前回触れたついでナゴンちゃんの虫シリーズ。
「虫は、鈴虫、ひぐらし、蝶 、松虫、きりぎりす、はたおり、われから 、ひをむし(カゲロウ)、蛍 、ミノムシ…額つき虫…蝿 …夏虫…蟻 …」
で蓑虫篇。
清少納言チャン『枕草子』の有名な一節。
「蓑虫いとあわれなり。
鬼の生みたれば、
”親に似てこれもおそろしき心あらむ”
とて、親のあやしき衣引き着せて、
『いま秋風吹かむをりぞ来むとする。待てよ』
といひおきて、
逃げて往にけるも知らず、
風の音を聞き知りて、
八月ばかりになりぬれば、
『ちちよ、ちちよ』
とはかなげに鳴く、
いみじうあはれなり」
ちなみに「父よ父よ」でお母さんの存在はどうなっているかというと、ミノムシのメスは一生ミノムシのままで、オスだけが蛾になるというそうで、ナゴンちゃんたちがそれを知っていたかどうかというと……、どうやら、これは偶然の話で、ホントウは「チチヨチチヨ」と鳴く秋の虫の声をミノムシの声と勘違いしていただけらしい。
シカシ、
ミノムシが「リーンリーン」と鳴くとか、「ギッチョンギッチョン」と鳴くとか、勘違いしないのは、ミノムシが「鬼の子」であるという考えが先にあったからに相違ない。
それは蓑を身に着けているからであった。
ミノムシが蓑を身に着けているのは鬼の子だからである。
親の衣装を譲りうけていたのである。
東北のナマハゲや南島のアカマタとかにもあるように、神、先祖霊などが蓑や藁、葉などのコスチュームで現れるように、鬼もまた、身体を隠して現れた。
例えば、
『日本書紀』斉明女帝のお葬式のとき、
「八月の甲子の朔に、皇太子(中大兄=天智)、天皇(斉明)の喪を奉徒(ヰマツ)りて、還りて磐瀬宮に至る。
是の夕に、朝倉山の上に、鬼有りて、大笠を着て、喪の儀を臨み視る。衆皆、怪ぶ。」
鬼=穏身の意とするならば、オニはもとは「現身」であった存在が、ナニカのきっかけで、「隠身」となったのであろう。
例えば、
再び『日本書紀』。「一書」において、高天原を追放されたスサノヲの描写。
「時に長雨降る。
素戔鳴尊、青草を結束(ユ)ひて、笠蓑として、宿を衆神に乞ふ。
衆神……遂にともに距ぐ。
……爾以来、世、笠蓑を著て、他人の屋の内に入ることを諱む。
又束草を負ひて、他人の家の内にいることを諱む。
これを犯すことある者をば、必ず解除(ハラヘ)を債(オホ)す。
これ、太古の遺法なり」
つまり、風雨に苦しんだのに救援してくれなかった神々にたいして、スサノヲは恨みを抱いてタタル存在になったのであろう。
ミノムシの親の鬼は 秋になったら迎えに来るから待っていろ、といった。ミノムシが啼いたのは旧・八月。斉明帝の話も八月。スサノヲの話はただ「長雨」とあるが、これはつまり梅雨ではなく、秋雨のことであろう。鬼の・ミノムシの蓑は秋雨のために必要なのでもあった。
雨を避ける必要が先か、身を隠す必要が先か……。
とにかく、昔の鬼は、地獄の鬼のように虎のパンツ一丁というのではなかった、ナゴンちゃんの時代には、まだ旧い蓑笠鬼のイメージが普通に残っていたのだ、という確認ができる。
そして、ミノムシはその季節が近づくと、「父よ父よ」と啼くのであった(…が、親鬼は逃げていったので迎えにくるはずがない)。つまり最初の約束と、蓑の譲渡は、親が逃げる・姿をくらます時=節分のときに交わされたのであった。
ふうん。
鬼はマメ投げられて逃げるが、一年後間にまた逃げる鬼とは別人なのだろう。
鬼とはそもそもクウキみたいなもんで、鬼の分子が一年かけてジワジワと降り積もって、節分のころには鬼分子が固まって固形の鬼みたいになっている、そのころには鬼集合体が一つの人格のようなものをもつにいたって、そのカスをコドモとして残してゆく……なんてね。(関連→「方相氏 」)
……横道。
以前、「刀自を集めてみたヨ その13」で、ミノムシがでてきたので復習。
………『枕草子』で、清少納言ちゃんが、まだ自分が宮仕えする前にあった事件を書いているくだり。
若き日の一条帝と定子サマが、藤原師輔の娘で天皇の乳母であった藤三位をからかって、坊主が書いたかのようにみせた手紙を送る。その手紙をもってきたのは「蓑虫のやうなる童」であった。
誰からの手紙だろうということになり、藤三位はハラハラドキドキ。
しかし、やがて、その蓑虫くんは「台盤所の刀自といふ者のもとなりけるを、小兵衛がかたらひいだし」たのであったと分る。小兵衛は中宮の女房で、つまり天皇・中宮のイタヅラであったことが発覚した…というような話。
後日、台盤所で蓑虫君を発見した藤三位、手紙は誰からきたの? と冗談ぽく訊いたら「しれじれしう笑みて走りにけり。」
蓑虫君が働いていた「台盤所」は、清涼殿のすぐ隣にあって、食事に使うお膳=「台盤(盤台)」を管理(準備)する部署。毎日使うものだし、整備もたいへんであった。火櫃(ひびつ)や調度品などもあって、その他の天皇付の女房連の詰め所的役割も果たしていたらしい。
そこの「刀自」だから、女係長ということで、蓑虫君はその部下。きっと、正規の職員ではなく、刀自さん個人が使っていた、奴隷(?)みたいな子だったのだろう。
……
これは正体がばれないようにするための変装なのであったが(関連→「蓑火 」)、このくだりで、この童のことを「鬼童」とも書いている。
やはり鬼と蓑はセットだったのだ。
飛躍するが、、、
『源氏物語』で、葵の上が亡くなってしまい、姫のいなくなった左大臣家では、「光源氏と葵の夫婦仲は冷めていたから、源氏は熱心に通ってこなかったが、かんじんの葵が死んでしまってはなおさら足が遠のくだろう…」と、女房たちが動揺し、すでに実家に退出したりする人もある。そのなかに、
「取りわきてらうたくし給ひし小さき童の、親どももなくいと心細げに思へる」女童がいたので、さすがに源氏も哀れと思い、「『あてきは、今は我をこそは思ふべき人なめれ』と宣へば、いみじう泣く」…というくだりがあるが、こういう天涯孤独の下っ端使用人は、蓑笠被らねばならぬ仕事などもせねばならず、「父よ父よ」と泣いたかもしれないなあ、そういうコドモがナゴンちゃんの周りにもいたかもああ、、
などクウソウしてみる。
クウソウをたくましくしてくれる歌。
『金葉和歌集』巻十雑下。
連歌。
「簔虫の梅の花咲きたる枝にあるをみて
律師慶(慶範か?)
『梅の花が咲きたるみのむし…』
前なる童の付けける
『…雨よりは風ふくなとや思ふらむ』」
蓑があるから雨はへいきだけど、風が吹いてとばされたら、親が来たときわからなくなっちまうじゃないか…風よ吹かないでくれ…花ではなく、虫に同情する優しさは、親を待つ蓑虫の立場を我が事ととして感じられる【童】ならではの感性である、と思いたい。