やっとお初です柳家喬太郎。 | この辺りの見所の者

この辺りの見所の者

気ままなブログです。

実家から高速バスで2時間。終点のバス停から秋田市民文化会館は目と鼻の先である。
柳家喬太郎師匠の高座に行くのは実はお初です。何故か縁が今までなかった。昔、スワの結成当時から名前は知っていたし、何故行かなかったのか不思議でしょうがない。当時は新作派には興味が無かったからかもしれない。
秋田での独演会。市民文化会館の小ホールは初めて行く。
写真は仲入り休憩の時。なんか鈴本演芸場を少し大きくした感じかな。

柳家喬太郎/松竹梅→同棲したい
仲入り
柳家喬太郎/本郷刀屋

かなり久しぶりに松竹梅の噺を聴いた。喬太郎師匠のナマを聴いて、なんか他の落語家と違うなあ。なんだろな、落語家っぽい癖があんまり無い気がする。意外に淡々とした口調。でも心地よい。江戸時代の噺が落語のベースなんだけど、喬太郎師匠の高座は古典演芸っぽくない。時間軸を江戸時代に戻すというより、現代の役者の空気感で江戸時代を演じているような気がした。
モダンなんだな。噺の時代設定と髷だけを江戸時代から借りて、現代の空気で落語をしている。

松竹梅から、新作の同棲したいへ。マクラが長く旬の話を織り交ぜて、小三治師匠並みのマクラの長さ。落語家のマクラというよりもフリートークを聴いている感じ。落語家のアクセントを意識しているかしてないかわからないけど、つけないようにしているような気がした。
同棲したいも、作品として小劇場の舞台での一人芝居を落語に置き換えたようなモダンさ。神田川の世界を初老の夫が妻や子供を巻き込んで無理矢理再現しようという筋なんだけど、無理矢理ファンタジーディフォルメでなく、文学を落語にしたかのよう。あまり、今まで自分が観たこと無い落語家。

仲入り休憩の後に、圓朝作、牡丹灯籠の序となる本郷刀屋。昔、湯島天神参集殿で柳亭小燕枝師匠の高座を聴いた。

喬太郎師匠の刀屋の酔っ払いの浪人、黒川孝蔵の卑屈な笑みと凄味。会場がシーンとなり固唾を飲んでいる。顔の微妙な表情の変化のみで無駄な動きが無い。場面の空間を変えるんだよね。小三治師匠や故 桂米朝師匠なんかと同じ感じ。

でも喬太郎師匠はアクセントは抑えめだ。やっぱモダンだわ。映画に出たり、マルチな活動をしているみたいで、まだそっちは見たこと無いんだけど、たぶん、しっくり来るだろうなという予感は既にしている。自分が喬太郎師匠に感じるモダンというのはトガっている感じではなく、俯瞰的な見方でいるのではということ。そして噺との距離感が絶妙であり、こういう所は喬太郎師匠の師匠である柳家さん喬師匠が脳裏に浮かぶ。

しかし、落語を聴きに行こうではなく柳家喬太郎を聴きに行こうという感じになるのは何故だろう。やはりモダンなんだな。

お初は、癖が無いのにクセになる。そういうことです。

【追記】古今亭志ん朝師匠の高座を1日経ってから思い出したのは何故だろう。喬太郎師匠の高座と重なった。