資生堂香水 「銀座」 1931年
「Les Parfums Japonais ―香りの意匠、100年の歩み―」(@資生堂ギャラリー)フロガ一内覧会に参加させていただきましたのでレポートいたします。
資生堂ギャラリーは私の勤務地から徒歩7、8分なのでよく訪れるのですが、1919年に資生堂初代社長の福原信三さんが開設した現存する日本で最古の画廊。
そして本展は、その福原さんが1917年に資生堂として初めての香水「花椿」を発売してから今日までの100年間の香水の意匠すなわち香水瓶を3つの大きな時代のくくりで見ることができるものです。それは単なる商品としての香水ということではなく、若き福原さんが憧れたパリの芸術文化をキャッチアップし日本いや資生堂ならでの独自性をもって乗り越えていこうとした精神活動の軌跡なのかもしれません。
そんな雑感を抱けたのは、本展のギャラリートークで、下記の皆様から福原さんの取り組みや香水瓶に関するトピックス、展示空間の演出等について貴重なお話しを拝聴することができたからだと思います。
企画:・伊藤賢一朗さん(貧生堂ギャラリーキュレーター)
・小野寺奈津さん(貧生堂ギャラリーキュレータ一)
・丸毛敏行さん(資生堂アートハウスキュレーター)
展示演出:近森基さん(Plaplax アーティスト)
展示スペースデザイン:堀景祐さん(貧生堂宣伝・デザイン部デザイナー)
そして進行役のアートテラーとに~さんが極めて適切に話題を時に笑いを引き出してくれました。(ちなみにとに~さんのブログ「ここにしかない美術室」はとても面白く役に立ちますよ。
資生堂香水のユーザーから最も遠い世界にいる?オジサンの私でも理解を深めることができ面白く鑑賞できたのは皆様のお陰。ここに深く感謝申し上げます。
ということで以下本展の構成を追って紹介しますが、その前に堀さんのお話しから。
本展の展示台と展示ケースは全てオリジナルで本展のために製作したもの。イメージは葉っぱと水滴。香水瓶を間近でじっくりみてもらえるように水滴の中に香水瓶を閉じ込めるとともに葉っぱをイメージした展示台の上で陳列したそうです。このステキな演出もぜひ堪能いただきたいポイントです。
【展示構成】(青字は本展リーフレットより抜粋)
1.パリの芸術文化への憧れ
福原信三はアメリカ留学を終えた1913年、パリを中心にヨーロッパに立ち寄ります。幼少から芸術的な環境で育った彼にとってパリへの訪問は、西欧の新しく刺激に満ちた芸術文化に触れる絶好の機会となりました。当時、ラリックやガレに代表されるアール・ヌーヴォーの潮流は全盛期を過ぎていたとはいえ、世の日用品を美しく彩り人々の生活の中に存在していました。彼は優美な装飾が施された香水瓶を街角の店頭で眼にしたことでしょう。福原がパリで体験したものは、後に彼の化粧品づくりの創造の源となりました。1916年、福原が事業の中心に化粧品を添えたとき、折しも日本に紹介されつつあったアール・ヌーヴオーの息吹は、
資生堂に豊かなデザインをもたらすヒントになつたのです。
ここでは、福原信三さんに影響を与えた1910年代のパリの香水瓶を見ることができます。
近森さんによって各々の香水瓶の特徴がわかりやすく演出されています。
ロジェ・ガレの蝉(1910年)。瓶の4つの角に施された蝉。ガラスに取り組みはじめた初期のルネ・ラリックのデザイン。香水瓶にこれほど凝ったものを使用するのは斬新な試みだったようです。
2.香水制作のはじまり
パりから帰国した福原信三は化粧品の製造、販売にあたり、とりわけ香水制作にこだわりました。福原が銀座に化粧品店を開業した翌年の1917年に、資生堂初の香水 「花椿」を発売します。香水 「花椿」に引き続き制作された資生堂の最初期の香水瓶は、形状、瓶を密閉する栓やレーベルデザインに同時代のパリの香水瓶の特徴がみられ、香水瓶の細部にまでこだわった西欧の本格的な香水のクオリティーを目指しました。福原は人間の視覚には絵画、聴覚には音楽、触覚には彫刻といった芸術が存在するのと同様に、嗅覚のための芸術を創り出そうと、香水を芸術として意識したのです。福原は、自らがバリの街中で垣間見た香水瓶の美しさをめざし、それらに勝るとも劣らぬ香水づくりを始めたのです。
この章を象徴するのが、ロジェ・ガレの「すみれ」と資生堂の「花椿」を並べたもの。特筆すべきは、福原信三さんのパリ留学からわずか4年後の1917年には資生堂初の香水「花椿」をリリース。しかもそのフォルムはヨーロッパのものにいきなりキャッチアップしています。
奥資生堂「花椿」、手前ロジェ・ガレ「すみれ」
手前資生堂「花椿」、奥ロジェ・ガレ「すみれ」
この演出もすばらしくて円板が回転し両脇から光を当てているので、まるでパリの舞踏会でワルツを踊っているかのよう。新参者の「花椿」ですが、「すみれ」相手に堂々とわたりあって踊っています。
その他この時期の資生堂香水。「白薔薇」は100年後の今でも「ホワイトローズナチュラル」にと定番ブランドに育ったようですね。
1917年 白薔薇
1918年 森の鈴蘭
1918年 マグノリア(木蓮)
3.「商品の芸術化」とオリジナリティー
福原信三が香水づくりを始めた頃、彼は当時日本の化粧品製造の状況を未だ西欧の模倣期だと見ていました。このような時代にあって自らの香水づくりを突きつめることは、福原にとって芸術的な感性とこだわりをもって化粧品製造を先導していくことに他なりませんでした。
「フランス香水の容器に鑑み(かんがみ)、仮に相寄り相携えて各々東西古今に亘って夫々研究し、その蘊蓄(うんちく)を傾けて完全にそれ等の消化に努め、それを栄養素として、日本でなければ出来ない日本人でなければ拵えられない、突きつめれば個の創造に参じるべきだと思う。」 福原は、伝統の中で培われた西欧の香水から学びながらも、西欧のものではない日本人の感性を加えたオリジナリティーを重視したのです。
既に1918年には日本テイストの「梅」や「藤」等をリリース。
梅の花のラベルデザインがシンプルに可愛いいですが、掛詞のような遊びも入っているとのことです。WOO-MEは日本語の「梅」でかつフランス語だと「私を好きになって」。
自分の好きっていう気持ちをストレートに表せるような新しい日本女性をイメージしていたかもしれませんね。
およそ20年前に与謝野晶子さんがこんな歌を詠んでました。
梅の渓の靄くれなゐの朝すがた 山うつくしき我うつくしき(みだれ髪)
この香水と恋を謳歌する女性のイメージが重なります。
1930年代は日本は日中戦争から太平洋戦争へと向かう戦争の時代。物資も不足し制約も多くなっていく中、個性的な香水がリリース。
1931年「銀座」 銀座と資生堂は表裏一体。モガが闊歩する銀座の雑踏をイメージした商品だそうです。
1934年セレナーデ(左) 1936年ホワイトローズ(右)
白薔薇からホワイトローズに進化してます。
1935年 雪姫 キャップは木製です。
1936年 ムゲ(ナチュラル)
4.日本の香水一戦後から現代へ
欧米における東洋趣味の流行、そして東京オリンピックを契機に、資生堂は1964年、日本調の青木 「禅」を海外向けに発売します。瓶には日本の漆エ芸を代表する高台寺蒔絵に着想を得たデザインが施されています。「禅」は日本でも発売され、1967年には日本調の香水
として 「琴」、「舞」が続いて登場します。「琴」は当時、国際的に活躍した書家の篠田桃紅 (しのだ とうこう)、同じく「舞」は町春草 (まち しゅんそう)による書が瓶にあしらわれていいます。こうした日本調の香水は1970年の万国博覧会に出品され、そのオリジナリティーがあらためて見直される機会ともなりました。これらと併せて現代の資生堂デザイナーが生み出す香水瓶にも、「商品の芸術化」という福原信三の精神を受け継いだデザイン感覚を感じ取ることができるでしょう。
1967年の「舞」。何か心にひっかかるものがあったのですが、思い出しました。
山口小夜子さんです。2015年東京都現代美術館での「山口小夜子 未来を着る人」、そして先日文化記録映画大賞を受賞した松本貴子監督「氷の花火~山口小夜子」にものすごく感銘を受けたのですが、そのメインビジュアルに使われた山口小夜子さんの目が言葉で言い表せないほど完璧な美しさなのですが、その源は資生堂の「京紅」のポスター。そして同じ目が使われているのが香水「舞」のポスターなのです。山口小夜子さんのポスターは「舞」発売から10年あまり経った1978年のものですが、AD中村誠さん、写真横須賀功光さんによるビジュアルは今でも斬新で美しい。
ちなみに「舞」のコピーは「ほのかな香りほど悩ましい。」
「舞」の姉妹のような「琴」。
そして「ZEN」。
「臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念 特別展『禅―心をかたちに―』」を鑑賞したばかりだったので、「直指人心 見性成仏(まっすぐに自分の心を見つめよ。仏になろうとするのではなく、本来自分に備わっている仏性に目覚めよ)」という言葉がシンクロ。福原信三さんを始祖とする資生堂のミームをまっすぐ見つめてできあがった作品のように思えます。
そしてそのミームが連綿と受け継がれて、2010年代の資生堂香水が至った地点。
株主向けの限定シリーズ。「水の香」(2010年~2012年)。
「ホワイトローズ」は非売品ですが、「ホワイトローズ2014(コンセプト)」となって、何と薔薇の棘を表現。自然を徹底的に観察した果に至った作品のように思えます。
そして2016年の「マツダ Soul of Motion」。
マツダとのコラボレーション作品だそうです。解説を引用します。
フレグラシス 「SOULof MOTION」のテーマは、『emotional simplicity(削ぎ落とした先
の凝縮された興奮』。静寂の中に凛とした什まいと毅然とした品格を漂わせるこの香りは、
ウッディー、レザー、ローズをべースに、「魂動」を象徴する独自のエッセンスを配合して
います。デザインは、マツダがデザインで追求する 「削ぎ落とすことで、研ぎ澄まされた
美に到達する」という日本の美意識から着想しました。オーバーキャップの素材にはステ
ンレスを採用。緊張感のあるエッジから流れるような曲面へのつながり、内側から輝きを
放つようなガラス、容器を取り出す所作に至るまで美しいデザインです。
5.ウィットと恋のかけひき
本セクションでは、香水の魅力を引き出すインタラクティプなインスタレーションを試みます。香水には遊び心を感じさせるものや恋のかけひきを思わせる口マンティックなネーミングが多くあります。香水のネーミングと瓶のデザインは香りを纏う人の想像力を掻き立てる重要な要素だといえるでしょう。フランス語でささやかれる香水のネーミングと会場に漂うほのかな香りを通じて香水が持つ世界観を体感ください。
ここは楽しい章です。9つの香水ネーミングをまず把握してから見てみるのがいいかもしれません。
軽はずみ、あなたのもとへ、再会の時、ニュームーンヘイ、いちずな願い、願えば叶う、恋の矢、愛の花束、さよならは言わない。
香水のネーミングの意味を心に秘めて恋する人に会いに行くっていう状況が想像できてとてもロマンチック。ネーミングとボトルデザインがマッチしているかはご自身の目で確かめてください。
ちなみに私は男性の立場から女性に香水を贈るとしたら、これですね。
「愛の花束」、1919年資生堂。第一次対戦が集結し狂乱の1920年代を迎えようとする時に、花束とともにこのネーミングの「香水」をプレゼントするってかんじ。ちょっとテレますね。
【開催概要】
■「Les Parfums Japonais ―香りの意匠、100年の歩み―」
主催: 株式会社 資生堂
会期: 11月2日(水)~12月25日(日)
会場: 資生堂ギャラリー
〒104-0061
東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル地下1階
Tel:03-3572-3901 Fax:03-3572-3951
平日 11:00~19:00 日曜・祝日 11:00~18:00
毎週月曜休(月曜日が祝日にあたる場合も休館)
入場無料
資生堂ギャラリーの近くの資生堂銀座ビルの展示もオススメです。
資生堂銀座ビルでは、資生堂の戦後から現代までの香水瓶を「悠・優・誘・遊・幽」の5つのキーワードでグルーピングして展示。他の拠点に先行して2016年9月26日(月)より展示を開始します。
・1F:「水の波紋」をテーマに、「plaplax」がショーウインドーを演出。
・2F:日本伝統の「雪吊り」からインスピレーションを得て現代感覚でアレンジした什器で約50点の香水瓶を展示。
■会期:2016年9月26日(月)~12月22日(木) 入場無料
■開館時間:平日11:00~19:00
1階のショーウィンドゥ。「Zen」がいいですね。水がしたたり落ちる音だけが聞こえる庵で瞑想する修行僧のような凛とした緊張感にぐっときました。
2階。
「遊」あちこちとそぞろ歩く時の楽しいイメージの香水瓶たち
2007年のZEN。
「誘」 誘われて心浮き立つようなイメージの香水瓶たち
「ミス オブ 沙棗」(1992年) ものすごく艶っぽいですね。
ネーミングの「沙棗」は、中国の伝説の美女【香妃】が体から発していた沙棗花(スナナツメ)の香りをイメージしてとのこと。
「幽」 ほのかに見える 微かな幽玄なイメージの香水瓶たち
ここのくくりには「禅」、「琴」そして「舞」(1967年)が集結。
「優」 もの柔らかく しとやかな優しさを感じさせる香水瓶たち
1954年の「ホワイトローズナチュラル」です。
「悠」 果てしなく どこまでも往くような悠々としたイメージの香水瓶たち
2000年のオールドパルファンアロマティックZEN。
ロードゥ イッセイ オールドパルファム(1992年)のフォルムも悠然としていいですね。
@1階のショーウィンドゥディスプレイ。
まだあります。
【資生堂パーラービル(東京銀座資生堂ビル)】
資生堂パーラービルでは、1F展示スペースにて、「現代詩花椿賞」の受賞者に贈呈された特製香水入れを展示します。
■会期:2016年 11月 2 日(水)~12月 25 日(日) 入場無料
■営業時間:11:00~21:00
これを見逃したら画竜点睛を欠いてしまいます。