↑のつづき。
さて、山口県防府市を巡った翌日は、
拠点の博多から熊本市へと移動した。
はじめての熊本県。
熊本は『火の国』だ。
順調に仕事をこなし、
お昼休憩に近くの神社にも参拝した。

むこうに熊本城が見えた。



『北岡神社』にたどり着いた。

この神社の一番の見所は、
御神木である1対のクスノキ。
なんと樹齢約1000年❗
北岡神社がこの地に遷座され、
北岡の森に自生していた一対の楠の大木に
御神霊が宿ったといわれている。


めちゃくちゃカッコ良い御神木。


石段の途中に境内社『久末神社』。
祭神
健磐龍命 菅原道眞公 宇迦之御魂大神
熊本と言えば、肥(火)の国。
そして阿蘇山。
健磐龍命は別名『阿蘇神』とも云われ、
神八井耳命の御子神。
つまり、神武天皇の孫である。
他ではあまり見かけない。
一方で、肥後国風土記によると、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
景行天皇がこの地を巡行している時、
原野は広く見渡せるが人や物がなく、
「この国に人はいるのだろうか」
と嘆いたところ、
二柱の神が人になって現れて
「我々二柱の神、阿蘇都彦・阿蘇都媛がいる。
どうして人がいないということがあろうか」
と言い、そのまま姿が見えなくなった。
そのことから『阿蘇郡』と名付けられた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
と記されている。
なんとも不思議な話だ。
そして、健磐龍命と言えば、
日の宮『幣立神宮』を創健した人物。
幣立神宮は
すごく重要な神社のはずだが、
延喜式内社に記載のない不思議。
元々は、現在までつづく天皇家とは
異なる歴史を持つ宮とも解釈できる。
幣立神宮には「五色人」の伝承や
「15000年の歴史」などの逸話もあるが、
そもそも7300年ほど前に
鬼界カルデラの大噴火で
この地は一度壊滅しているはずだ。
ほんと謎(笑)

ここの狛犬大好き。
表情が良い。


楼門。


手水舎。


拝殿。
肥後國総鎮護
『北岡神社』
鎮座地 熊本市西区春日
創健 承平四年(934年)
別名 祇園社
祭神 健速須盞嗚尊 奇稲田姫命 八柱御子神
北岡神社HPの由緒引用↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
当神社は承平四年(934)
第六十一代朱雀天皇の御代に、
武勇名高い藤原保昌が肥後国司として
下向された際、凶徒の叛乱と疫病の流行を
鎮めるために京都の祇園社(八坂神社)の
御分霊を勧請し、飽託郡湯原(現二本木五丁目)
に府中の鎮護として創建されたのが
始まりとされ、当地でも祇園社、
祇園宮と尊称されていました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『宝珠の大楠』。


『御本社 壱之神輿』。

『歯固め石』。

『舞殿』。
神様に奉納する能や神楽は
こちらでおこなわれる。

境内社『宮地嶽神社』。
祭神 息長足比売命(神功皇后)
勝村大神(藤之高麿)
勝頼大神(藤之助麿)
「光の道」で有名な福岡県福津市の
宮地嶽神社から勧請したのだろう。

境内社『菅原神社』。
祭神 菅原道真公

境内社『新宮神社』。
祭神 伊弉冉尊(イザナミ)
熊野新宮から勧請。

境内社『稲荷神社』。
祭神 宇迦之御魂大神

境内社『護町神社』。
祭神 事代主神 比売神
1087年に勧請されたが、勧請元は不明。
個人的には一番気になった。
事代主とともに祀られる比売神ならば、
阿波の女神の可能性があるからである。



『八坂神社拝所』。

拝所から529.81km先に
八坂神社がある。


境内摂社
右が『京国司神社』
祭神 藤原保昌御霊・比売神
左が『厄神社』
祭神 蘇民御霊(蘇民将来)

境内末社。
右から
『久末荒神社』 祭神 荒神大神
『阿蘇神社』 祭神 健磐龍命 比売神
『国造神社』 祭神 遅男江神 比売神
遅男江神(そおえのかみ)は知らなかった。
国造本紀では、神八井耳命の後裔
志貴多奈彦命の子『遅男江命』が、
第10代崇神朝に火国造に任じられたとある。
また、健磐龍命を火国造の祖とする説もある。
『火の国』熊本の開拓者というわけだ。
日本書紀では、
火国別造の始祖は
第12代景行天皇と襲武媛の子の
豊戸別皇子とされている。
神武期⇒崇神期⇒景行期と
段階的に統治していったということだろうか。

横から本殿。





やっぱりこの狛犬好き。

御神木の存在感がハンパない
凄い神社でした。

『西郷隆盛本営跡』。
興味深いでゴワス。

熊本駅からも徒歩10分程度。
おすすめでゴワス。
つづく。
ではまた❗

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