楽しいこと、考えたこと、いろんなこと、 -6ページ目

人と建築は、、

こんばんは。


今日は、府立近つ飛鳥博物館へ行ってまいりました。


わけの分からない造形でも美しいものは美しい。



楽しいこと、考えたこと、いろんなこと、-近つ飛鳥



建築を体験する時は、説明がない方が純粋に建築だけを感じることができるよね。


建築関係者は。


だけど、それ以外の人が建築を感じることってどうやってするのだろう。


建築を愛してやまない人たちにとっては、それこそどうやってやるのかわかりゃしない!笑


あ~、一般人の感覚で設計がしたい。


なんてね。




今日は、人間と建築について考えた。



-人間が建築を感じるために僕がすること。-


人間はいつもどこかで自然(植物)と関わりたいと思っている。


そして、人間は自然なしには生きてゆけない。


でも、直接触れちゃうのは怖い。


人間はすごく弱いから。


そこで、建築という媒体を通して、人間が自然と関わる。


そこでのメインは、自然と人間である。


しかし、自然と人間を結びつける部分である建築は、そのとき、大きな存在となっているに違いない。


自然と人を結ぶ媒体である建築。


純粋に媒体としての建築。


そのとき、建築は建築らしさをもつのではないか。


メインとしての、自然と人間の関係は、実は、自然を媒体とした人間と建築の関係でもあるのかもしれない。


つまり、建築の魅力を出すには、純粋に媒体としての建築でありながら、人間と関わることなのではないだろうか。。


だから、僕は人間目線からみた、自然に対する建築をつくる。


それは、結果として、建築自体の魅力を出すことにつながるんじゃないだろうか。




なんて、自己中に人間と建築について考えてみたわけで。



どうなんだろ。


俺は、間違ったことを考えてるのか。


自分じゃ分からない。


誰か教えて。。。




最高の人生の見つけ方


楽しいこと、考えたこと、いろんなこと、-最高の人生の見つけ方
先日、「最高の人生の見つけ方」という映画をDVDを借りて観た。


ストーリーは、余命6ヶ月を告げられた2人のおじいさんの物語。


カーターという、自動車修理工のおじいさん。


もうひとりはエドワードという、お金がすべての大富豪のおじいさん。


その二人が病室で出会い、余命6ヶ月を告げられ、残りの日々をいかに過ごすのか。。。


まぁ、詳しく書くと観るの楽しくなくなるので、書きませんが、とても良かった!!


もし、僕が余命6ヶ月を告げられたとき、果たして、彼らのように過ごせるのだろうか。


死を直前にあんなことできたら、僕も言うことない最高の人生だったと思えるだろう。


心あたたまるいい映画でした。




現実逃避です。

みえない

みえません。


先が真っ暗闇です。


僕は一体どこに進んでいるんでしょうか?


なんか、毎日考えていることが違いすぎて、わけ分かりません。



だから、やっぱり、ここで今の今考えてることを書いてみることにしよう。(現実逃避気味な考え方になってきてる気が・・・)




「見えないことが魅力である」


あまりにも有名な話ですが、ミロのヴィーナスの腕は、肩から先がないことが、最大の魅力です。


なぜかというと、それは腕がないから。


腕が、どうなってるのかって皆想像しようとする。


実際どうなってるのかなんて、誰にも分かりはしないのに、皆想像する。


それは、見えないことが、人に刺激をあたえる証拠。魅力にとりつかれているんです。


その想像の中にお邪魔してみると、腕があるミロのヴィーナスに出会える。


頭の中にもう一つの空間が存在してる。



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ある家の窓辺に小さな花が飾ってあった。

そこを毎日通学するボクは、日ごとに変わる花を見て、想像していた。

ここの家の人は花が好きなんだろうな。窓辺だけじゃなくって、家中にきれいな花が置いてあるんだろうな。って。

実際、そうはなってないなんて家の人以外、分かるわけもない。

だけど、ボクの頭の中には、その家の見たこともない部分の光景がを想像する。

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馬鹿らしいけど、これが僕の思う、名前のない建築(意識にはたらく建築)なのかもしれない。


実際に、用途にまみれた建築じゃなくって、頭の中にある純粋な空間をもった建築。


想像した空間は、実際はそうではないかもしれないけど、ちゃんとした空間だと思う。


なぜなら、みんなしてるから。


白模型はテクスチャがないから、抽象的で、その空間に対する感じ方がどのようにでも想像できる。


設計製図の講評の時だって、先生が想像力をフルに働かせて空間を想像する。


つまり、説明や模型があるにしろ、最終的には、先生の想像力にゆだねられている。


そうじゃない??笑


そうじゃないかもね~笑


でも、僕は想像の中の空間は建築としてありなのではないかと思う。


だから、そういうのがつくりたい。


先生には認められないだろうな。。。








街にビルが建っている。


そのビルは人の目線の高さに一つだけ小さな開口部が開いている。


そこからは、ビルの内部の一部しか見ることが出来ない。


その状態を不完全な建築って言うことにしよう。


人は、そうなったときに想像力を働かせる。


見えない部分をつくりだそうとする。


まさに、その瞬間に、そのビルは完全な建築となる。


と、思う。









人の意識にはたらく建築って言うのはこういうことなんじゃないかなと、思った。


見えなかったり、行けなかったりする事が、その建築を魅力的に見せる。


一部を見せるチラリズムが建築を実際のもの以上に盛り上げる。





え、じゃあ普通に住宅つくればいいのか…


普通の建物でも、想像させれるよね。。。


あ~、これ書いたら、当たり前のこと考えてたことに気付いた。笑




じゃあ、なにすればいいんだ!!!