姫路の市会議員さんが、愛人問題で辞職に追い込まれているそうだ。
なかなかの男前なので、実際もてるのだろう。
ただ、税金を納める側から言わしてもらえば、この人の行動に関しては激しい嫌悪を抑えることは不可能なのだ。
こういう話を聞くたびに自分はかなり苦々しい思いに駆られてイライラとする。
自分は2010年に、当時の市会議員さんの知り合いを頼りに高知県S市に移住をした。
一世一代の決断だった。
まさに生家の近所にあった、世界的に有名な清水寺のあの舞台から「飛び降りた」のである。
それくらいの行動だった。
何かにつけて引っ込み思案でケツの相当重い自分にとって、まさに世界がひっくり返る行動を、初めて取ったのである。
そういう、自分的には歴史的な転換が、あの移住だった。
疲弊しきった地方のど田舎への移住生活は、本当に地獄とどんづまりの連続だった。
そういう中で件の元市会議員さんを精一杯信頼し、そして助けていただいた。
とても言葉では表せないほどの感謝しかない。
当時は、確実にそうだったのである。
市民になった限りは当然、その町に対して納税の義務が生じる。
本当に身を切るような極貧生活の中から、精一杯、正規の額を過不足なく納税した。
恩返しの意味も当然ある。
そして両親もこういう息子に、息子が今住んでいる町に対して、それなりに思うことがあったのだろう。
ふるさと納税制度を使い、この町に納税してくれたのである。
自分たちが住んでいる町をおざなりにしてまでもである。
直接的には何の関係もない町にである。
その行動に込められた思いというものには、想像するだけで泣けてくるものが、当然ある。
愚にもつかない事なのかもしれない。
しかしながら、自分たちが必死で納めた税金には、こういう背景も、しかと存在するのだ。
しかし、移住生活を切り上げて両親の介護のために再度別の町へと移住をすることになり、冷静に考える時間を持てるようになった時、ふと考えてみたことがある。
この元市会議員さんは在職中、風俗関係の女性と密会を重ねていた。
浮気なのか不倫なのか、そういうことはよくわからない。
ただ、そういう話は自慢ぽく、本人から何度も聞かされたし、自身のパソコンに残る「痕跡」を、仲間と薄ら笑いしながらデリートしているところに居合わせたこともある。
なんにしてもである、公人が行っている行為である限り、税金を使ってと揶揄されても致し方ない。
自分たちがささやかな思いを込めて納めた税金の行方は…と考えたときに、本当に言いようもない失望感に襲われてしまう。
身近で起こったことであるゆえ、なおさらである。
ただ、そういうことに関してどうのこうのいうことも主義じゃないし、まして自分には関係のないことなので、何一つ言うこともなく、ただ知らん振りをしていた。
ある夜、近所のコンビニを出たところでこの元市会議員さんの奥さんにばったりと出くわした。
奥さんは「ちゃんと食べてるか?」ととても優しい言葉をかけてくださったのである。
今でもその時の優しそうな笑顔のことを忘れられない。
と同時に、自分はとても後ろめたく汚らしい人間のように感じてきた。
胸が痛いというよりも、もう消えてしまいたいくらいの罪悪感。
直接関与しているわけではないが、知っていて知らないふりをして、笑顔に愛想良く返している自分のどす黒さ。
情けなかったのだ。
この頃から元市会議員に対しての違和感は抑えようがなく膨らんで言ったことを覚えている。
この元市会議員とはしばらく疎遠になっていたのだが、ある研修の講義の途中に、何度か携帯に連絡が来たことがある。
マナーモードにし忘れていたのだ。
もし着信音が派手に鳴り響けば、それはそれでちょっと面倒なことになりそうな状況だったので、油断を悔いた。
ただ、遡ること半年ほど前に、あまりにもしつこい電話に辟易し、着信拒否に設定していた。
なので着信音が鳴り響くことだけは回避できた。
不幸中の幸いだった。
その日、その元市議からメールが届く。
「さびしいじゃん、出てくれよ」。
激しい嫌悪感を感じた。
「貴方の音楽はすごく好きで、それは今後も変わらない。だけど、人として貴方を嫌悪する」
そう返したところ、こう返ってきたのである
「二度と許さん。覚えておけよ。この人でなしめ」。
ただ唖然とした。
姫路市議の件をニュースで見て、こういう苦々しい事実を、唐突に思い出した次第。
86年解散した甲斐バンドが、最後のテレビ出演で歌った曲。
ネタは「郵便配達は2度ベルを鳴らす」だそうだが、甲斐よしひろのことである、自分の人生なんかもそこはかとなく重ねているのではなかろうか?
胸にグングン刺さってきて、すごく痛くなる曲だ。
「涙のつぶが俺を痛めつける」あたりの言葉が特に突き刺さる。
とっても好きな曲のひとつである。
発表当時は「はらませる」が放送コードにひっかかったそうだが、あえてその曲を最後にテレビで、歌詞を変えずに歌うあたりのこだわりというか執念というか、脱帽することしきり。
後藤次利のベースの唸り具合がすごくいい感じだが、無駄音を省いたごくミニマムなアコースティックのバージョンもまたすごくいい。