読んだ本
日本の社会主義――原爆反対・原発推進の論理
加藤哲郎
岩波現代全書
2013年12月
ひとこと感想
「3.11」を反省し、きめの細かい文献踏査のうえで、「社会主義」が生み出してきた「原発幻想」の生成から展開までをたどる真摯な試み。
*注 以下「日本社会党」「日本共産党」はそれぞれ「社会党」「共産党」と略記する。まとめて述べるときには「社共」、さらには「日本の左翼」という言い方もする。
***
本書の目的は、以下のように説明されている。
「日本社会主義の軌跡を、近代化・経済成長と原子力をめぐる問題、原爆と原発をめぐる平和の問題をどのようにとらえてきたのかという観点から追いかけていく。高木仁三郎が自然科学の立場から「原子力神話」を解体していったように、社会科学の立場から、「社会主義・共産主義の神話」と「原子力の平和利用神話」が結びついていたのではと考え、フクシマ以後に社会科学は何ができるかを考えていく。」(viiiページ)
対象とする時期は、本書の前半(1-3章)が戦前、後半(4-8章)が戦後となっている。
また、序章では、「非核平和都市」が「反原爆」でありながらこれまで「原発推進」と併存してきたのが、3.11以降は「反原発」をも内包しはじめたという考察を行っている。
***
ひとことで言えば、日本の「左翼」は、平和主義において一貫していたが、同時に、原発推進においても一貫していた、ということである。
戦前については、以下のような内容が展開されている。
・1906年のサンフランシスコ大地震から、幸徳秋水は無政府的共産制の像をとらえる。
・1913年、社会主義者で平和主義者であったSF作家ウェルズが「解放された世界」において、「原子爆弾」「原子力」という語をつくりだした。
・1920年、レーニンはウェルズと会談をしたあと、「共産主義とは、ソヴェト権力プラス全国の電化である」と宣言する。
・1920年、岩下孤舟が評論「世界の最大秘密」(「新青年」8号掲載)でウェルズに言及しつつ「原子力」「原子爆弾」「原子的家庭」について肯定的に述べられる。
・1922年に共産党が結党されるが、1923年の関東大震災において共産党が非難され壊滅的となる。
・1926年、トロツキーは「無線、科学、技術、社会」のなかでウェルズに言及しまた「放射能」や「原子内のエネルギーの解放」についてもふれている。
・1927年、海野十三が小説「放送された遺言」で原子力を批判的にとらえる。
・1930年前後には第二次共産党が活動する。彼らは「反戦平和」を目指すが、弾圧と転向で再び壊滅する。
・1941年北村小松は「火」(「毎日小学生新聞」連載)に「マッチ箱一つで富士山が吹き飛ぶ」と書く。
・1941年ソ連「プラウダ」(10月13日)でも原爆への言及があった。
・1944年立川賢は「桑港消し飛ぶ」(「新青年」7月号)は、ウランを遣った原爆や原子力エンジンの飛行機を小説に登場させている。
・1945年1月8日、湯川秀樹の名前で「科学者新春の夢」(「朝日新聞」)として「華府(ワシントン)を吹飛ばす、洞窟から謎の放射線」と書かれている。
(こうした「放射線攻撃」がそう簡単にできるわけがないことは湯川であれば分かっていたことであるから、この文面はおそらく朝日新聞側で用意したものと推測される、)
***
・1945年、「科学朝日」(7月号)は「ウラニウム原子爆弾」を紹介する。また、「原子エネルギーの利用――平和構築のために」(9月号)、「原子爆弾の副産物」「原子機関車登場か」(11月号)と戦後には、ただちに「原子力」をとりあげている。
・・・ここから戦後に論は移るが、都合により明日に続きを書く。
日本の社会主義――原爆反対・原発推進の論理
加藤哲郎
岩波現代全書
2013年12月
ひとこと感想
「3.11」を反省し、きめの細かい文献踏査のうえで、「社会主義」が生み出してきた「原発幻想」の生成から展開までをたどる真摯な試み。
*注 以下「日本社会党」「日本共産党」はそれぞれ「社会党」「共産党」と略記する。まとめて述べるときには「社共」、さらには「日本の左翼」という言い方もする。
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本書の目的は、以下のように説明されている。
「日本社会主義の軌跡を、近代化・経済成長と原子力をめぐる問題、原爆と原発をめぐる平和の問題をどのようにとらえてきたのかという観点から追いかけていく。高木仁三郎が自然科学の立場から「原子力神話」を解体していったように、社会科学の立場から、「社会主義・共産主義の神話」と「原子力の平和利用神話」が結びついていたのではと考え、フクシマ以後に社会科学は何ができるかを考えていく。」(viiiページ)
対象とする時期は、本書の前半(1-3章)が戦前、後半(4-8章)が戦後となっている。
また、序章では、「非核平和都市」が「反原爆」でありながらこれまで「原発推進」と併存してきたのが、3.11以降は「反原発」をも内包しはじめたという考察を行っている。
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ひとことで言えば、日本の「左翼」は、平和主義において一貫していたが、同時に、原発推進においても一貫していた、ということである。
戦前については、以下のような内容が展開されている。
・1906年のサンフランシスコ大地震から、幸徳秋水は無政府的共産制の像をとらえる。
・1913年、社会主義者で平和主義者であったSF作家ウェルズが「解放された世界」において、「原子爆弾」「原子力」という語をつくりだした。
・1920年、レーニンはウェルズと会談をしたあと、「共産主義とは、ソヴェト権力プラス全国の電化である」と宣言する。
・1920年、岩下孤舟が評論「世界の最大秘密」(「新青年」8号掲載)でウェルズに言及しつつ「原子力」「原子爆弾」「原子的家庭」について肯定的に述べられる。
・1922年に共産党が結党されるが、1923年の関東大震災において共産党が非難され壊滅的となる。
・1926年、トロツキーは「無線、科学、技術、社会」のなかでウェルズに言及しまた「放射能」や「原子内のエネルギーの解放」についてもふれている。
・1927年、海野十三が小説「放送された遺言」で原子力を批判的にとらえる。
・1930年前後には第二次共産党が活動する。彼らは「反戦平和」を目指すが、弾圧と転向で再び壊滅する。
・1941年北村小松は「火」(「毎日小学生新聞」連載)に「マッチ箱一つで富士山が吹き飛ぶ」と書く。
・1941年ソ連「プラウダ」(10月13日)でも原爆への言及があった。
・1944年立川賢は「桑港消し飛ぶ」(「新青年」7月号)は、ウランを遣った原爆や原子力エンジンの飛行機を小説に登場させている。
・1945年1月8日、湯川秀樹の名前で「科学者新春の夢」(「朝日新聞」)として「華府(ワシントン)を吹飛ばす、洞窟から謎の放射線」と書かれている。
(こうした「放射線攻撃」がそう簡単にできるわけがないことは湯川であれば分かっていたことであるから、この文面はおそらく朝日新聞側で用意したものと推測される、)
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・1945年、「科学朝日」(7月号)は「ウラニウム原子爆弾」を紹介する。また、「原子エネルギーの利用――平和構築のために」(9月号)、「原子爆弾の副産物」「原子機関車登場か」(11月号)と戦後には、ただちに「原子力」をとりあげている。
・・・ここから戦後に論は移るが、都合により明日に続きを書く。
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