こんにちは。
今回は、真の栄光は艱難を経て得られることについて述べます。
新約聖書 マタイによる福音書 十七章一節〜十三節(拙訳)
そして、六日後、イエスは、ペトロ、ヤコブと彼の兄弟ヨハネを連れて、関係者を高い山に導きはる。それから、(イエスは)彼らの前で変貌され、彼の御顔は太陽のように輝き、更に、彼の衣服は光のように白くなった。すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現され、彼(イエス)と話していた。
しかし、ペトロが答えてイエスに言うた。
「主よ、ここに居るんは、我等には素晴らしいです。もしお望みでしたら、ここに幕屋を三つ造りましょう。あんたに一つ、モーセに一つ、エリヤに一つ。」
(ペトロが)未だ話している時、見よ、光の雲が彼らに影を投げた。すると、見よ、雲の中からの声が、
「これは我が最愛の息子で、喜びとしてる者や。彼に聞き従え」と言う。
すると、弟子たちは聞いて平伏し、大層恐れた。
そして、イエスは近寄り、彼らに触れて言わはる。
「立ち上がれ。また、恐れるな。」
しかし、彼らの目を上げたら、イエスだけを除き誰も見ぃひんかった。 彼らが山から下りてる時、イエスは彼ら(弟子たち)に命じて言わはる。
「人の子が死者の中から復活するまで、見たことを誰にも言うな。」
また、彼の弟子たちは彼(イエス)に質問して言う。
「では何故、律法学者たちは、まずエリヤが来る筈と言うのでしょうか。」
しかし、イエスは彼らに答えて言わはる。
「確かに、まずエリヤが来て、すべてを修復するだろう。
しかし、あんた方に言うとく。エリヤは既に来たのに、人々は彼を認識せず、それどころか、人々が望む事を何でも彼にした。かように、人の子もまた、彼ら(人々)から酷く苦しめられることになってる。」
その時、弟子たちは、(イエスが)洗礼者ヨハネのことを彼ら(弟子たち)に話したと理解した。
過去記事「千年王国の真実 後編」で既に説明したとおり、多くの人々はここを軽く読み流しがちな所です。しかし、聖書の他の所ではあまり正確な日数の経過を書くことが少ないのに、ここは敢えて六日とはっきり書かれてることに注目せなあかん。そして、ここの意味は、六日経った後、即ち、七日目の出来事やということを理解する必要がある。これは、前にも説明したとおり、この世の歴史の長さとキリストの再臨及びその後の情景に関する事や。主イエスが父なる神の威厳の光に満ちて天から降って来はる時もかような有様でしょう。詩編九十編四節とペトロの手紙二の三章八節の内容から、「神にとっては千年は一日のよう」やさかい、即ち、「千年×六日=六千年」を意味する。上記聖句の六日も六千年を暗示しており、それは天地創造から始まり、この世の存続期間を示してる。イザヤ書六十五章十七節、六十六章二十二節とペトロの手紙二の三章十三節、黙示録二十一章一節にあるとおり、この天地は当該期間満了と共に滅び、「新しい天と新しい地」という次の世を再創造すると何千年も前から神は予告しはってる。もしこの世が永久不滅で無期限に存続し続けるなら、神は新しい天地(次の世)の再創造について言及しはらへんかったであろう。しかし、実際には、神がこの世を滅ぼして、新たな世を造ると仰せなんやから、真のキリスト者なら腐敗して不法を行う悪人がはびこるこの世やのうて次の世に希望を持つべきや。せやから、この聖書的な事実を無視して、滅ぶことが決まってるこの仮の世にしがみついて虚しく長生きすることだけを考えたり、不当に他人を抑圧して支配する権力を欲したり、贅沢をしたいがために金持ちになることを目指したり、既に金持ちになってる者が慈愛を持たず、相変わらず貧しい人に同情もせず、財産等を分け与えずに自分と自分の身内のためだけに財産を集めたり増やす事に執着したり、この世と世にあるものを愛したらあかんのや。真のキリスト者なら、聖書の教えどおり、この世に執着せず、この世の財産や権力等なんかに関心を持たず、この世と世にあるものを愛さず、神(イエス・キリスト)を愛し、信仰の兄弟を愛し、慈愛ある行いをして生活してる筈や。多数派である世から出た人間はこの逆を行っており、この世にしがみつき、長生きしようと必死になり、健康オタクになったり、人間で最も重要な中身の品性の向上や矯正を軽視して外見という肉体ばかりに拘って整形したり化粧したり不必要な運動や鍛錬等をしたり、体調が悪くなるとすぐに病院に駆け込んで医師や薬にすがったり、快楽の虜になったり、偶像や偽神や占いや偽預言者等に頼ったり、社会的地位や権力を欲したり、資格者でありながら利益のために職業倫理や法に違反して悪事や犯罪を犯したり、金儲けに必死になるあまり倫理的に悪い行いや犯罪を犯してるのが実態で、こないな悪い人間になったらあかん。
ところで、最近は「闇バイト」なんていう奇怪な造語を報道機関がよう垂れ流してる。これも金に目が眩んだ愚か者が引っ掛かる悪い例の一つや。報道によれば、十代の若者が高額報酬に釣られてミャンマー等に海外渡航して外国の犯罪組織に拘束された者も居り、とんでもない頭の悪さ。普通なら、スマホなんか持たせるべきではない年齢です。本人も親もアホなんでしょうね。親の教育が行き届いていない上、未成年自身も劣悪な品性を持つ者であり、青少年の発育に有害な電磁波を発するスマホを買い与え、知らん人とネットを通じて知り合せて犯罪に巻き込ませるんやから。故に、頭が悪い者にネットを触らせるべきではない。なぜなら、心と頭が悪い者は善悪の区別も付かず、関わって良い人とそうでない人との区別も、やってええ事とやったらあかん事の区別もつかへんからや。バカッターと言われた者やYouTubeやTikTok等で愚かな迷惑行為や犯罪となる悪行をし、かつ、その犯行を自ら晒すような善悪の分別が無い者は、ネットを使って他人と接触を持たせるべきではない。普通なら、「そんな楽に稼げる仕事なんてある訳ない。もしそんなのがあれば誰も苦労しない」と思い、引っ掛からへん。しかし、かような分かり易い釣りにもホイホイ釣られる人間が実際に居るんやから、嘘をついて詐欺をする悪人も減らない。「オレオレ詐欺」なんかに引っ掛かる老人と同じ。愚かな女もスマホやネットを悪用し、金銭等のために体を売ったり、知性が足らへんせいで相手の悪意や真意を見抜けず性暴力に遭う若者も少なくない。一丁前に被害者面する前に、その者自身にも大きな落ち度があることを認め、悔い改め、もっと利口になるべきや。騙す人間が悪いのは当然やが、騙される人間も悪いんや。心と頭が悪い悪人やから、同種の悪人に騙される。もし賢くて正しい心を持つ人なら、決して騙されへん。
昔の人も似たような事を言うてたんを見付けたさかい、紹介する。第二次世界大戦を経験した映画監督であった伊丹万作氏も拙者と同じような事を言うた。こちら(はてなブログ やぶしらず雑記録)にあるとおりや。「戦争責任者の問題」という本を伊丹万作氏は書いた。日本が大東亜戦争で敗戦した後、戦争責任を追及する声が各界で上がり、映画界も例外ではなかったとのこと。映画関係の戦争責任者の追及、追放が主張されていた時代で、伊丹氏は、「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという」と述べた。昭和の当時の多くの日本国民が「騙されたー」と愚かにも被害者面してたということや。拙者にしたら、こんなのは愚かな責任逃れな妄言としか思えず、「政府のみならず庶民のあんたらも共犯やろ」と言うしかあらへん。実際、伊丹氏は、「このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば 直ぐにわかることである。」と言うた。実際、戦前及び戦時中は政府に従って戦争に協力することを嫌がったり、反戦を唱える平和主義者に対して偉そうに「非国民」と罵ったり、いじめたり、陰口を叩いたり、酷い場合は当局に密告して処罰させたクズ人間も居った。更に、伊丹氏は「だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。」とも言うた。ほんまに多くの人間がこの認識が足らへん。騙されること自体が悪であり、騙される原因はその人の知識不足や意志の弱さから引き起こされるからや。騙されたことで被害者意識を強く持って救済を喚き散らしたり騙された事実は恥じるべき事実であって、他人に威張って言う事でもないし、倫理的にもええ事でもない。伊丹氏が、日本人は昔から「知らないことを詫びる(不明を謝す)」という習慣があったと述べたが、現代人の多くがその考えを持たず、知らないのを悪いとも思わず、拙者のような有益情報提供者に対して生意気に「ソースは」とか「〜はどうなんだ」等と、適切な言葉遣いや礼儀も知らず、上から目線で偉そうに講釈を垂れたり、支離滅裂な持論を投げ掛けてくる輩が多い。ほんまに現代人の品性の悪さと勉強不足は酷い。また、過去記事「聖書は六十六巻だけが正典やあらへん」で引用したとおり、聖書でも「我が民は知識不足のために滅ぼされる。お前が知識を拒絶したさかい、我もお前を拒絶して我が祭司にはならへん。お前が神の律法を忘れたさかい、我もお前の子らを忘れよう。」(ホセア書四章六節拙訳)とあり、聖書に関する知識不足、神の律法の知識不足は地獄行きの要因となる。なぜなら、知識不足は勉強不足に起因し、知るべき事を知らず、知ろうとする努力や勉強を怠り、他のどうでもええ事をして人生の時間という資産を無駄遣いした愚かな人間である証拠やからや。
世の諸教会(カトリック、正教会、プロテスタント等)のパウロ教に騙されてパウロ教信者やってる者たちも同じように悪い。過去記事「人間の言い伝えよりも神の掟を守れ」でも警告したように、「もし盲人が盲人を導くなら、双方が穴に落ちるだろう。」(マタイ十五章十四節拙訳)と主イエスが教えはったとおり、この御言葉も悪人が悪人を導いて双方とも滅びるということを示してる。世の権威が大衆を導いて滅ぶことやこの世の悪い宗教権威が信者を道連れにして滅びることを示唆してる。逆に言えば、きちんと見える人(賢い人)なら、盲人という何も分かってへん人や嘘つきを見抜き、そないな悪人から導きを受けることもないし、信じて従うこともない結果、騙されず、滅ばへんからや。せやから、騙す方も騙される方も両者とも罪人や。騙される者は、騙される程の愚かさや悪い品性や醜悪な欲を持つからに他ならず、「騙されたー」なんていうのは愚か者が自己愛と自己弁護故に言うてるに過ぎず、かわいそうというのは有り得へんし、同情にも値せえへん。言うておくが、神の御前で、「自分は騙されたかわいそうな被害者なんです。だから、助けてください」等という愚かな自身を擁護するような見苦しい言い訳は通用せえへんからな。特に拙者が伝えてきた内容に関しては、後で「知らなかったー」も通用せえへん。偶像崇拝の異教、宇宙、宇宙人、重力、地球(球体説)、自転、公転、ウイルス、ワクチン、マスク等も同じで、そないな有害無益な事柄や嘘を受け入れて盲信するくせに、それらの誤りを論破する真理の情報を見聞きしてもなお悔い改めへん者は、それらを他人に教えたり、推奨又は促進した世の権威という盲人と一緒に滅びる。まさに、一蓮托生です。
そして、拙者は二千十七年の最初の記事からずっと折に触れて改憲によって日本が戦争に巻き込まれる危険性を訴え、日本国民宛に広く行動を呼び掛けてきたが、あんたらにはまったく動く気配が見られへん。あんたらはおかしい。これで抵抗活動をろくにせず、売国奴どもに無理やり改憲されて平和主義を破棄し、戦争になれば、あんたらは昔の過ちを懲りずに繰り返すことになり、痛い目に遭うであろうし、痛い目どころか多くの命が失われることになろう。それもあんた方の愚かさ、臆病さ、不作為故や。伊丹氏は、「いくらだますものがいても、だれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。」と言うた。後段の箇所がまさに現代日本人にも当てはまり、拙者が過去記事「成功するためには」で現代人の多くが家畜思考をしてると非難したとおりや。世の権威に疑問を持たず抵抗もせえへん者は家畜であって、もはや人間ではない程に落ちぶれてるんやで。それを理解し、必死に悔い改め、生き方を変えて行動で示しなはれ。再度戦争が起きたら、またあんたらは昔のように政府のせいにだけして、自分らは「騙されたー」、「あの時は仕方なかったんだ」、「自分らは悪くない」等と醜い言い訳をするつもりか。言うておくが、そないな言い訳は通用せえへんからな。戦争に向けて準備をしたり開戦や参戦を決定をする政府も悪いが、そないな不穏な動きに気付いても必死に抗うことをせず、気付かぬ振りをして自分のことばかり考えて好き勝手に生きて、結局は悪徳政府の方針におとなしく従う庶民も悪いからや。過去記事「全力で改憲反対してワクチンも拒否せい」をはじめ、拙者が何遍も繰り返し言うてきたのに、あんたらは何もせえへんかった。手遅れになる前に大勢を集めて抵抗しろって。もうほんまに残り時間は少ないで。たった数人、数十人、数百人、数千人程度ではあかんのや。日本は一億人以上の人口を持ちながら、東京都内で千四百万人程の人口がありながら、東京の財務省に対する抗議活動(デモ)もせいぜい二千人程度しか集まらず、しかもおとなしく抗議するだけで時間と労力を無駄にしてるからな。こちら(YouTube)のとおり、平素からしょうもない嘘やワクチン推進派で信用でけへん事を言うひろゆき氏でさえ言うてるとおりで(最初の政治家への投票といったくだりは誤りやさかい、無視して一分四十三秒以降を視聴してください)、抗議活動(デモ)をすること自体は良いが、やり方が悪いと指摘してる。フランス人は意図的に周囲に迷惑を掛けて政治的問題を広く認知させるとか、困る人を増やすことで、政治家が政策を変えざるを得ない状況に追い込んで改善を本気で促すという意図があって抗議活動をし、政治を動かした事例がある。しかし、現代日本人は他人に迷惑を掛けるべきではないという遠慮やお利口さん気取りがあるせいで、参加人数が少数かつ内容もしょうもない故、抗議されてる側は反省もせずに無視して終わりで、結果的に成果が出ない抗議活動をしてるから無駄に終わる。効果がある抗議活動をするなら、他人や政府らが無視でけへん程度の内容や人数でなければならず、国会を包囲して売国議員どもを強制辞職させたり、政策転換や減税等を実施させるまで徹底的に続けないと、中途半端にやっててはまったく意味が無く、無駄に終わるんです。江戸時代までの日本人は悪徳為政者に抗議し、一揆をし、打ちこわし等もやってた。これは日本史の教科書にすら書かれてる事で、現代人が洗脳された家畜民になってるせいで他人事になったんでしょうが、それではあかん。明治時代になってもすぐには日本人の血気盛んさは衰えず、英国に日本を売り渡した売国奴の一人であった薩摩の大久保利通を始末した一部の志士のように、昔の日本人は各自が日本の行く末を憂いてよう考えて覚悟を決めて、それを実行に移す行動力がありました。
東京の紀尾井町清水谷で事件を起こした暗殺者の斬奸状は以下のとおり。
「①公議を杜絶し民権を抑圧し以て政事を私する。其罪一なり(公平な討論を閉ざして民衆の権利を抑圧して政治を私物化してる。これが罪の一つ目)
②法令漫施請託公行恣に威福を張る。其罪二なり(法令を軽んじて公然と威力で人々を思いのまま従わせてる。これが罪の二つ目)
③不急の土木を興し無用の修飾を事とし以て国財を徒費する。其罪三なり(不急の土木事業を行い、無用な飾りとしてるだけで税金を無駄遣いしてる。これが罪の三つ目)
④慷慨忠節の士を疎斥し憂国敵愾の徒を嫌疑し以て内乱を醸成する。其罪四なり(日本を熱心に想って尽くす者を排斥したり犯罪者だと嫌疑を持つことは内乱を醸成し、国家の滅亡を招く。これが罪の四つ目)
⑤外国交際の道を誤り以て国権を失墜する。其罪五なり(外交のやり方を誤り、日本の国権を失墜させた。これが罪の五つ目)」
参考記事「大久保利通暗殺事件斬奸状」(維新と興亜)
上記の五つの罪状で、現代の売国政治かや売国官僚らもこれらの罪を犯してるのに気付きなはれ。もし現代日本人が明治期のような日本人ならもっと事件が多発してるだろう。それ位に現代の売国具合は酷いのに、あんたらは何もせえへんから不思議でしょうがない。上記を理由として石川県の士族である島田一郎らは大久保を暗殺し、彼らは逃げ回ることもせずにすぐに自首し、自分らの行為の責任を取って死刑を受けた。士族らしく潔い。こちら(NewSee)にあるとおり、福田和子のように国や自国民等といった他者のためやのうて、自分のことだけ考え、自分よりも優れた同僚に嫉妬し、共に事業をしようという誘いを断られたことに逆上して身勝手に殺人を犯しておきながら、その責任から逃れようとし、逮捕されて処罰を受けるのを免れるために嘘をついて身分を複数回偽り、整形をして外見を誤魔化したり、時効寸前の約十五年も逃げ回ったような人や、違憲行為や違法行為をやっても平然としてる悪徳政府や官僚や大手報道機関や御用医師ども等とは大違いや。島田一郎らは、計画をやり遂げた後の結果も先読みして受け入れた上での行動であったことが分かる。上記の斬奸状を読んで分かるとおり、至極真っ当な理由である。彼らは私利私欲や私恨から犯行に及んだのではなく、公共の益のためであり、日本を愛し、日本の行く末を案じ、日本を駄目にしてる明治政府の役人の腐敗具合に憤り、傍観してられへんかったという義憤からや。ちなみに、彼らは大久保利通一人だけに対して憤ったんやないで。斬奸状には、「木戸孝允、大久保利通、岩倉具視、是れ最も巨魁たる者。大隈重信、伊藤博文、黒田清隆、川路利良の如き亦た許す可らざる者。共他、三条実美等数名の姦吏」とも書いており、外国人に唆されて明治維新という暴力による国家転覆を強行して新政府の要職に就いた人らが、勝手に彼ら自身を華族にして特権階級にして法令をも無視出来る立場や金持ちになって庶民を抑圧してた主要人物たちへの恨みが述べられてる。せやから、彼らの抗議は大久保利通一人に対するものやのうて、政府全体に対するものであった。政府の中で最も権力を濫用し、恵まれぬ士族に情け深かった江藤新平や前原一誠といった政敵を消すために反乱を起こすように仕向けて法を無視して処刑し、西南戦争等で対立する士族たちを葬り去った冷酷非道な振る舞いの数々をしてきた大久保利通が選ばれたというだけや。もし政府が法令遵守して真っ当な政治をし、聡明で清廉潔白な人を起用し、税金の無駄遣いをせず、外国に媚びへつらわず、諸外国に対して日本の権威性を損なわず、日本国民を豊かにする善政をしていたなら、彼らは政策に満足してかような実力行使をせえへんかったであろう。
そして、歴史は繰り返しており、戦後の現代日本でも明治期と同じ悪行(不正選挙により明治から続く薩長出身の下人の子孫が国会議員で在り続けて世襲等をして政治を私物化し、法令遵守せずに不法行為(違憲行為及び違法行為)を繰り返しており、日本国民を抑圧して搾取しながら外国人に媚びて利益供与する売国政治をし、日本の国威を貶めており、税金の無駄遣いも天井知らずで、国会議員であった石井紘基氏が暴こうとして刺殺された国会の特別会計の闇も解決せず、聡明な保守の純日本人を公務員に採用せずに排斥して愚かな売国奴ばかり採用してる)が悪徳政府や地方自治体によって繰り返されてる。もし現代日本人が明治期の士族のような正義感があれば、同じ事が起こったであろうが(安倍氏の件は同列視でけへん)、現代ではないやろな。なぜなら、現代日本人は、戦後の学校という洗脳教育と3S政策の結果、政治や経済や法といった重要な事柄に興味や関心を持たず、上の立場の者に媚びへつらって従うだけの悪人が多く、娯楽や快楽に夢中になる愚かで臆病で無抵抗な駄目人間が多いからや。それ故、政府や官僚らは民間企業とも手を組んで大手を振って売国政治に勤しんでる。大久保利通の件を紹介する趣旨は、歴史を学ぶことであり、暴力行為を勧めてるのではない。殺める行為は神の律法違犯故に拙者は勧めへん。ただ、憲法違反や法律違反を繰り返す不法の公務員に対する処分は、憲法が規定してるところであり、憲法十五条一項「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」に基づき、国民が売国公務員を罷免して排除し、選定し直すのは最高法規である憲法によって許された権利やさかい、問題無い。せやから、今では庶民がネット配信出来る時代であり、国会や都道府県の庁舎を取り囲み、彼らを捕らえてカメラの前で悪行を白状させ、辞任も表明させ、国民が彼らを正式に解任し、それを完了するまで帰さない等とすればよい。そして、売国政治家や売国官僚どもは、本来ならば彼らの悪行を反省して自発的に悔い改めるべきやのに、それをせず、憲法や法律に違反し続け、長期間国民を虐待し続け、多くの国民を殺してもいるんやから、彼らが厳しく処罰されても文句を言える立場にない。政府や官僚や悪徳裁判官等こそ売国政治、売国判決及び悪法や重税等の締め付けによって日本国民を間接暴力的に追い詰めており、生活に困窮させたり、こちら(日刊SPA!)のように生活保護が必要な人の申請を断って餓死させるような役所による人殺し案件も実際にあるのが実態であり、彼らは国民の恨みを買って仕返しをされても文句を言える立場にない。ほんまに、まともな言論が通じひん相手(遵法精神の欠如、正常な倫理観の欠如、善も恥も知らない、読解力が無い)には、実力行使をせんと分からんだろうとは思てます。現代人がもし明治時代の日本人なら、売国奴の国会議員や都道府県知事や市町村長等の幾らかはとっくに始末されてるでしょう。現代は過去以上に悪い状態やのに、臆病で無抵抗で愚かな日本人ばかりで、どうしようもない。もし話せば分かる人なら、最初から憲法違反やその他の法令違反の悪行をせえへん筈やし、抗議活動やネット上でも不平不満の声が目立つようになれば河野太郎氏のように国民の声を遮断せずに真剣に耳を傾けるだろうし、庶民との公開討論の場を設けて庶民の声を聞き入れて政治や法整備や条約締結等に反映させるだろうが、国会議員どもや官僚らはそれを頑なにせず、逆に日本国民の不利益になるようなことばかり故意に実行してる現代の日本政府は明治政府と同じや。彼らは英米という外国の手先となってる帰化人や在日(血統的には朝鮮人等の外国人)やカルト宗教信者(統一教会、創価学会、カトリック等)が多いのが実態であり、それ故に日本への愛は無く、日本人を憎み、日本を滅亡させるために日本人に不利益となることばかりし、外国人の利益になることをするのに合点が行くだろう。過去の歴史や酷い現代社会の有様を見て、日本を取り戻したい、悪い状態から脱したいのであれば、何もしないという不作為では駄目で、それなりの規模の行動や目立つ行動が必要なのは理解せないかんよ。このまま売国奴どもに好き勝手されて滅びるのを座して待ちたいなら、今までのように聖書を無視し、呑気で何もせず、西洋かぶれし続けて滅べばよい。それで滅んでもかわいそうなんて同情はせえへんからな。臆病者の愚か者という評価でしかあらへん。先般の財務省解体と威勢のええことを言いはするが、無駄に行儀良い抗議活動しても、多くの人間にはまったく影響せず、報道機関が意図的に無視して報道せえへん以上は多くの人が認知せえへんし、当の財務省も無視して意に介さへんやろ。たとえ報道されて認知されたとしても何も思わずに呼応する動きを見せずに無視するしで、本気さが伝わらんから、おとなしく小規模で抵抗するんは抵抗のうちに数えられず、それでは無駄や。せっかく抵抗運動をするならそれによって起こる結果やその先の効果も先読みした上で方法もきちんと考えてやらなあかん。先読みをすれば、たった二千人程度で、しかも当事者である官僚らが帰って居らへん状態で当該省庁の前で叫んだところで無駄やと分かるのに、それをやるのはアホとしか言いようがない。今や日本は滅亡寸前状態であり、現代日本人は真剣に考えて行動した方が良い。千九百六十年の安保闘争以来、日本国民が死者を出すような目立つ大規模な抵抗活動をしたことはなく、改憲されて自由や人権や平和主義や国民主権を失う前に必死の抵抗せい。
上図のとおり、千九百六十年の安保闘争では多くの日本人が政治に関心を持ち、大勢で政治家に猛抗議して実際に行動してたよ。しかし、現代の日本人は愚か者が多く、何も有益な活動を一切せえへんのに愚痴をこぼすだけで終わったり、「選挙に行け」等と不正選挙が横行する以上、まったく解決にならへん事を言うアホばかり。「政治に興味無い」なんて言う者や売国政治を見て見ぬ振りを続ける者は人間やのうて家畜や。政治に興味無いとか行動せえへんのは人間性の放棄やからや。なんで昔の人々はあないに必死になって庶民を圧迫する為政者や売国奴に抗議したか分からんのか。政治は国民の生活に直結してるからや。生活が苦しいのは政治や法制度が悪いからで、政治を改善し、悪法を廃止せえへん限り生活が良くなることはない。なんでそんな事も分からず、「政治に興味無い」なんて言うて目を逸らし続け、搾取される家畜で在り続けるのか。アホかっての。生活を良くしたいなら政治を無視でけへんのや。例えば、悪法の一つが消費税法であり、平成から出来た消費税なんて社会保障費に殆ど使われてへんのやから要らんし、それを廃止するには国会で消費税法を廃止を決議する必要がある。法律が決まるのは国会であり、税制を変えたいなら、明治からの薩長閥や帰化人という偽日本人等を排除し、公のために働いて私利私欲が無い純日本人を国会議員として現売国奴と入れ替えて法改正するか(現選挙体制は不正があり、これも要改善)、それが叶わぬなら国会や官僚等を実力行使で排除して税法を一切無視するか、二つに一つです。消費税法以外にも不当に財産権を侵害する違憲な税法がようけあるで。なんで千九百六十年の安保闘争以来、六十五年以上も売国奴による悪政を放置し続け、大人数で団結しようとせず、危機感も持たず、西洋かぶれし続け、ヘラヘラしてられるのか。ほんまに現代日本人の大半が異常者ですよ。支配層や傀儡の政府から庶民は家畜扱いされてるのに、それでようのうのうと会社に行ったり、学校に行ったり、遊んでられるな。もし国が滅んだら、今ある生活はすべて消し飛ぶんやで。危機感を持てよ。もし不正に改憲されて悪徳政府に緊急事態条項を濫用され、人権や自由を失い、米国によって日本も戦争に巻き込まれたり、飢饉等の災難に見舞われたなら、普通に生活でけへんようになるし、大勢の死傷者が出るし、最悪は外国に乗っ取られるのが分からんのか。そないな想像力も危機感も無い人、未然に防ごうと必死に行動してへん人らは頭が悪過ぎる。二千二十年以降、偽感染症騒動である存在せえへんコロナに関連するワクやマスク着用によって日本人の人口が大幅に削減され、経済的に余裕が無くなったせいで結婚件数も出生数も過去最低を記録し続け、反対に外国人が過去最大に増え続けており、既に日本国の存続が危うい兆候が目に見えてるのに、嘘つきの世の権威を盲信して存在せえへんコロナに騙されて5G等という強電磁波による健康被害であると分からへん能無しが多く、公務員どもがしてる売国行為を見てネット上で文句を言うだけで終わり、依然として外国人の大量流入を許し、一般企業も外国人を採用して日本人の雇用機会を奪ったり給料を上げず、バブル景気崩壊後から続く失われた三十五年に加担してる罪の意識が無い。加えて、駄目押しで改憲されて人権や自由を奪われ、戦争になり、飢え、その結果、滅びる事にも気付かず、たとえ気付いても何もせず放置。かような無様な現代日本人の有様を見るにつけ、現代日本人は自ら滅亡を望んでるんだろうなって思てます。今までのように黙って何もせず、傍観し続けるなら、冗談やのうて、ほんまに滅亡しますよ。そして、あんた方に言うておく。これら悪い問題が起こる根本の原因は、あんたらの不信仰にある。聖書を読まず、神の律法を守らへんという神との契約違反故に起こされる神の呪いです。神を恨んだり神に反発するんやのうて、不信仰で、神の律法を守らず不法を犯し続けるあんたら人間が悔い改める必要がある。それをせん限り、事態は断じて好転せえへん。聖書の預言からも終末時代にこの世の事態が好転するような記載は一切無い故、変に期待するだけ無駄というものや。せやから、拙者は太陽暦の二千十七年二月から悔い改めを呼び掛け続け、世の諸教会や諸教派というパウロ教の偽福音や偽教義を弾劾し、真の聖書福音と預言を伝道してるんや。正義感を持ち、高い倫理観を持つまともな人なら、拙者が言うてる道理が理解出来るだろう。そないな人は拙者と共にキリスト道に歩むことに加わるべきです。この悪人だらけのこの期間限定の俗世に期待せず、永遠に続く後の世に希望を抱いて有意義な活動をしようではないか。
政治家や官僚や芸能人等にも嘘つきは多く、彼らを信じて騙される大衆も悪人や。その事を忘れるな。「騙されたー」等と被害者面したところで、何もええ事は無いし、そないな頭が悪い悪人は悔い改めへん限り、また違う形で騙されるのがオチや。「君子危うきに近寄らず」のとおり、賢い人なら危険を察知する能力があって危ない人や場所に近付こうともせえへん故、犯罪等に巻き込まれることがないからや。普通に考えて有り得へん事を簡単に有り得ると思い込めるその知性が拙者には信じ難い。ほんまに現代人の愚かさは史上最悪と言える。この世はかような愚民が多く、不信仰で律法違犯をやめず悔い改めへん悪い者だらけ故、六千年の満期前に滅んでもまったく不思議ではない酷い状況や。終末期はノアの時代のようと主イエスが言わはったことから、ノアの時代も、ノアとその家族七人以外は現代みたいに聞く耳を持たず、まともな道理も弁えへん愚民だらけやったんやなとしみじみ思います。しかし、拙者はあんたらに滅んで欲しないさかい、拙者のすべてをブログや動画にしてぶつけてるんや。その愛に応えよ。もしあんたらのことを何とも思わんのなら、拙者は何も言いまへん。
過去記事でも拙者が示したとおり、十二使徒の中のペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人だけを連れて主イエスが教示しはる事は特別な内容と思わなあかん。しかし、多くの人々はこれにも注意を払わず、軽く読み飛ばす。それ故、かような調子で聖書を読み飛ばし続け、内容を殆ど理解せず、単に字面だけを追って読み終えただけとなる。聖書を複数回通読せえへんのは論外やが、たとえ複数回通読をしても精読も行ってかような箇所に注意を払ったり、理解せえへんようでは信仰が薄い証拠となろう。モーセとエリヤが出現することで、キリストの再臨の様子を示してる。モーセは、百二十歳で肉体的な死を迎えた(申命記三十四章七節参照)。エリヤは、生きたまま天に上げられた(列王記下二章十一節参照)。かように、キリストの再臨を機に、次の世は、死んで復活した人と生きたまま携挙される人が主イエスと共に居ることが出来るということを示唆してる。
旧約聖書 ホセア書 六章二節(拙訳)
二日の後、主は我々を生かし
三日目に、立ち上がらせてくださり、我々は御前に生きる。
上述のとおり、神にとって千年は一日やさかい、二日は二千年を指す。主イエスの十字架刑による犠牲により、神の民の罪を贖い、神の民(真のキリスト者)は神の律法の重要性と神との契約である事実を理解し、律法違犯である罪を犯すのをやめ、本当の意味で主によって生かされる。主イエスの十字架刑があった時から二千年が経過する頃にキリストの再臨があり、その時は決算であり、これまでの約六千年の地上歴史において主なる神を信じて神の律法を守り、慈愛ある行いをしてきた人々を神の民に列する。三日目に立ち上がるとは復活を指し、キリストの再臨前に眠りについた真のキリスト者が復活し、新しい天と新しい地に移されてそこで新たな生活が始まり、主の御前で生きていく。当該聖句には四日目以降がないことから、三日目以降は永遠で終わりが無い楽園であり、即ち、新しい天と新しい地の世界を暗示してる。但し、不信仰者や異教徒(パウロ教信者を含む)や拙者の言う事を聞き入れへんのに相変わらず勝手に自分自身を神の民やと高慢にも思い込む自称キリスト者等には楽園に入る権利は無く、地獄行きです。ほんまに拙者が言うことをまともに理解したなら、聖書を理解してることになる。逆に、拙者が言うことに反発するなら、聖書に反発、主イエスに反発してるも同じや。ほんまに目先の事、目に見える事ばかりに夢中にならず、真剣に己の将来を考え、行動せい。
上記聖句で、主イエスは「確かに、まずエリヤが来て、すべてを修復するだろう。しかし、あんた方に言うとく。エリヤは既に来たのに、人々は彼を認識せず、それどころか、人々が望む事を何でも彼にした。かように、人の子もまた、彼ら(人々)から酷く苦しめられることになってる。」と言わはった。一世紀当時の律法学者らは、一応聖書を読んで研究してたことで、メシアが来臨する前に預言者エリヤが地上に現れることを知ってた。せやから、メシアが来るよりも前に「まずエリヤが来る筈」と言うており、十二使徒もそのことを聞いてた。古くからある預言で、マラキ書にあるとおりや。預言書にあるメシア降臨前に地上に現れるエリヤとされる人は、男性であり、神を信じて従順であり、広く人々に悔い改めを説き、神のために神の民を準備する人である。上記聖句に「弟子たちは、(イエスが)洗礼者ヨハネのことを彼ら(弟子たち)に話したと理解した。」とあるとおり、一世紀当時、主イエスの初臨前にエリヤの働きをした者は洗礼者ヨハネであった。洗礼者ヨハネの特徴は、男性であり、悔い改めを説き、神の律法を擁護し、違犯者には誰彼構わず指摘して直すように言い、清貧であり、奇跡といった目に見える業をせず、それによって人を惑わさへん人や。キリストの再臨前にもこの預言は繰り返され、終末時代にエリヤの働きをする者が現れる。洗礼者ヨハネの特徴から分かるとおり、エリヤの働きをする者はそれなりの特徴がある。創造の秩序に則り、まず男性であることが前提条件であり、女性ではなく、金持ちではなく、権力者でもなく、一般庶民で、清貧であり、福音伝道で他人に金銭等をせびらず、神の律法を擁護して守る者、他人が律法違犯してたら指摘して悔い改めを促す、こそこそせずに公に悔い改めを説くといった特徴がある。これらにすべて当てはまらへん者は、絶対にエリヤとは言えへん。故に、世の諸教会(カトリック、正教会、プロテスタント等)や諸教派の中に居ることは絶対に有り得へん。なぜなら、彼らは律法廃止論を説いたファリサイ派の偽使徒パウロを狂信するパウロ教信者どもやし、その他の要件も満たしてへんからや。預言者エリヤが神の律法を無視して違犯し続ける者である筈がないからや。預言者たる者が律法違犯をしてるようでは話にならず、偽使徒パウロを信じたり、洋服を着続け、悔い改めの意味も理解してへんような輩は絶対に預言者では有り得へん。過去記事「洗礼者ヨハネとキリストの再臨前のエリヤ」でも書いたことをきちんと読み返し、終末時代は偽預言者や偽教師や偽メシアが増えるさかい、この世に多い偽り者に惑わされへんようによう覚えておくべきや。
上記の主イエスの御言葉のとおり、終末期のエリヤは神のために過去の偽福音や偽教義の誤りを指摘して弾劾し、正しい福音を宣べ伝え、人々を悔い改めさせ、神のためにまともな人を用意するべく働く。これが「すべてを修復する」の意味。一世紀当時、洗礼者ヨハネは多くの人々からエリヤであるという認識をされず、彼を誤解し、狂った人等と誹謗中傷し、避けたりしてた。かように聖書で洗礼者ヨハネがエリヤであると明記されて後世の人間は分かるが、当時の多数派は分かってへんかった。これは現代も同じである。いつの時代であれ、当事者は愚かなくせに賢いと高慢にも思い込み、大事なことを何も分かってへんのです。あんたらかて同じや。洗礼者ヨハネは、大衆からの心無い言葉を浴びせられたり、権力者から不当に拘束され、正当な理由も無く斬られた。かように、エリヤとなるような人は、権力者からも大衆からも嫌われ、正しい人であるが故にこの世の悪人どもから不当な扱いを受け、多くの苦しみを経験する。聖書や神の律法を無視して離れて世俗的に暮らしてこの世を謳歌したり、多くの人間から好かれようと媚びへつらうなんてことはせえへんのや。そして、あんたら各自が好き勝手に思いのままに振る舞っててはあかん、この悪い世に調子を合わせて権力者に追従したり多数派に属して安心してるようでは滅びることについて真剣に考え、平素の言動と生き方を変えなはれ。今が終末期であるという危機感を持つ者が少ないし、知っててもそれが行いで示せてへん者が非常に多く、未だに洋服を着てヘラヘラして西洋かぶれの生活様式をやめへんのが九割以上を占める現世において理解があるとは拙者は断じて思わへんし、認めへん。神も同じ認識であろう。認めて欲しければ、やはり行いを以て示す以外に方法は無い。行いは実に雄弁であり、すべてを物語るからや。何もせえへん傍観者には救いは無く、地獄行きしかあらへん。拙者は継続的に投稿するようにと指示してるにも拘らず、無視して逆らって投稿せえへんような人は、指一本動かすこともせえへん怠惰な者でしかなく、そんな輩がキリスト者と称したり、自分は確実に救われると自己愛から思い込むなんて笑止千万。ほんまにみっともないさかい、やめた方がええで。パウロ教なんか広めても主イエスを広めてることにもならへんし、むしろ偽りを流布したとして神から裁かれる対象でしかあらへん。パウロ教信者どもが律法廃止論に加えて艱難期前携挙という偽りを吹聴してやまないが、こんなんを信じるような輩は自己愛が酷いだけで怠惰であり、正義感と知性と慈愛と神の律法に対する遵法精神が欠如しており、人間自身は大したことをせずに楽して神に救ってもらおうとする他力本願が強く、神や隣人のために何も奉仕せえへんのに一丁前に永遠の命という報酬だけ要求する厚かましい愚か者や。無神論者と自称する多くの嘘つきどもも、都合のええ時だけ神社に行っては賽銭を投げるとか他の宗教における自称聖職者らに金銭を渡したりするだろうが、かような行いも悪や。ほんまに、聖書を買うて読めって。読んだらその正しさが分かるよ。過去に言うたとおり、電子版は推奨せえへん。紙媒体で、たった三千円程度で入手可能です。聖書を毛嫌いしてても何の得も無いで。神の民(真のキリスト者)は、この世において多くの苦難があることは主イエスが予め教えはったとおりで、艱難(災難や困難)を経て天国行きという真の栄光を得られると理解し、この世の悪に辟易しており、主イエスが真理を語るお方であり救い主(メシア)と本気で信じ、神の律法や創造の秩序等という神との契約を守り、主イエスや信仰の兄弟のためにこの世での命を捨てる覚悟があり、この世で楽できるとか金持ちになって物質的に豊かになるということはないが、それらに当てはまる人にこそ適性がある。残念ながら、この世の九割以上は適性が無い人ばかりやが、もし「我こそは」と思うなら投稿して一歩を踏み出し、交流を持ち、当教会を目指し、主イエスから認められるように一緒に頑張りましょう。
この世がおかしい、悪人や悪い出来事が多過ぎるって、拙者のブログや動画を見れば嫌という程、分かるやろ。この世に期待するんはやめましょう。手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動と心の中をも改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなはれ。主イエスへの信仰と、キリストの再臨という希望と、愛を持って完全な者となれるように日々大切に生きましょう。一人でも多くの人が救われることを願っています。
以上