ラプトさんの教会や、ラプトさんの先生でいらっしゃる牧師先生の教会に破壊工作の目的で侵入してきた工作員の大半が全能神教会の信者だったそうです。
 
中国の黒龍江省で誕生したと言われているカルト宗教、全能神教会。
 
何故、中国のカルト集団が日本の教会を破壊したがるのか。
そのルーツについて調べたら様々なことが分かって来ました。
 
先ずは全能神教会について。
以前ウィキペディアで「全能神」と入力すれば全能神教会の詳細が検索出来ましたが、今はカルトの説明がごっそり削除されてます。 すごい権力ですね。誰が指示したのでしょう?
(その後再度ウィキペディアを覗いてみると、何と、全能神教会信者が悪者扱いされている、とする文章が掲載されていました! あのマクドナルド撲殺事件も中国政府によるでっち上げなんだそうです。)
 
天下のBBCのサイトに撲殺事件について載ってましたので英文ですが載せておきます。こちら

 

こちらのサイトではウィキペディアと同じ記事がまだ載ってました。こちら
 
中国で、しかも北境の黒龍江省で何故キリスト教系の新興宗教が生まれるのか、ずっと疑問に思っていました。
 
中国と言えば儒教の国と言うメージがありますし、仏教が伝来したのも中国経由と学校の授業で習いました。
 
ところが、面白いことにこちらの記事では中国には共産党員よりクリスチャンが多いと紹介されています。 
信者の多くが地下教会の貧困層とも。
全能神教会も信者にお金を渡していたそうなので、貧困層獲得が狙いの一つなんでしょう。
 
では、黒龍江省とはどんなところなのでしょうか? ウィキペディアの検索結果を見てみましょう。こちら
 
黒龍江省は、歴史上女真族や満州国と関わりがある地域で、女真族から李家が生まれたと言われてます。
 
李家は日本での再興を悲願とし、日本の実権を握ろうとしている連中です。
その李家について、川田さんにより安倍晋三は李家の末裔である、と解き明かして下さいました。
 
黒龍江省の省都ハルビン市は、清朝時代の1898年、ロシア帝国による東清鉄道の開通と共に急激に発展しました。
 
こちらのサイトではこれが中国か、と目を疑うようなロシア風の建造物が沢山紹介されています。美しい街並みですね。 
教会も複数存在しますし今も現役で利用されているようです。
 
東洋の小パリ、若しくは東洋のモスクワと謳われるハルビン市。 1900年以降になると白系ロシア人や多くのユダヤ人が移り住み、移民の楽園と言われていたそうです。
 
そのハルビン市からわずか24キロ先にあの悪名高い731部隊が位置していたとは知りませんでした。
因みに初代内閣総理大臣、伊藤博文はハルビン駅で暗殺されています。こちら
 
因みに因みに、伊藤の後妻はその名を伊藤梅子と言って現山口県出身。 山口と言えば田布施一族ですね。
梅は李家と非常に深い関わりがあります。川田さんの記事でご紹介下さったとおり、李家の家紋は梅です。
梅子についても深く調べると更に面白い事実が見えて来るかも知れません。
 
ハルビン市は歴史上名が残る人物や事件と大きく関わって来たんですね。
 
さて、731部隊と言えば岸信介。 満州国国務院実業部総務司長だった岸信介の許可なくしていかなる実験も行われなかったと。つまり、岸は731部隊の裏の実権者だったのです。
 
その岸伸信介は安倍晋三の祖父に当たります。 こちら記事など。
 
731部隊と言い、李家発祥の地と言い、安倍晋三と満州=黒龍江省は非常に縁深い地と言うことが分かりました。
 
このハルビン市には今も市内にシナゴーグ、つまりユダヤ教の会堂が残っているそうです。
ユダヤ教徒が住んでいたと言う証拠ですね。こちら
 
こちらにシナゴーグの写真が掲載されています。 街中にロシア料理店があるんですね。本当に中国の地方都市とは思えませんよね。
 
ハルビン市に多くのユダヤ人が集められていた事実。 ラプトさんの記事のとおり、これは正に河豚計画の一環ですね。
 
 
 
尚、731部隊初代隊長 石井四郎は死ぬ間際に洗礼を受けました。
上智大学学長になった神父に洗礼をお願いしたそうですよ。
 
上智大学と言えばイエズス会。あちら側でしたね。
 
ラプトさんも以前記事にされていらっしゃいます。
 
その上智大学に隣接する聖イグナチオ教会って、ラプトさんも仰るとおりおよそ教会とは似つかない建物です。
 
教会のホームページによる説明ではキリストの復活を表す卵の形、なんだそうです。
 
うーん、空から見れば確かに円形なのでしょうですが…、外観から卵とは想像がつきません。
後述しますが、これってあの有名な「土楼」にそっくりだと思いませんか?! 
 
例えば福建土楼。こちら
 
客家土楼とも呼ばれ、四大移民とされる客家により建造されました。
中国のユダヤ人と呼ばれ、客家を含む華僑はユダヤ人・アルメニア人・印僑と共に「四大移民集団」と言われているそうです。
 
客家は土楼と呼ばれる外部からの侵入が困難な、堅牢な建物に居住していたことが知られています。
福建土楼が有名ですが、下記サイトにありますように、楕円形や四角形の土楼もあるようです。こちら
 
土楼とは土で出来ている楼。 つまりこれって日干し煉瓦のことですよね?! こちらのサイトでははっきりと「レンガ造りの建物」と紹介されています。 
 
煉瓦と言えばイスラエルの民ではないですか!
旧約聖書にもありますとおり、イスラエルの民はエジプトで400年の奴隷生活に於いて日干し煉瓦を生産していました。
 
こちらのサイトで紹介されている『上海人物誌』によりますと、海のシルクロード、陸のシルクロード共にユダヤ人の生活の舞台だったとのこと。 こちら
 
実際に調べてみると、シルクロード上に日干し煉瓦の城壁に守られたヒヴァのイチャン・カラと言う街がありました。
 
何でも人骨を壁に埋葬する習慣があったとか… 本当に死んでから埋葬したのでしょうか… 恐ろしい話ですが、人柱とは良く聞く話。
 
ラプトさんも以前次のような記事を書かれています。
 
ラプトさんが以前仰っていたとおり、聖書には当時から悪魔崇拝者がいたとあります。
 
悪魔崇拝するイスラエルの民が、日干し煉瓦の技術を持ちながらシルクロードを移動してきたと考えるのは不自然ではありません。
 
家畜と共に移動を繰り返す遊牧民なら土楼のような堅牢な建物は不要。
 
やはり客家=イスラエルの民、つまりユダヤ人と考えて間違いないでしょう。
彼らは離散した後、シルクロードを伝ってアジアにやってきたんですね。
 
因みに、海のシルクロードを渡って来たとされるユダヤ人はインドのコーチンに住み着き、「コーチン・ユダヤ人」「黒いユダヤ人」と呼ばれていたそうです。
 
長くなりましたので、この続きは別記事にてご紹介致します。