悪レフェリーもKO!ガッツ・石松 | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

74年4月11日。ガッツ・石松(ヨネクラ)選手がWBC世界ライト級王者ロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)57勝(48KO)5敗に挑戦。これが3度目の世界タイトル挑戦の石松選手。この試合からリング・ネームを”ガッツ”に変更。東京での挑戦に張り切りました。-挑戦の経緯については、こちらのライバル門田新一選手の記事を参照してください -

この写真、どんな状況に見えますか?レフェリー、ラリー・ロサディラ(米)が、完全にのびている王者を”スリップ・ダウン”として無理やり引き起こそうとしている。いや、時間をかけて引き起こした。

この後猛抗議するセコンド陣を自ら制し、見事8回KO勝ちで世界チャンピオンになったガッツ・石松選手。レフェリーの野望をも砕いた痛快なKO劇。この行為により、ロサディラはWBCから長期間サスペンドを喰らった。

この時代、中立国のオフィシャルと言う決まりはまだない。この試合のレフェリー(もちろん採点もした)ロサディラは、王者が本拠地ロスから連れてきた。この試合、最初のダウンは”ロング・カウント”でKO阻止。。直後、パンチももらわずに倒れたので”スリップ・ダウン”と言う解釈か。(~~)

指名試合という制度もまだなかった。A、Cそれぞれの王者は、もう一方の機関にも、ランキングされていた。たいがいは1位であるが、そうでないケースも・・・。したがって、世界挑戦のチャンスに恵まれず”無冠の帝王”と呼ばれる選手が出た。

以後指名試合の制度が出来、オフィシャルの完全中立国化もなり、スーパーバイザーの立会いも制度化した。15回の世界戦が12回戦制に改まった。WBCではスライマン氏が会長になる以前から提唱されていた、”ラウンド・マスト・システム”による採点方法もすっかり世界に浸透した。

石松選手以後の世界戦でもっとも不可解な試合は、サラテVSピントール戦での採点でしょう。-詳しくはこちらを参照してください。記事後半部分です -

そして日本で行われた世界戦で、一番大騒動になった試合はアルフレッド・エスカレラにバズソー・山辺選手が挑戦した試合。-詳しくはこちらを参照してください -これは76年。まだスーパーバイザーの制度がなかった。

紆余曲折を経て、改革、整備されて来たボクシング界の制度。この流れ、歴史、採点方法の変遷をご理解いただきたい。ファンの皆様、よろしくお願い申し上げます。

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