昨日の記事に関連して考えたこと。現在の政策と将来の政策が異なる場合、いろいろ慎重に表現しないと、そのうち問題が起きるということである。
かつてのことで言うと自衛隊政策だ。
十数年前まで、共産党の考え方は、当面は自衛隊を廃止するというものだった。しかし独立国家が軍隊を保持しないことはあり得ないという見地は確固としたものだったので(そこが社会党と違っていた)、将来的には自衛のための組織は不可欠だと考えていた。
当面自衛隊を廃止する理由は、以上のことから自明であるが、軍隊一般を否定する立場からのものではなかった。現在の自衛隊がアメリカに従属していて独立国家にふさわしくないとか、連立を組むと予定されていた社会党が憲法9条改定に消極的なのでとりあえずはその一致点を大切にするとか、別の立場からのものだったのだ。
しかし、自衛隊を廃止するという当面の政策が何十年も続き、「赤旗」にも自衛隊を批判する記事しか載らない間に、そういう慎重さはなくなる。軍隊そのものが平和の対立物であるかのように描かれて、共産党員も支持者の多くもそう捉えるようになるわけだ。
その結果(だけではないが)、党員の常識に沿って21世紀になって政策転換が行われ、当面自衛隊を廃止するだけでなく、将来にわたって軍隊を持たないというのが基本政策となる。けれども、それでは自衛隊が必要だという国民常識と完全に乖離しているので、そこをどう乗り越えるのかに苦しみ続けることになったわけである。
原発問題でもそれが再来するのではないか。
「原発ゼロ」という共産党の現在の政策は、共産党の将来の立場からすると、少しズレがある。より厳密にいうと、「資本主義のもとでの原発ゼロ」か、もっと縮めて言うと「商業用原発ゼロ」ということになろう。科学の見地からすると、放射線治療なども含め、原子力の有用性を全否定することはできないからだ。
ところが、共産党の将来の政策が表明されるのは、志位さんの「毎日新聞」での表明であったり、不破さんの本の中だけである。党員や支持者が毎日読む「赤旗」にはそういう立場が載らない。
また、時々の共産党の政策においても、当然、将来の政策は触れられない。それだけでなく、「原発と人類は共存できない」(2017年の総選挙政策)と、将来にわたって「原発ゼロ」なのかと誰もが思うような表現が使われる。正確には「資本主義のもとでは原発と人類は共存できない」とか「商業用原発と人類は共存できない」なのに、そういう慎重さは見られない。
この結果、何十年か先には、どんな原子力も人類と共存できないというのが党員や支持者の常識になって、その立場から政策転換が行われることになるのかもしれない。それはどういう結果をもたらしていくのだろうか。