無再発生存期間の起点は手術日? 受けた医療に感謝! | HER2タイプ乳癌ステージ3C 経過観察中シングルマザー

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※緑字追記(12/9 8:00追記)

ご訪問ありがとうございます。

もうすぐ、術後5年を迎えることに、
先日気付きました。

  ➡ 間違えました、4年でした^_^;

先日の主治医診療の時には、
思いっ切り忘れていたのですが

(昨年の肋骨の影の観察2回➡OKで、
 次に何も映ってなかったら、検査頻度を
 半年に1回に減らそうって思った矢先に
 肺の影が映ったり、
 ほぼ同時に健診で心電図が引っ掛かったり
   ~ハーセプチンや抗がん剤が使えるかどうかが
      掛かっているから、重要だったのです、
      臨床試験の参加条件にも入っているだろうし~

 先日の血液検査の結果までは
 そちらの検査で少々ナーバスでもあり、

   ※最近、本当に並行処理、並行記憶
     驚異的に落ちている😢

     自分で気付けたらアルツハイマーじゃない、と
     神経内科の先生は仰っていたので、
     大丈夫だと思うけど、衰退の進み具合がヤバし😢😢

 年1回の術後×年定期検査を入れるのも
 忘れていました。毎年忘れがちだけど… )


術後5年なんだなぁって。

  (また、これを書いていると、何か別の影が
   映りそうな、今年の二の舞の、
   予感がしなくもないが^_^;)

 ➡ 間違えました、4年でした^_^;


がん生存率統計の起点は診断日だったと
記憶していますが、合ってます?

合っていれば、5年生存率には貢献
しましたね。

  ➡ 1年勘違いしました
       まだ、診断日からも4年半年でした^_^;
       自分の体内でしこりがぐんぐん
       大きくなった、
          (でも、そんなこと忘れているくらい、娘が、
            そして仕事も大変だった、別地に仮住いした、
            あの悪夢のような年から5年経ったってこと
            を思い出していて、そのまま何だか5年って
            間違えてしまいました…)
       乳頭からの出血に気付いた頃からも
       もうすぐ5年ではあるけれど
       診断日まではあと半年ありますね^_^;

5年DFS(無病生存)期間
5年RFS(無再発生存)期間の起点は、

手術日だったと記憶していますが、
合ってます?

それとも、治療開始日
(私の場合、術前化学療法開始日)
なんだろうか?

はたまた、
治療終了日
(私の場合、術後ハーセプチン終了日)
なんだろうか?

乳癌の場合、10年無再発生存率で
完治を判断するのだと思いますが、

   ※医学、医療統計上ということで、
     10年過ぎてから再発転移する方も、
     「例外」というよりは多くいらっしゃり、
     ブログでも結構、お見かけしますよね。
     元々ホルモン陰性だった方の10年越え再発の方には
     まだ出会ったことはありません。

ステージ3、特にステージ3Cだと
5年無再発率が一気に落ちている数値も
見かけるから、

※HER2タイプ、ステージ3Cの5年無再発率
  が上がっているのは
  ハーセプチンのおかげ。画期的ですよね。

術後5年4年
無再発転移で過ごせてきたのは、
やはり、ハーセプチン(正確には+活性化自己
リンパ球、プラセボ効果かもしれないけど、、)
が、じんわり効いてくれたのだろうし、

放射線治療も効いてくれたのだろうし、

ステージ3Cまで進行させてしまった
HER2タイプという進行の速い乳癌で、

診断、即、治療開始して受けることの出来た
西洋医学の三大治療
・術前化学療法
     (FEC
      ドセ+ハーセプチン効きは悪かったけど~)
手術
・術後化学療法
    (ハーセプチン。術前と合わせて1年)

 (+免疫細胞療法⬅お勧めするわけではありません)

に感謝していますビックリマーク


これを書いて直ぐに再発転移したとしても
その感謝は、何ら変わることはない、

それが、私が転移することを受け止めた
   (転移しないと思えたことがない、
     再発転移そのものへの不安じゃなくて
     再発転移後の仕事継続とか、がん疼痛などへの
     不安かな、それも緩和医療があるから、
     対処を考えて安心する性分なのです、、)

というか、
「医療の限界」を受け止めた、
というか、
「根治=癌を無くすこと」を諦めた
というか、
「共存」を受け止めた、受け入れた

それを通り過ぎてきて得られた
感覚、心境なのだと思います。

全てが癌に罹患した後の経過の流れの中の
一環というのかな、
癌を抱えて生きている
  (体内に残っているかどうかは
   分からないけど。神のみぞ知る領域)
過程というのかな、


主治医に初診療でお願いし、
 (お願いされても困っちゃうだろうけど)
最善を尽くしていただいて、

「何とか5年は生きたいんです。
   よろしくお願いしますm(_ _)m」

を叶えていただいた

よかったぁ、次の診療で主治医に
     「叶えていただいて」と言い切ったお礼を言う
       前に気付いて爆笑
           曜日や日にちを1日勘違いする物忘れの症状は
           確かカルテにも打ち込んでいたし
           いつものことだと驚きもしないかな?
           しかし手術日からの経過年数間違いは
           執刀医=乳腺外科医の主治医に失礼よね…
     私の中では、今転移しても5年生存は見えたね、
     と思っているから、気持ち的には同じですけど、
     その言葉は来年というか2020年初に取っておこう…

  (希望も控えめだったわよね、
   きっと皆さんに比べると。
   でも、HER2タイプ、ステージ3C
   厳しい状況ではありましたから、
   控えめとも言い切れないかな…)

     ⬇以下は、
        4年であろうが5年であろうが
        今までも、これからも
        変わらぬ気持ちです


主治医他、巡り会えた先生方、
病院の全てのスタッフの皆様、

そして、

ハーセプチン(やFEC)の開発・製造・販売
に至るまでにご尽力下さった、
臨床試験参加者も含めた、
全ての方々に、

そして、
「今ある」医療に感謝
していますビックリマーク

さらに、みんなが癌を抱えながらも
自分らしく生き続けることができますよう、
医学、医療の「進歩」に期待
しますビックリマーク


※以下は細かいですが、私の場合、
    (こういう思考回路なので、私…)

◼まず、手術で原発巣を切除できたこと
   に大感謝❗しています。

そして、
◆リンパ節がpCRしていたと仮定すると、

FECでcCRはしていたから、
    FECでpCRしていた可能性もある

放射線治療まで含めてpCRした
    可能性もある

◆リンパ節がpCRしておらず、
  そこから癌細胞が流れ続けていた
  と仮定し、

⬇リンパ節行方不明問題は、私の心に与えた
    精神的なインパクトは大きかったけれど

    (医療不信、医師不信が患者にとっては
      最も怖い。だから医師、医療への信頼が
      最も大切、って書き続けてきたのです)

    癌の状況という意味では、どのみち、
    脈管侵襲高度の原発巣は、
    明らかに残っていたから、
    抗がん剤効果=中等度で…。

◼原発巣の遺残癌からリンパ管や静脈に
  流れ続けていた癌細胞と合わせて

◆微小転移が撲滅できていると仮定すると

・ハーセプチン(+活性化自己リンパ球)
   のおかげですし、

◆微小転移を撲滅しきれていなくて、
  将来、目に見える大きさになって
  再発転移するとしても、

「患者集団」の臨床試験結果や臨床研究の
統計からすると、
再発転移を先送りしていただいた、
生存期間を延長していただいた、

有り難い医療だった、と思っています。

ーーー

5年➡娘が大学に入学するまで
に希望を延長、、。


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