リベラル | 評議会のブログ

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ニッポンでは、「保守」「リベラル」と言うて、アホなニッポン勝共や世界日報、ニッポン統一教徒系は、リベラル=左=悪と、自分らの罪悪を隠す隠れ蓑のように思想武装してる。

「リベラル」とは、そもそもどういう概念なんやろか?  それはキリスト教の宗教改革に起源があんねん。

16世紀の宗教改革以降、カトリックとプロテスタントの対立で、ヨーロッパは二分された。両者の価値観をめぐる対立から、30年戦争が起きたわけや。その末に1648年、ウェストファリア条約が結ばれた。

価値観の対立から血で血を洗う30年戦争になった教訓から「リベラル」が生まれたっちゅうことや。戦わないための秩序が作られ、「リベラル」が生まれた概念や。

価値の問題で争ってると、血で血を洗う悲惨なことになるから、互いに相手の価値観に寛容になり、自分自身の自由、とりわけ内面的な価値観については権力から干渉されない言う考え方や。つまり、「リベラル」の基本は「寛容」と「自由」がセットなってんねん。

やはり、キリスト教を地盤にしてる。キリスト教の地盤がないニッポンは、現状の表面だけの欧米をサル真似してるだけや。

共産主義もキリスト教の地盤から生まれた負の産物や。あらゆる面でキリスト教の負の産物との流れがある中で、キリスト教地盤のないニッポンは、負の産物を嫌悪するんもサル真似してる。

韓國の負の産物を見て罵る分でも、キリスト教の流れからくる負の産物には無知寛容になっては、欧米風サル真似を正当化する。それが世界観とばかり、表面だけに固執し、本質がなんらわからずともサル真似しては、ポチのように米国の犬にもなる。

犬猿を演じれるニッポンは、内包された矛盾のまま生きてる。

立憲民主党の枝野は、自分らを「保守」でもあり、「リベラル」でもあると言うた。ニッポンの嫌韓右翼風潮からすれば、そんなんはマヤカシであり、矛盾したもんやと言う。

果たして、そうやろか?  上述の「リベラル」概念からすれば、決して矛盾とは言い切れへん。

まあ、アホなニッポン統一教徒系の奴らは、矛盾を感じてるやろ。別にこいつらもニワカキリスト教であって、地は反キリスト霊性から生じた悪魔の犬であり、サル真似する悪霊のエテ公や。

 

 

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