小林先生が知っている膵がんの男性は、
「どんなに強い副作用があっても
頑張りますから、開発間もない
その抗がん剤を是非使って欲しい。」
と医師に頼みました。
その結果、
残念ながら強い副作用に苦しみながら
旅立って逝かれたそうです。
薬は絶対効くと信じ、
がんと「対決」したんですね。
」(転記させていただき、
若干フォントを変えさせていただきました。)
例2
「
別の患者さんで、
進行肺がんと「対話」しながら
充分達観しておられた方がいました。
先生からは少なくても
そのように見えたそうです。
お坊さんだったそうですが、ある日突然
「先生、私どうしても治りたい、
死にたくない。」
とおっしゃったそうです。
ビックリされたそうですが、
恐らく心の中で
生への執着を取り除くことが出来ずに
激しい葛藤に
悩んでおられたのだと思います。
」(転記させていただき、
若干フォントを変えさせていただきました。)
例3
「
ある卵巣がんの方は
「絶対この抗がん剤を使ってほしい。」
と特定の薬を希望されたそうです。
医師はこの患者さんに抗がん剤は無理、
というよりもはややるべきではない
と考えていたそうですが、
どうしてもという強い要望で、
家族と相談の上で
薬を10分の1ぐらいに薄めて使用
したそうです。
なので副作用はありません。
患者さんは希望の薬が使われている事を
確かめ、
これで自分のがんは治るんだと
安堵しながら目を閉じました。
がんとの「対決」
に見せかけた
実際は「対話」だったのです。
」(転記させていただき、
若干フォントを変えさせていただきました。)
「
がんと「対決する」とか、
あるいは仲良く「対話する」とか、
がんとの闘い方は色々ですが、
所詮
患者さんご自身が決める事
です。
でも、がんとの
「対決」と「対話」
をはっきり区別できるものではありません。
対決のなかに対話、
対話の中にも対決の心が同居するのです。
」(転記させていただき、一部、私のブログの
共感色のパープルを付けさせていただき、
フォントも若干変えさせていただきました。)
まさに、仰る通りだと思います。
その時々の、身体や心の状況によっても
周りの出来事によっても
揺れますよね。
気付いたり、深まったり、戻ったり。
「
「老いと
がんによる旅立ちの準備」
多くの方に当然予想される事ですが、
不治のがんを告知されると、
パニックになって
思いがけないことをしてしまう方が
今までの沢山いらっしゃったそうです。
(中略
思いがけないことをしてしまう例は
メリーさんの記事を直接ご覧ください)
共感色のパープルを付けさせていただき、
フォントも若干変えさせていただきました。)
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