「学生大会」というコンセプトは存在しない | マリアのディベートブログ

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元AIUDSのマリアです。投稿は不定期です。

こんにちは。マリアです。

 

前提としてこれは特定の人物や団体の人格を否定するものではなく、個人の解釈で学生大会とその参加資格についていただいた指摘に対しての見解をまとめたものです。あんぱんのノートにも触れる点はありますがこのブログは「学生の定義」についてではなく「学生大会とはどういうコンセプトなのか」という点をメインに書きます。

 

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1. 学生大会は「敷居が低い」大会であるべきなのか

2. なぜ(少なくともJPDUTの)学生大会の学生の定義はWUDCと統一すべきか。

3. オルタナと愚痴

 

 

1. 学生大会は「非ガチ勢の安全圏」の大会というコンセプトであるべきなのか

 

まず大前提ですが、各大会によってコンセプトは変わっていいし大会側に守りたいコンセプトがあるのなら、それは申し込みの段階で表明されているべきです。当然実績のない人用の大会もあるべきですがその目的を「学生大会」という形で実現させるのは効果的ではありませんし(理由2で後述します)秋TやRyosoを「学生大会なのだからオープン大会でブレイクできる人が出場して後輩からブレイク権を奪うのは倫理的に問題がある」という先日頂いたご指摘に基づいて敷居の低さを優先させることは2つの理由からYabaiです。

 

理由1:WUDC直前シーズンのBP大会はWUDC参加者にとって重要

今年はオンラインのため、例外的にWUDCがありませんが「学生大会」のコンセプトについて考えるときにこの超例外的なコンテキストの中で話すのは応用性に欠けるため、普段のBPシーズンの流れを一度思い出してみましょう。

 

ディベートガチ勢の多くはWUDCに向けて秋T、冬T、Ryosoといったブレイク制のBP大会に当然参加をします。ブレイク制のあるOpenのBP大会数は多くなく、この中の学生大会である秋TやRyosoの去年の結果を見てみるとやはりWUDC出場予定者がプライズの多くを占めていますし(秋Tに至ってはGFの全チームにWUDC出場予定者がいたはずです)、これらの学生大会がそもそも「オープン大会は怖いけど学生大会ならいけるかも!」という層のための大会であったという前提は現実とはかけ離れているのではないでしょうか。

 

当然大会時期とブレイク制という形態、ブレイクラウンドからWUDC参加資格のない社会人が排除されていて資格のある現役がWUDC練習としてブレイクラウンドまで行ける点などから推測される参加者層的に一般に大会のレベルが高くなるのは当然でしょう。そのような大会を今になって「学生大会だから」強い人は出るべきでないと言い始めるのは謎(3にも書きますが自分で大会作れよ×大会内のAccessibility 向上の工夫をすべき)であり、コンセプト的に実績保有者を排除するなら来年以降、特に地理的な制限のある関西のWUDC出場チームの練習の機会が大幅に減ってしまうことになりかねません。

 

WUDCに出るような強者より大会に出づらい弱者を優先しろ!という点については2でそもそも学生大会という形態だけでそれが実現できるわけないじゃん関係なくね?というお話でも対応しますが少なくとも例年の主要な学生大会ってそもそもデフォで弱者救済的コンセプトあったっけ?という点を考えていただけたらと思います。


 

理由2:学生であることと大会のレベルって関係なさ過ぎて笑う。

 

これは当たり前ですね。近年しゅんやさんなどの影響でECCの先生方が比較的初心者でありながらオープン大会にチャレンジされることも増えていますし(素晴らしい!!)、オープン大会でも実績を残せている私でも歯が立たないのではないかという高いレベルの高校生もいらっしゃいます。実力と学生であるかは関係ありませんし、論理的に考えるとTGIさんのツイートの通り、社会人になってディベート練習の機会が減っている人に比べて週3+自主練をする現役ガチ勢の方が実力があることも多いでしょう。つまり、別に「学生大会」というシステムをとることが大会のレベル調整をする上で本当に有効なのかという点には懐疑的になるべきなのです。オープン大会のFTHNのレベルよりは秋Tの方がレベルが高かったですし、オーストラルズやにゃおも学生大会なのでひとまとめにするには無理がありすぎます。実績を制限する新手の大会ができればそれは素晴らしいと思いますが、少なくとも「学生大会」の枠組みからは外れるでしょう。

 

では、Twitter上で指摘があったディベート以外のソフトな点についてみていきましょう。

 

A. 実力にかかわらず年上の圧が怖い人もいる

B. 同年代でわちゃわちゃしたい

 

はい、どうぞ学生大会で同い年見つけてわちゃわちゃしてください。

ただ一点明記しておきたいのは私の大学の後輩にも人生の先輩がたくさんいましたし、いろんな事情で一度社会人を経てから遅れて大学に入ったり、休学や留学を経て社会人でもおかしくない年齢の方もこのコミュニティには一定数いらっしゃいます。

が、一般に学生大会であればそのコンセプトにかかわらず若い年齢層が増えるので交流がしやすいのはいいのではないでしょうか。それが数名年上の参加者が増えることで不可能になるとは考えられにくいでしょう。

 

つまりここまでで言えるのは1. 学生であることと実力は関係ない、2. 学生であること=同い年ではないしその傾向が強いことは別にコンセプトと関係なくない?

ということです。

 

長くなってきましたが続けます。

 

2. なぜ(少なくともJPDUTの)学生大会の学生の定義はWUDCと統一すべきか。

統一されていないとややこしいからです。JPDUからWUDCに出場するチームの特に正規留学生のいるチームはその多くが9月入学8月卒業です。私もコロナでキャンセルされていなかったら8月に卒業しましたがまたWUDCに参加予定でした。その中で秋Tは参加資格あげないから別のチームで出てねっていうのはチーム的に迷惑なうえ、ディベート歴的には既卒でも学生の同期と全く同等なので特にフェアネス的な観点から問題があるともいえないでしょう。実際去年も今年もWUDCの定義に基づいて参加が認められている既卒ディベーターはいるので今それを変えるべきというのは良くわかりません。

 

社会人からの出戻りはどうなるんだ!に関してもWUDCと統一しておけばよいのではないでしょうか。(放送大学に入ってWUDC無限ループはアイデアとしては面白いですが制度上WUDCの参加には回数制限があるので不可能です)

 

3. オルタナ兼愚痴

 

さて、学生大会のコンセプトのディスコースの一部が意味不明すぎて上にまとめさせてもらいましたが、「ディベート非ガチ勢が大会に出づらい」という問題や「オーソリ怖い」という問題自体はその通りだと思います(むしろずっと提唱していた)

これはお節介な意見かもしれませんが、既存の大会のコミや参加者個人に大会直前に言いがかりをつけるだけではなくて、同時に非ガチ勢向けに実績に制限をかけた大会を自ら作ったり(自己申告制にはなりますがレジの時にディベーターCVを提出されるのは難しくないです。梅子でもYale-NUSでも高校ディベート経験者であるかどうか、また言語環境による障壁を考慮した制限をかけましたし、参加権は大会のコンセプトや目指すレベル感に応じて調整しています)、リソースの無い中小の練習を手伝ったり、大会で一緒に組んでみたり、JPDUに規約改正の提言を行ったり、批判だけで終わるのではなくて具体的な解決策や定義を提唱することに費やしたらどうかと思います。

 

また、話はずれますが京大のますべさんがコミ目線でロジ的にオンラインの今出場制限をかけるとやばくなるお話を分かり易くFBに投稿してくださっているので是非そちらもご参照ください。

 

ここ数年でブレイク枠の拡大やStudent Adjの表彰などは増えてきていますしACのメンバーもまだまだ多様性の問題を抱えているものの下級生や地方出身者、非シス男性も大幅に増えてきています。より多くの層がディベートを楽しめるよう、また障壁を少しでも低くできるよう具体的な改革をここ数年で進めてきた方々やそれを制度に反映させてきたコミに対しては尊敬の念を覚えています。

相手に対して否定的なAssersionの投げてよくわからないまま終わるのではなく、新コンセプトの「安心できる」大会実現(東映杯はその点に関して素晴らしかったのではないでしょうか)や参加資格の明確化まで進めてくださると大喜びです。

 

おしまい