怪文書が好きなネトウヨ(アーソン・グレブスト編・その7) | 誰かの妄想
2008-07-12 22:24:17

怪文書が好きなネトウヨ(アーソン・グレブスト編・その7)

テーマ:民族差別

嫌韓ネトウヨの「悲劇の朝鮮」からの恣意的引用・第7回目です。


第1回:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10114681424.html
第2回:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10114684316.html
第3回:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10115001444.html
第4回:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10115100646.html
第5回:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10115592625.html
第6回:http://ameblo.jp/scopedog/entry-10115636803.html


前回と若干かぶりますが、韓国人、特に両班の性質に対する誹謗です。
これも引用している嫌韓ネトウヨが非常に多いです。


工作員のごとく、一人であちこちのコメント欄に貼りまくっているmugiとかいうコメンタもいます。

------------------------------------------------
http://specificasia.seesaa.net/article/93680608.html
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-353.html
http://ameblo.jp/worldwalker2/entry-10007246737.html
http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2005/11/post_699b.html
投稿 mugi | 2005/11/13 15:15
「悲劇の朝鮮」アーソン・グレブスト
『嘘っぽい理論で結論を下す論法ときたらまったく驚くべきほどです。自分が正しい場合がほとんどないにもかかわらず、悪び
れる様子がほとんどない。』
------------------------------------------------

ここは上記と同じ引用。
------------------------------------------------
http://yhn8.iza.ne.jp/blog/day/20070727/
http://nida.seesaa.net/article/93765757.html
------------------------------------------------

こっちはもう少し長く引用しています。
------------------------------------------------
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2463/rekisi2.htm
http://www.geocities.com/deepredpigment2/dnchon7_012.html
http://d.hatena.ne.jp/nay/20050905
http://blog.goo.ne.jp/azeria0087/e/25e7015836a049c93057a5cdb30da33e
http://www.tamanegiya.com/gaikokujinnno.html
http://pinoccio.at.webry.info/200602/article_13.html
http://ameblo.jp/sinesayoku/entry-10114922687.html
「 悲劇の朝鮮 」 アーソン・グレブスト 1912年( 高演義・河在龍訳 1989年 白帝社 )
( 学者である両班は )礼節上、天地の間に起こることならすべからく知っていなければならないし、質問されたことにはこと
ごとく答えられなければならないわけですが、ただ、わざと騙そうとするのではありませんが、その嘘っぽい理論で結論を下す論法ときたらまったく驚くべきほどです。自分が正しい場合がほとんどないにもかかわらず悪びれる様子がほとんどない。もし誰かが彼の言うことを受け入れないで別の論理で反駁を加えたりすると、彼は礼を守り抜くために必死の努力をするんです。なかなか信じようとしない人を説得したり、または自分の正しさを納得させたと自分自身思えるまでは、決して投げ出したりはしません。

------------------------------------------------


おや、通りすがりの三国人(sinesayoku)も引用してますねwww
アーソン・グレブストについて、ネットで検索でもしたんでしょうか?この餌に簡単に食いついているところから見ても、実際に本にあたったわけではなさそうです。

理由は以下の通り。

この記述は「悲劇の朝鮮」P32~P37に確かにありますが、結論から言うと、これも前回同様グレブストの発言ではなく、旅中一緒になった日本軍将校の発言にすぎません。
グレブストと日本軍将校は、P32~P37にかけて、世間話をしており、グレブストは日本軍将校の話を「悪口」と表現しています。


ちゃんと「悲劇の朝鮮」を読めば、この内容をグレブストの発言などと勘違いすることはありえません

このような性質の悪い引用は、知った上で悪意を持って行ったか、ろくに調べもせずに軽率にコピペしたかのどちらかによるとしか考えられません。


この方↓はどっちでしょうかねえ?後者かな?
-------------------------------------------------
http://pinoccio.at.webry.info/200602/article_13.html
理由の無い反日はもうやめないか ピーノの独り言/ウェブリブログ
興味深い事に、この様な「両班的」思考法は戦前から外国人に指摘されていたみたいですね。
-------------------------------------------------


引用内容が、グレブストの発言ではなく、日本軍将校であることは既述の通り。
まあ、韓国人にとって日本軍将校は外国人と言えば外国人だが・・・


通りすがりの三国人は、どっちかな?悪意はありそうだけど、知能はなさそうだから後者でしょうか。


全く、嫌韓ネトウヨの、”嘘っぽい理論で結論を下す論法ときたらまったく驚くべきほどです。自分が正しい場合がほとんどないにもかかわらず、悪びれる様子がほとんどない。”


やれやれだぜ。




引用箇所の前後は以下の通り、少し長いですが、1904年当時、朝鮮半島を軍事占領していた日本軍の将校が韓国についてどう考えていたか、を知る上で興味深い部分なので、第6回の引用からの続きで引用します。


 大尉は朝鮮人が勤労を軽んじているなどと、悪口を言いつづけた。
 (日本軍大尉)「われわれ日本人は楽しく働いて、その結果について自負心をもちます。ところが朝鮮人とくると、生存の余地がなくなるという局面に至らないかぎり働こうとしません。
 <仕事>という言葉は朝鮮語ではいろんな意味を含んでいて、たとえば損害、損失、不幸、悲しみなどの意味があります。
(註:朝鮮語に詳しくないので断言できないが、”イル”という語には、普通に”仕事”や”人間の活動”くらいの意味しか見つけられなかった。)仕事をしなければならないということ自体を悲しく思い、当然何もしないで楽に過ごすべき時間に働かなければならないというのは、時間的な損失を意味するわけです。不必要な労働は健康を害し、何もせずに過ごすゆとりがないというのはそもそも吹こうであると考えるのでしょう」
 あれこれ話しあううちに話題が今走っているこの新鉄道に移った。人一倍軽率で口数の多い日本人大尉によれば、この鉄道が東洋で持つ意味は大変大きいとのこと。彼はこう語った。
 (日本軍大尉)「この鉄道は中国、ヨーロッパにつながる新しい起点となるでしょう。これが完成すれば、ベルリンやパリ、ローマからまっすぐ釜山まで来れるようになります。釜山と日本を連絡する蒸気船路をすでに計画中で、これに要する費用もさして難題ではありません。
 戦略的な面から見るときこの鉄道の価値は莫大なもので、管理権も完全にわれわれの手中にあります。全域にわが軍隊が散っており、わが警察が治安を守っております。かつては兵力を国境線まで輸送するのに何週間も掛かったが、今ではほぼ一日ですむんです。この輸送路が国内産業にいかなる影響を与えるかについては、いまさら長々と説明する必要もないでしょう。
 朝鮮人は旅が好きです。これまで彼らは自分なりのやり方で、夢見るようにゆっくりと旅を楽しんできたが、いまや鉄道がそんな旅のしかたを新しく変えてしまうことでしょう。国土を歩いて往き来する時代は、ようやく大団円の幕を降ろしたということですよ。
 朝鮮人はよく歩く民族だから一日に軽く一九キロ歩けるし、必要なら四〇キロでもこなします。金をかけずに旅するわけですよ。日に三度の飯と時々履きかえる草履さえあれば、それ以上もう何もほしがらない人たちなんです。」
 (グレブスト)「それにしても皆が皆、徒歩で旅行するわけじゃないでしょう」
 (日本軍大尉)「もちろんです。たとえば公職にある者は面子を考えて駕籠に乗る。肩にかつぐ日本の長い棒のうえに箱を載せたようなその駕籠の中で、座布団に足を組んで座ったまま一日一〇時間以上もじっと辛抱し通すんです。じっさい移動するには大変楽な方法です。駕籠かきたちの歩調が乱れて起きる不祥事の際の衝撃を少なくしてくれます。ふつう一人用の駕籠ひとつに駕籠かきが二人つきますが、位の高い官吏はその体面を重んじて四人も従えます。公職に身を置く人や学者にとって、自分が貧しく見えることほど恥ずかしいことはありません。隙を見せてはならず、必ず格式を整えなければなりません
。(註:この辺は、江戸時代の参勤交代でも似たような状況。薩摩藩士は格式を整えた大名行列を維持するため食費を削り、芋ばかり食べており、「芋侍」と揶揄されている)
 絶対忘れられずいつも頭から消えない単語がひとつありますが、それは<礼>です。礼に従うためならほかのことは違反してもいい。ところが礼を失した人間は、親戚や他人の目には烙印を押された者と映るわけです。労働が礼でないことは規制の事実となっていて、これが怠慢にたいする口実として使われているのです。(註:日本の江戸時代でも、士農工商の身分を越えて婚姻・妾をもつことは体面上できなかったが、貧乏武士の養女にして妾にするなどの裏道はあった。)
 朝鮮の学者は、誰かうるさい人の目に労働と映りうることなら、できる限りそれから遠ざかろうとします。衣服を自分の手で着てはいけないし、タバコの火も自分で点けてはいけません。そばに手伝ってくれる者がいない場合は別にして馬の鞍に自力でのぼるべきでなく、また荒馬から落ちたとしても、誰かがやってきて抱き起こすまでは地面にそのままたおれていなければならないのです。
 学者は個人的な商売はやらないのですが、その訳は商売というものがまさに労働であり礼に反するからです
(註:日本の武士にも商売を嫌う傾向があった)。こんなわけで両班はただのチゲ人夫からいとも簡単にだまされてしまうのです。紳士を指して朝鮮語で両班といいます。それでいて彼らは日常生活についての自らの無知を、決して認めようとはしません。
 礼節上、天地の間に起こることならすべからく知っていなければならないし、質問されたことにはことごとく答えられなければならないわけですが、ただ、わざとだまそうとするのではありませんが、その嘘っぽい理論で結論を下す論法ときたらまったく驚くべきほどです。自分が正しい場合がほとんどないにもかかわらず悪びれる様子がない。もし誰かが彼のいうことを受けいれないで別の論理で反駁を加えたりすると、彼は礼を守り抜くために必死の努力をするんです。なかなか信じようとしない人を説得したり、または自分の正しさを納得させたと自分自身思えるまでは、決して投げだしたりしません。
(略)」


以上、グレブスト本人ではなく”人一倍軽率で口数の多い日本人大尉”の”悪口”でした。