ウーグリチ紀行~その6~『時計工場チャイカ』はソ連の歴史と運命を並行した | ロシア雑貨のカチューシャ~店長のブログ♪

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フィニフチ時計

とてもエレガントでかわいい☆
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チャイカ博物館の続きです☆


館内には歴代商品の他、この工場の受賞歴が分かる品物の数々があります。

褒章 
海外のコンクールで受賞したものや、レーニンによる褒章などいろいろあります。
これはほんの一部で、この手の表彰状や盾は何十とあります。

 
 
 
 

この時計工場はソ連時代の経済の発展に大きな貢献をしたようです。


褒章の品物の他、たくさんのパネルが展示しています。

このパネルから工場の歴史を知ることができます。


 

ウーグリチに工場ができるまでの手続きや、実際に着手した工事、
携わった主要人物。


 

1941年から45年までは「大祖国戦争」がありました。
(日本では「独ソ連」と呼ばれています。)

国を挙げての戦争に関わった英雄たちのこと、
時計工場の労働者548人が戦地へ向かったことなど、
工場も国の運命とともにした様子がわかるようです。



工場も戦時体制に入ったことを伝えています。




1946年からの歴史。
工場が大規模になっていく様子が分かります。
技術訓練やいろいろな部署が会合のもとに形成されていきました。



 

1951年から。
工場の作業部門が細分化。



 
組み立て部門、金属部門など、各部署のグループ紹介。




技術学校の様子。

優秀な技術教育は国の誇りだったようです。



 

1971年以降、規模の大きくなった工場が自動化され、
効率化したシステムがいかに出来上がっていったか、
また、それに関わる要人たち。



 


社会主義のもとで、労働と、高い生産性によって
チャイカ
社は国からdiplomaを授与された。
多くの人が仕事に関心を持ち、誇りを持って勤務していた。






博物館では倒産の経緯も説明してありました。

社会主義から資本主義経済へ、株式会社への転換など、さ
まざまな大変革が起こった国での出来事でした。

ネット上
では、節税のために多くの子会社を設立し異業種に手を出した工場長の行動や、株主たちの私欲などが議論されているけれど、これほど市民や国民の栄光と誇りを伴った大企業の倒産は、国の転換と並行していると思うととても切なくなってしまいました。


 

パネルでは各年代ごとのデザインが紹介されています。
代ごとに特徴があり、どれもとても素敵。
まさにマンパワーの財産です。


初期のデザイン。とてもカッコよく今でも違和感なく使えそうです。



現在もチャイカブランドの時計は生産されています。
子会
社の一つが時計生産を継続することを条件に2006年倒産受理。
現在では『宝石産業チャイカ』と関連工房が組み
立てに携わっています。

しかし、以前のようにすべての生
産工程をチャイカ社の技術で行うのではなく、
ムーブメン
トは日本とスイスのものを使用しています。

地元の人にと
っては、もう以前のチャイカではないという思いもあるそうですが、少し違う形であれ、チャイカという時計が残っていくことは切ないながらも何というか感慨深く、
日本のチャイカファンにとっても救いだと思います。





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