みんな同じようなイメージを思い浮かべたはず。
決して、人が眠っていたり、ゴロリと転がってテレビを見ているなんてイメージしないはず。
そう、名前は人々に共通のイメージを与える。
当たり前だけど、考えてみるとすごいことだと思う。
でも、それは、逆に言うとそのモノや空間の可能性を狭めているとも言えるんじゃないだろうか。
違う使われ方をしていたかもしれないモノや空間が数え切れないくらいあるかもしれない。
お風呂は、体を洗い、湯につかるところだけど、
もしかしたら、鼻歌を歌うための空間かもしれないし、本を読むのにぴったりに空間かもしれない。
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これが、「名前がない建築」って言うものに興味を持った原点。
でも、ここで問題にぶち当たった。
建築が人間と関わったとき、必ずといっていいほど、そこには、用途がうまれ、名前がうまれる。
人間ってすごいね。笑
人間はどSか!どんだけ拘束するんだ!
では、建築が人間と関わったときに、用途や名前をうまないということは、どういうことなのだろうか。
って考えたら、建築がアートに近づいたときに、名前がなくなるんじゃないかと。
アートの場合、つくった人にしか名前はつけられないし、そもそも、用途が発生しない。
つまり、人間の意識に働きかけるような建築であれば良いのではないか。
人間の身体や行為に働きかける建築には、用途がうまれ、名前がつく。
だけど、意識に働きかける建築っていうのは名前を有しないみたいだ。
最初に考えていた、「名前のない建築」とは考え方がかなり違うけど、
面白くなるような気がしてきた。
てか、面白くなってください。
来週は、中間発表。
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てことで、これからどんどん書いてこうと思う。
では。
犬島アートプロジェクト
少し前のことですが、今話題の犬島アートプロジェクト「精錬所」を見に行ってきました。
犬島は100年以上前に全盛期を迎えた銅の精錬で有名でした。
「精錬所」は建築家 三分一博志氏と芸術家 柳幸典氏の協働による作品です。
---絶え間ない自然のサイクルの一部、それは、地球のディティールの一部としての建築で、
環境との共生を具現化したものです。自然エネルギーである太陽、地熱、気候と、銅精錬所の副産物であったカラミ煉瓦や、犬島石(花崗岩)、鉄などの犬島に由来する素材、そして島の地形や既存の近代産業遺産(煙突)を利用し、夏は空気を冷却、冬は暖めるという構造で館内を快適に保ち、周囲の環境にできるだけ負荷を与えない施設となっています。--- (ガイドブック参照)
内部はアートや建築を体験することのほかに、温度や空気感を感を体で体験できる空間です。
ことばで説明するより体験してほしい建築です。