↑のつづき。
さて、元諏訪を後にしたワタシは、再びディーゼル車に乗る。
見た目は電車だが、動力源は電気ではないのだ。
下浦駅から一駅、石井駅で下車。
そこから徒歩5分。
『大御和神社』である。
「おおみわ」ですよ皆さん❗
本殿の石垣には阿波の青石が用いられているらしい。
青石ってなんか良い。
斜め後ろから本殿。
ん? 千木は女千木?
なぜだ。
本殿の裏にはウサギさん。
まるで出雲大社のようだ。
奈良の大神神社の例祭である大神祭は、崇神天皇8年の卯の日に始まったとされている。
そのため、大神祭は卯の日神事とも称される。
大神神社の祭神『大物主』と因幡の白兎を助けた『大国主』が同一神と言われることも関係がありそうだ。
そもそも、この二柱は役職名であるため、ある時代には同一神だったことは想像の範疇である。
またいた。
一瞬、「生卵」に見えてしまった🤣
失礼しました。
さて、「おおみわ神社」と言えば、誰もが奈良県桜井市三輪に鎮座する大和国一宮『大神神社』を思い浮かべることだろう。
大神神社のHPによると、
~~~~~~~~~~~~~~~~
当社の創祀に関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。
『古事記』によれば、大物主大神が出雲の大国主神の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀まつられることを望んだとあります。
また、『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。
そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。
この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂として顕現され、三輪山に鎮まられたということです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
また、大物主の子孫(または子)である、
『大田田根子(オオタタネコ)』についても述べなければなるまい。
第十代崇神天皇の時代に、疫病が流行り多くの民が亡くなった。
大和の三輪山の大物主神のお告げにより、大田田根子が大神神社の神主となり、結果として疫病が無くなったという有名な伝承。
大物主のお告げを実行するために、探し出した大田田根子が何処にいたかというと、
●日本書紀
茅渟県(ちぬのあがた)の陶邑(すえむら)。
●古事記
河内の美努(みの)の村。
また、大神神社の御神体『三輪山』は、
記紀では『御諸山(みもろやま)』と呼ばれていた。
しかし、阿波徳島には驚くべき事実が隠されていた。
今回は、勝手に敬愛する『ぐーたら気延日記』さん『awaーotokos blog』さんのブログを参考にさせて頂きます↓
この方々は本当に素晴らしいです。
ワタシの記事より、よっぽどためになりますのでぜひ(笑)。
まず答えから言ってしまうと、
当社『大御和(おおみわ)神社』は、
『大神(おおみわ)神社』の元宮であるということ。
●『三諸山』
徳島県阿波市 土成町宮川内にある御所山であり、「御所」は「御諸」から転訛したもの。
大御和神社は、もともと土成町の『奇玉(くすたま)神社(現在の薬王子神社)」から移されたとの説がある。
※祭神は国作りの際の大国主の相方スクナビコナ
●『崇神天皇』
諱名の御間城尊(ミマキノミコト)の「ミマ」は、
徳島県の「美馬(ミマ)」のこと。
●『倭大国魂神社』 式内社
鎮座地 徳島県美馬市美馬町重清
奈良の『大和坐大国魂神社(大和神社)』、
淡路の『大和大国魂神社』の元宮説がある。
淡路は元々は阿波国の領土。
社名の「坐(います)」とは元々鎮座していた場所では用いられず、「ここにやってきました」という意味なのだそうな。
「倭(ヤマト、イ)」と「大和(オオヤマト)」は明確に分けられていた。
「倭の国(阿波)」から現在の奈良に遷都し、
国を大きくしていき「大和(オオヤマト)」になった。
「倭(イ)」四国の東半分 西はヨの国
↓
「委(ワ)」(ヤマト)阿波徳島にはアワ国とナガ国
↓
「大委(ダイワ)」(オオヤマト) 奈良に遷都
↓
「大和(ダイワ)」
↓
「大和(ヤマト)」 当て字。
↓
「日本」 中国側の邪馬壹國の字を嫌い改名。
↓の風土記には様々な風土記がまとめて記載されており、『阿波国風土記』も少しだけ載っているのだが、、
驚くべきは、その内容。
「天より天降ってきた山の大きな方が、阿波の国に天降ってきた「天の元山」。
その山の一部が砕けて大和の国に降り付いたものが「天の香具山」である…
と、記載されている。
つまり、奈良の「天の香具山」の元は、阿波にあるということ。
このように、阿波国発祥の地名が大和国に多くのこされている。
※徳島の神山町には「元山」といわれる場所がある。詳細はまたの機会に。
●『大田田根子(オオタタネコ)』意富多々泥古
大田田根子の居た「美努(みの)の村」とは、
現在の徳島県三好市三野町のこと。
また、現在のつるぎ町には、太田村という地名があった。
鎮座地 徳島県吉野川市川島町桑村
祭神 伊加賀色許売命 伊加賀色許雄命
当社の祭神は兄妹
父 大綜麻杵命(オオヘソキ) 物部連の祖
母 高屋阿波良姫
伊加賀色許売命(イカガシコメ)は、
第8代孝元天皇の妃、第9代開化天皇の皇后。
そして、崇神天皇(ミマキイリヒコ) の母である。
伊加賀色許売命が祀られている神社は、知る限りでは全国に一社、徳島県のみ。
伊加賀色許売命は『伊香色謎命』とも書き、まさに「謎」多き人物だが、徳島の史蹟を調べると、あれよあれよと人物像が浮かび上がる。
付近には、四国八十八か所霊場第16番札所の観音寺がある。
境内には阿波国総社も。
さてさて、なんともワクワク溢れる徳島の神社さんである。
そういえば、出張の合間の神社巡りシリーズを始めたばかりのころ、尾張一宮の大神神社に参拝した。
ふと、思った。
現在、全国に鎮座する「一の宮(現在の)」の多くが、阿波徳島に関わってくるのではなかろうか…と。
中々興味深い課題。引き続き調べよう。
今回の記事をシンプルにまとめると、
阿波にいた天皇が、
阿波にいたオオタタネコを、
阿波のオオミワ神社の神官にしたら、
阿波の疫病がおさまった。
(そして、その話を阿波から大和(奈良)へ帝都を移したのと同時に、神社や地名も移した)。
これが本当なら衝撃の事実である。
(徳島県民でもなんでもないワタシでも信じてしまいますがね)
そして、次に参拝した神社で、ワタシは更なる衝撃を受けたのだった。
つづく。
ではまた❗
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