「この事件は言論の自由を奪おうとするものだ」とか「民主主義への挑戦だ」というフレーズが、はんこで押されているように、枕詞みたく、飽き飽きするほど連呼されていて、やや違和感を感じることを、まず記してみたい。
ピンからキリまで、自民党でない政党までもが、総じて横並びな如く、「言論の自由と民主主義に対する許し難い犯行だ」と断定し、声高に叫んでいるということであり、はあ?って感じで、なんか魂の居心地が、超悪いのである。
「選挙期間中に、選挙の応援演説をしていた元首相が殺害された」わけだから、ある意味、まさに言論の自由の封殺であり、民主主義への挑戦かもしれない。
だけど、けど、でもどこかが違う気がしてやまない思いが拭い去れない。
仮に、最新の報道にあるように、犯人の事件の犯行動機は「特定の宗教団体に恨みがあり、その宗教団体と関係がある安倍元総理を狙った」ということであり、それが事実であるならば、まごうことなき事実ならば、それは果たして、「言論の自由を奪おうとすること」であり「民主主義への挑戦」、ということに、なるのだろうか?
ならないだろう。
というよりも、単純明快に言って、単なる「宗教団体へ個人的な恨み」、安倍元首相への「逆恨み」、要するに「個人的な怨恨による犯行」、ということなのではないのか?
政治的な意図を、この事件に、ほぼ伺い見ることはできないからでもある。
思い過ごしか?
さてさて、犯行動機として、特定の宗教団体との遺恨が急浮上し、蔓延し、そのあおりを受け、ややトーンダウンしているものの、今日もまた「言論の自由の封殺」や「民主主義への挑戦」と断じて報道するシーンは数多あり、それなりに聞き取ることは可能だ。
今日は投票日である。
明日になったら、また一段とトーンダウンし、今度は来週早々から「特定の宗教団体って、どこ?」ということに報道のツボがすえられる気がするが、いや、忖度が働くか。
安倍元首相の不幸だけがクローズアップされ、残り続け、もみ消されるんだろう、特定の宗教団体のこと一切は。
「その特定の宗教団体って、統一教会と思われるんですよ」と、誰かがはっきりと言えばいいのに。
立命館宇治、18年ぶりの夏の兄弟校対決制す 新旧ユニフォーム並ぶ
2022/07/11 20:13
高校野球京都大会 立命館宇治8―4立命館
京都大会2回戦で、立命館と立命館宇治が夏の大会としては2004年以来、18年ぶりの「兄弟対決」に臨んだ。
ユニホームのデザインは違うが、立命大の新旧のものに準じている。
校歌はメロディーと歌詞は同じで、伴奏のアレンジが違うだけ。
試合では立命館宇治が押し切り、18年前の雪辱も果たした。
立命館宇治の里井祥吾監督は「終盤の粘りに底力を感じました」。
立命大の2年後輩でもある吉田達朗監督は「やっぱり一番負けたくない相手。秋にもう一回やれたら勝ちます」とのこと。