前回述べた通りフランスは1956年に起きたスエズ危機の結果、核武装を決断します。
私が最初にスエズ危機のことを知ったのはアメリカの元国務長官ヘンリー・キッシンジャーの『外交』を読んだ時でした。
その時に抱いた感想は、この事件は日本が起こした満州事変にそっくりじゃないかというものでした。
第2次大戦後、中東地域においてアラブ・ナショナリズムが高まり、エジプトにおいてカリスマ性を持ったナセルというリーダーが出現します。
この地域は以前はオスマン・トルコが支配していたのですが、第一次世界大戦でその帝国が崩壊し、戦勝国であるイギリスとフランスがその地域の帝国主義的な利権を分け合う形で持っていました。
その最たるものが、スエズ運河で一応エジプトが保有しているものの実際の運営は英仏が保有する株式会社がおこなっていたのです。
これを戦前の中国情勢と比較してみます。
1920年代に中国において中国国民のナショナリズムが高まり、それを背景にカリスマのある国民党の蒋介石が登場し、日本や欧米の持っている帝国主義的な利権を回収しようと「革命外交」を起こし、満州において満洲鉄道という戦略的な利権を持っている日本がどのように対応するのか、という局面と極めて似ているのでした。
この時に、英仏が行ったのは、どうにかアラブ・ナショナリズムを鎮めようと、アスワン・ダムの建設のために巨額の融資を行おうというものでした。
これは、中国のナショナリズムにできるだけ寄り添おうとした幣原外交を彷彿させるものだったのですが、どちらも相手のナショナリズムを高揚させる結果に終わったのでした。
そして、いよいよエジプトのナセル大統領はスエズ運河の国有化を宣言するのです。
この時に至って、英仏が帝国主義の時代は終わったのだからと何もしなかったら、戦前に満州事変を起こした日本はしっかりとさらなる反省をしなければならなかったでしょう。
ところが、英仏はなんとイスラエルを誘って、シナイ半島を制圧しようと出兵してしまったのです。
満州事変から25年経った後の出来事でした。