2023年7月10日。
その日が私の命日になるはずでした。
結果からすると、私は命を自ら断つことに失敗したのです。
ライフライン、クレカ、スマホの契約をすべて解約、有価証券も全て売却し、愛車も売却。
残った財産の処分も決めて、関係各所にメッセージを郵送または宅急便で送り、冷蔵庫を空にし、自宅の荷物を全てまとめました。
いざ実行というところ、一度意識を失ったら、普通はそのまま戻ってこないのですが・・・
気付いたら私は地面に倒れていました。
通りかかった誰かが救出してくれたのか、無意識に自分で脱出したのかはわかりません。
喘鳴するほど息が苦しく、体中に痛みが走る。
声が出せず、手足もいうことをきかない。
天地が回るくらいに視界が歪み、汗が噴き出す。
時間的に人が通らない場所。
どうにもできないまま、体が落ち着くまでしばらくそのまま休んでいると、夜が明けてきました。
喜びも、悲しみも、痛みも、怒りも、全てその日で終わるはずでした。
なのに、私は生還してしまいました。
なぜそうなったのか、思い当たる節があります。
私は幼少のころから、命の危険が迫った時に、何か不思議な力が働いて無傷無病で済んだことが何度かありました。
私の意志とは関係なく発動するその力は、自分で死を選んだ時も働くようです。
うまく説明できませんが、私は今回を含めその力に命を救われてきたのです。
さすがに今回は全くの無傷というわけにいきませんでしたが、当時くっきりと付いてしまった痕跡は、2週間後には消えて元通りになりました。
死ぬのは怖くなかったはずなのに、体が脳の指令を拒否して、勝手に動いたのかもしれません。
いずれにせよ、その不思議な力を思い出して本懐を遂げられないと悟った私は、以後の人生が死ぬより苦しくても、生き抜こうと決意しました。
でも・・・本気で死のうとしたときの痛みと苦しみは、忘れないと思います。
想いの果てに命を投げ捨てた以前の私は、あの時に死んだのでしょう。
ただ、時間の長短はわからないものの、一度完全に意識を失ったにも関わらず、何の障害も残らないまま生還したということには、きっと何か意味があるのでしょう。
確かに私のもとからは、全ての人が去りました。
情とは打算のないものと思っている私は、お金で繋がる関係の人たちを信用していません。
損得で関わる人と付き合うなら、いっそのこと一人でいたほうがいいです。
そんな私のことを必要としている人や、待っている人たちがいるかもしれません。
たとえ生きることが全て苦しみであっても、一人なら自分自身を愛しぬいて生きていこうと決めました。
ですから、もう二度と死のうとはしません。
すべてをここから、やり直します。
あの日に起こった出来事を思いながら。